第29話 「永い夢」

「ゼクスタ……?」

「おねえさん、スーツ着てるから偉いひとかと思ったけど違うみたいだし」

 フードの子は表情こそ見えないが、はにかんでいるようにトリムは感じた。

 その笑いかけるような声とは裏腹に彼女達は険しい表情を見せた。

「ねぇ、ゼクスタっていうのはどういうやつらなの?」

「そっか、おねえさん達知らないんだ」

「えぇ、この街に来たばかりですから」

「そっか。じゃあ僕が教えてあげるよ」

 えへん、と誇らしげに胸を反らせた時に、小さな膨らみがあったのにトリムは気がついた。

 フードの子の話曰く、ゼクスタを名乗る連中がこの街に現れたのは二、三年前のことだったそうだ。

 加えて、彼らが廃墟になったミュスティカイアに集っているという情報も教えてくれた。

 だが、青い瞳の子に関することは何も知らないようだった。


「どうしますか」

「そうね……」

 あくまでここに来た目的は誘拐事件の真相を暴くため。だがそれの根拠となるのは巷間の噂だけだった。

 ゼクスタの街の人間、そも街自体が虚構のような存在だった以上、彼らが本当に存在していたのかは分からない。たしかにこのデル・フィアファルにもゼクスタとの行商記録があったとは記憶していたが……。

 ミュスティカイアの街はここからさほど遠くない場所にある。調査しに行くことも出来なくはなかった。


 路地裏に子供を連れ込んでいるこの状況は場所が場所なら誰か大人がどやしつけに来てもおかしくはないはずだが、この街においてはそんな様子が全く見られなかった。

 陽がわずかに差し込む薄暗い路地で、フードの子は陰に踊る。

 彼女たちが話し込んでいる間も、それをずっと見続けている間も、フードの身体はゆらゆらと揺れ動いていた。端が細切れになって擦り切れたフードはずっとその格好でいることを物語っている。

 自分を隠しているのか、はたまた街から隠れようとしているのか。フロワには後者のように思えた。

 汚れきった服。履いている靴は一部穴が空いていてその穴から小さな親指が見える。手足は細く、爪は伸びっぱなし。恐らく、この子に保護者はいない。こんな年端も行かぬ子が一人で生きなければいけない。そしてそれを誰も助けることはしない。

 厄介事だからだろう。一人を養うのには服を買う金も腹を満たす食べ物も、それをしてやる時間も必要になる。この街にそこまでの余裕があるかと言えばそれは嘘になる。どこまでも忘れ去られた街はか細い蝋燭の光のような存在で、二人分の影を照らすにはあまりに心許ない。

 だからといってここで私達が助けてやれるわけでもない。私達にもその余裕が無いのだから。

 そう決めつけて、彼女達が礼を言って立ち去ろうとすると、フードの子はその不干渉の笑顔に気づいたのか、固く握り締めた拳を少し震わせながら小さな声で「さよなら」と呟いた。

 善いことをすれば自分にも善いことが返ってくる。だが、それが返ってくるのは人々が手を差し伸べようと思ったときだけ。それに気づいていても、フードの子の仕草に気づかないふりをしてさっていく私は恐らくあの日々の加害者に成り果てた存在なのだろう。明るいものを求めて生きてきて、明るいところにたどり着いても自分で道を照らして生きているわけじゃない。

