第32話 そして君は懺悔する

 喫茶〝HONEY〟は、夕暮れに照らされて真っ赤だった。


 三河が台本を受け取り、役どころの説明を受けて演劇部員に挨拶を済ませたところで、とりあえず家に帰れということだったので、俺は三河をお茶に誘った。


 久しぶりにこの喫茶店に来た。店員が衣替えをしていて、長袖になった相変わらずピンクのふりふりしたメイド服を身にまとっているのを見て、俺は時の流れを感じた。最初に来たのは春頃だったか。


「ホットコーヒー。と」


 注文をする時に、俺は三河の方を見たが、三河は下を向いたまま何も言わなかった。物凄く、らしくないのだが。


「あ、えーと。ホットコーヒーと紅茶で」

「かしこまりました」


 店員が微妙に頷いて、店の奥へと行ってしまった。


「三河。紅茶でよかったよな」


 おそるおそる聞く。


 三河は小さく頷いた。


「聞いたの?」

「え?」


 三河の小さな呟きに、俺は思わず聞き返す。


「ごめんよく聞こえなかった」

「聞いたの? って。朽木くんから。中学の頃の話。二人で話してたみたいだったから」


 今度ははっきりと大きめの声で、しかし途中から弱弱しく三河が言う。


「ああ」


 俺は頷く。


「どう思った? 君島くんも、あたしのこと嫌いになった? 軽蔑した?」


 眼に涙をいっぱい溜めて、三河が、顔を上げてそう俺に聞いてきた。


 俺がどう思ったか。


 俺は。


「正直に答えて」


 三河は歯を食いしばっていた。


「俺は」


 俺はどう思った?


 俺は三河をどう思った?


 一息吐いてから、俺は言った。


「正直、何も思わなかった。嫌いにもならないし、軽蔑もしない」

「嘘! 絶対にそんなことない!」


 俺の返答に、三河が首を横に振りながら反論した。


「俺は、正直に言った。嘘じゃない。本当だ」


 三河はひどい顔をしていた。眉間にしわをめいっぱい寄せて、目に涙をいっぱい溜めて、くしゃくしゃの顔という表現が一番しっくりくる顔をしていた。


 これが俺の精一杯だった。けれど本当のことだった。


「三河、俺は思う。三河には、三河の生き方があるんだって。ただ不器用なだけで、三河はただ不器用な生き方しかできないんだって。だから、たまには間違うこともあってもいいんじゃないか。お前は、後悔してるんだろ?」


 くしゃくしゃの顔のまま、三河は大きく頷いた。


「なら、まだ大丈夫だ。まだ間に合う」


 俺は、祐樹の言葉を思い返していた。


『あいつが自分のしでかしたこと、一生償い続けるってのなら話は別だが』


 三河がやらなければならないこと。


『責任、取るべきだろ』


 三河も、祐樹も、二人とも何でそんな不器用な生き方しかできないんだ。俺は、目を細めた。


「三河。お前、演劇続けろよ」


 三河が逃げたこと。祐樹が望んだこと。


「え?」


 三河が目を丸くしていた。


「演劇から逃げることが、自分の犯した罪の償いだなんて思うな。お前は、演劇を続けることで、罪を償うべきだ。例え誰かになんと言われようとな。お前ならできるはずだ」

「でも。でもそれは」


 できないとでも言いたげな表情だった。


 俺は続ける。


「お前が怪我させた人はなんて言った? お前がしたことなんて言って許した?」


 聞きたくないのか、三河は首を横に振った。


「俺だって、三河と同じ立場だったら、同じことしたかもしれない。それは誰にも分らない。だからだろ? だからその人はお前を許してくれたんだ。俺だったら許さないかもしれないのに。その人は許してくれたんだろ? 許して、そしてお前に頑張れって言ってくれたんだろ?」

「や、めて。それ以上聞きたくない」

「自分の分まで頑張ってって。なら、それに答えてやらなくちゃ。これからも」


 俺が思っていたより、三河はまともな人間だった。


 誰よりも普通の感情を持っていた。


 俺はこれ以上言うつもりはない。言ってることがわけわからなくなりそうだったから。


 しばらくの沈黙。


「あたしね、どうしても、主役をやりたかったの」


 その沈黙を破ったのは三河だった。


「うん」


 俺はゆっくり話しだした三河に、相槌を打ってやる。


「お母さんが、その頃もう病気で入院していたの」

「うん」

「私が主役で舞台に立てば、少しでもお母さんの励ましになるかなって思ったの。でも」

「でも?」


 三河は下を向いたまま、ゆっくりと言った。


「ずるしてとった主役。当日、あたしは罪悪感でいっぱいになって。上手く演じれなかった。台詞は噛むし、段取り間違えるし」

「うん」

「お母さんは何も知らずに、あたしのために外出許可とってまで見に来てくれてたのに。こんな見る価値もないあたしの演技のために」

「優しいお母さんだったんだな」

「当たり前でしょ? あたしのお母さんなんだから」


 当たり前なのか。


「後でお母さんに謝った。自分がしたことも全部白状した。そしたら、あの人と同じようにあたしのこと許してくれた。怒らなかった。怒ってくれなかった。怒ってほしかった。怒鳴ってほしかった。あたしは皆に嫌われて当然だもの。だから、だから君島くんにも怒ってほしかった」

「期待外れでごめん」


 俺は何故か謝っていた。三河の表情を見ていたら、謝りたくなった。


 三河が首を横に振った。そして、三河は自分の鞄からハンカチを取り出して、涙を拭いた。


「謝らないで、許さないで。あたしのこと嫌いになっていいよ。そのくらいの覚悟はできてる。うんん、できてた。ごめんなさい。あたしは演劇部には入らない。今回だけ特別」


 三河は意見を変えなかった。


「あたしは、自分がしたことを許せない」


 そう言って、三河は泣いた後の真っ赤な目で、俺を見据えていた。


 三河は、自分を責めることをやめなかった。


 それから間があって注文したものを店員が持ってきて、俺と三河はそれを飲んだ。


「祐樹は、お前に演劇続けて欲しかったみたいだぞ」

「知ってる」


 俺が言うと、三河が静かに頷いた。


「でも、そんな資格ない」


 余程ショックがでかかったらしい。自分のしたこと、そのことの結果。


「これ、祐樹にも聞いたんだけど。三河は、祐樹と仲直りしないのか?」

「できるのなら。けど、出来ないと思う」


 三河が言いきった。


「そうか」


 俺はそれ以上言えなかった。後は三河と祐樹の問題だろうから。


「あのさ、文化祭まで和道部のこと頼んでいい?」


 三河が俺に向かって言う。


「勿論」

「ありがと」


 俺が答えると、三河が微笑んだ。


 その微笑みが可愛くて、俺は三河から目を逸らした。

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