第31話 「鳴り響く拉音」

 捨てられた街。

今は亡きかつての栄光が、崩折れるビルが寄りかかる廃墟の陰に吹き溜まる。

外観は既に元の形を無くしており、そこに携えられた生活はコンクリート瓦礫に埋もれて死んでいる。

蔓延る緑は辛うじて自立している錆びきったブリキのおもちゃみたいなタワーの首を締め上げていた。

トリム達は街の中央へと進んでいき、辺りを見回した。

人は見えない。痕跡もない。あるべき息吹はとっくに息を引き取っている。ここには、何もない。

だが、死ぬ間際、夢現に零れ落ちる言葉もないその街の奥、彼女たちの見据える道の先には他の建造物より新しい地下へ入り口のような建物がかろうじてこの死に絶えた街に侵入者がいることを知らせていた。

意図的か偶然か、その地下通路の天蓋には辺りに建っていたであろう建物が次々に倒れてきたらしく、屋根の上に瓦礫が降り積もり、そこにいられなかった瓦礫の数々が辺りに散らばっていた。トリムが上を見ると、その天蓋ひび割れた部分から、小さな緑が芽吹いていた。

彼女たちが遠くからこの入口を見つけられたのはこの天蓋が純白で、瓦礫の間に垣間見えるその肌が照りつける太陽の光を反射させていたからであった。

それに、この純白は、昏く淀みきった生活の残骸が積み上がる街にあるにはあまりに眩しすぎる。

 その街の暗闇をすべて飲み込むように、地下へ通ずる階段がどこまでも続いている。今が秋だとは思えないほど、暗闇の空気は凍えるような冷たさで、それがより進みゆく彼女たちの不安を煽った。


「やはり、この階段もあの街よりも後に作られたものですね」

「そうみたいね」

「何故、わざわざこのような場所に……」

「さて。見られたくないものか、よほどの変人か」

「あ」

「おっと、急に止まらないでって」

「すみません、急に階段が曲がったので」

 フロワの言う通り、今まで真っ直ぐに伸びていた階段が途中で折り返すようになっており、その構造が嫌でもこの階段が長く続くのだろうということを教えてくれた。

降り続けては折返し、さらに下ってはまた折返しと続いていくに連れて、当然地上から差し込んでいた光は届かなくなる。だが、下るにつれて青白い蛍光灯がギリギリ階段が視認出来る程度に辺りを照らしていた。

フロワが階段を踏み外さないように、冷たい壁に右手を置くとその触覚が違和感を訴えた。

その右手を壁に置いたまま、壁にこすりつけるようにして階段を降りていく。青白い光を放つ円筒の周辺にしゃがみ込んだ彼女は、光源の周辺の壁を観察し始めた。

「フロワ?大丈夫?」

 突然しゃがみ込んだ彼女を見て、具合が悪くなったのかと思ったトリムが彼女の肩に手を置く。

「これ、おかしくないですか?」

「何が?」

「この壁、見た目は表面がとても粗いのに触ってみると、ほら」

 小さく「よいしょっと」と声を出しながら屈み込んだトリムが、フロワが壁に置いた手を見つめる。

彼女がいつもつけている指貫手袋を嵌めた手が動くと、ザリザリという互いの表面を削りあるような音ではなく、皿を洗う時のような小気味よい音が甲高く鳴り響いた。

 それを見たトリムが彼女に倣うように右手を添え、スライドさせる。また、甲高い音が辺りにこだまする。

「プリントされてるみたいね、これ」

「えぇ。内実を伴っていないというか、感覚に伝わる情報がテクスチャだけみたいです」

「この明かりはさすがに本物みたいだけど」

 手の甲を翳すと、仄かに熱を帯びているのが分かる。

トリムが足元を見ると、薄暗い地面には土や埃が見当たらない。もしかしたら街のどこかに他の入り口があったのかもしれない。この階段は誰にも使われていないように見えた。

彼女が手を払いながら立ち上がる。硬い地面を踏み鳴らした音さえも、今は少し信じられない。

「先に進もう」

 言い放つ言葉の響きは、確かに自分の耳にも届いていた。今はそれを頼りに歩いていこう。

 

 彼女達は階段を降り始めてからかなりの時間が経ったように感じた。

暗闇で、降りても降りても同じ光景。二十分は歩いただろうか。それとももう一時間近く降り続けているのだろうか。

時間の感覚が曖昧になり、先に進んでいるという自信は蒙昧な言葉のように感じる。

分かれ道は無い。ただ降り続けただけ。だというのに戻ることはもう叶わないかもしれないという不安が押し寄せる。来た場所は分かっている。昇るだけで良いはずなのにこの暗闇と矛盾したテクスチャがその答えを迷宮へと誘うように二人を包み込む。

そうしてもう何度目か分からなくなりはじめた頃、彼女たちはその歩みを止めた。

「進んでいますよね」

「多分」

「……一度、地上に戻って別の入口が無いか探してみたほうが良いかも知れませんね」

「うーん、そうした方が良いかな……」

 彼女たちは視線の先に現れた折返しの灯りを見つめる。

先に進むか、戻るか。

それを思案している時、フロワの耳が微かな異音を察知した。

「何の音……?」

「え、何か聞こえた?」

「えぇ。今確かに、何か……」

 彼女たちが聞き耳を立てていると、遠鳴りのように何かを叩くような音が聞こえた。

今度の音はトリムにも聞こえたらしく、彼女はフロワの方を見つめて頷いた。

それから数秒後、再び同じような音が聞こえる。上の階段からだろうか。

「だとしたら、不味いな……」

「鉢合わせになりますね……」

 二人が出来るだけ小声で会話している間にも同じ音が聞こえた。ただ、その音量はこれまでよりも大きくなっていた。

もし、上から階段を降りてきている何者かがいるのなら、この狭い空間では戦えない。

音は着実にこちらの方に近寄ってきていた。

二人は階上の方を見つめながら身構える。

再度、音が鳴り響く。今度は遠鳴りではなく近くで何かが拉げるような音と地鳴りのような振動がした。それと同時に彼女たちはこの物音が階上からではなく、自分たちのいる横、壁を隔てた先から聞こえていることに気がついた。

「これ、ヤバいかも知れない……!」

「上に走りましょう!」

 彼女たちは下ってきた階段を駆け上り始める。

音が鳴る間隔が短くなり、鳴動とともに金属が火花を散らすような音が聞こえ始めた。

何かがこちらに近づいてきている。その恐怖が二人の駆り立てた。

だが、彼女たちが先ほどよりも一階分上に駆け上った辺りで、地鳴りが止んだ。

 二人は足を止めて、階下の暗闇を見つめる。

「止まった……?」

 階段には彼女たちの乱れた呼吸音だけが鳴り響く。

二人が顔を合わせ、安堵のため息をもらしたその瞬間、耳を劈くような破裂音と、超重量物が激突する轟音が二人の身体を襲った。

「何―――!?」

「―――!」

二人は階下から吹き付ける衝撃に追し出されるように壁に叩きつけられた。


暫くの間、何かが落ちるような音がし続けた。鳴り止まなかった金属が軋むような音が聞こえなくなった頃、彼女達がどうにか立ち上がると、先ほどまでいた階下はどこにも見当たらず、下った先は断崖のように抉り取られていた。

そのかわりに彼女たちの眼に映ったのは先ほどまでの暗闇ではなく、宏大無辺なる空間と、墜落し、瓦礫に塗れた巨大なコンテナのようなものだった。


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