 私はただ明るいところにいるだけ。誰かの役に立つことが全てではないが、何かの役には立ちたい。そんなご都合主義理念の元に私は空想を描いている。

 きっと、あの子に手を差し伸べる人が現れるという、他人任せの欺瞞の夢を描いている。


 宿に戻ると出かけた時と寸分違わぬ場所に眠りこけるオーナーの姿があった。

 彼女たちがやってきた昨日の夜と同じようにカウンターを鳴らすと、跳ねた白髪交じりの頭をかきながら目を覚ます。

「あんだ、帰ってきたのか」

「えぇ。一つ聞きたいことがあるんだけど」

「あん?」

「ミュスティカイアまでってどれくらいあるの?」

「はぁ?あんなとこ行って何すんだ?」

「色々あってね。歩きならどれくらいかかるの?」

「あー……、歩きだと、そうさなぁ、三、四時間くらいかねぇ」

「そうなの。あともう一つ聞いていい?」

「なんだ」

「ゼクスタっていう奴らがいるらしいけど、彼ら何してるか分かる?」

 その言葉を聞いたオーナーの眉間の皺が深くなる。

「あぁ、あいつらね。さて、何してんだろうな。もしかしてあんたら、アレにちょっかい出すつもりかい」

「別にちょっかいは出さないわ。ただ見るだけよ」

「見るだけ、ねぇ。まぁ俺には関係のない話だからな。お客様が何しようと勝手だが、生半な気持ちで手出していい連中じゃないと思うぜ」

「と、言うと?」

「あいつら、ミュスティカイアに住み着いてる。噂によれば何かでかい工場みたいな建物の中で何か拵えてるらしい」

「工場?」

「あぁ。この間そこを通りがかった行商人がわなわな震えながら言ってたぜ。街全体が工場みたいだとかなんとか言ってたが」

「フロワ、聞いたことある?」

「いえ、そういった話は一切聞いたことがありません」

「あんたらずっと東の方から来たんだろう。そら知らないだろうさ。東の街がここらの事を知っていたら今頃のこの街はこんなになっちゃいない」

「……」

 法の目はどこまでも行き届くことが前提にあるが、その目が誰のものかと言えばそれは普通に生活する人々のものだ。

 だから、その生活を送っている人々の意識の中から忘れ去られてしまえば、その瞳がこの街を見つけることはない。たとい視界に映ることがあっても関心がなければ人はそれを認識することすらしないだろう。

 彼の言葉は少し恨みがましく聞こえたが、嘘偽りのない事実だった。

 二人が黙り込んだのを見て、彼は「おっと」と小さく声を上げて弁明を始めた。

「すまんな、別にお前さん方に言った訳じゃあない」

「えぇ、分かってるわよ」

 オーナーはそれに鷹揚に頷くと、カウンターの下からグラスを取り出して近くにあったボトルを開けた。

 仄かにアルコールの香りと、それを注ぐ心地よい音が漂ってくる。

 黄金のそれを飲み干すとオーナーは人心地ついたように言葉を漏らす。

「昔はここも大層栄えていたんだ」

 オーナーはそう言うと目配せで彼女たちにカウンターの前の椅子に座るように伝える。

 二人が腰掛けたテーブルの上に二つグラスを置く。

「何飲みたい」

「何があるの」

「一通りの酒と、ジュースとかもある」

「そう。そのお酒強い?」

「なんだ、あまり酒飲まないのか」

「まぁね。飲める年ではあるけれどわざわざ飲もうとは思わなくて」

「私もです」

「そうか、ならコーヒーにでもしとくかい」

「あるんだ。じゃあそれお願い」

「私も」

「あいよ」

 使い古されたコーヒーミルを取り出して、豆を挽く音が一定のリズムを生み出す。

 ふと窓の外を見やるといつの間にか陽が落ちて暗くなっているのに気づいた。

 心地よい豆を挽く音を聞きながら、彼女たちはコーヒーミルを見つめていた。

「ミュスティカイアとクレムティスの間にあったからな。人通りが多かった」

 いつの間にか姿を消したグラスの代わりに差し出されたコーヒーカップから湯気が立ち昇っていた。

「何をやっても上手くいく。そんな街だった

 。宿はもちろん、食堂やら菓子屋やらなんでも。人も街も生きていた」

 一口、口に含んだコーヒーの程よい苦味が、身体が冷えていたことを教えてくれる。胃に落ちる感覚を明瞭に自覚しながら、その一口が臓腑を暖める。

「あっという間だった。戦争でミュスティカイアとクレムティスが統合され、その波の影でこの街が廃れていくのは」

 今宵は風がない。外に出れば月が見えるやもしれない。そんな事が頭の隅に思い落ちる。

「外から見れば一瞬の事だったが、この街にとっては長いこと、またこの街は栄えるだろうと思い描いていたんだ。だが、ミュスティカイアの人々は去り、クレムティスは首都とその周辺までにしか手をさしのべることはなかった。まぁ、ミュスティカイアが無くなればここはわざわざ来るような場所じゃなくなるからなぁ。あくまでも、この街は旅の途中に立ち寄る場所だ」

 彼女たちはその話をずっと静かに聞いていた。

 旅の途中。確かにそうなのだろう。今ここにいるのはあの日踏み出した一歩があり、天使討伐という目的があるからだ。その旅路の果てに辿り着くのは一体いつになるのだろう。

 彼女たちが思いに耽る様子を見ながら、オーナーは続ける。

「他の人にとっちゃあ通過点かもしれないが、俺たちにとってはここが果てであり、はじまりの場所だ。離れようにも離れがたいのさ」

 グラスの中身が空になったあと、名残惜しそうにそれを見つめているその瞳は何を見ているのだろう。

 この街が生きていたあの日々だろうか。それとも、グラスを通じてぼんやりと映る自分の姿だったのだろうか。


「酒、付き合ってくれてありがとな」

「いえ、コーヒー美味しかったです」

「ほんと。家で飲むのとは全く違ったわ」

 その言葉に笑みを浮かべたオーナーが、少し曖昧な表情を浮かべながら呟く。

「もし、お前さん方の旅が終わったのなら、その時に覚えていたらまた来ると良い。今度はもっと良い豆を仕入れておくからな」

 その言葉が寂しそうだったのは、この街が寂しそうだったからだろう。

 二人は微笑み頷くと、「おやすみなさい」と言って二階へと上がっていった。

 オーナーが再び、コーヒーミルで豆を挽き始めた微かな音が、二人の耳にも届いていた。

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