第13話 おかしな君

 あの日以来、三河はすっかり大人しくなってしまっていた。


 違う着物を持ってこいとも言われないので、勧誘で使った着物が二着、部室に置いたままだった。


 俺は機を見て彼女に謝ろうと思っていた。しかし三河は俺が話しかけようとするとどこかへ行ってしまうため、それもできなかった。


「……なんでだ。なんで来ないんだ。三河は!」


 あれから二日たった今日。放課後の部室にて俺は一人、叫んでいた。

 驚いたのか、水ノ橋さんが肩を震わせたのが見えた。彼女は相も変わらず人魚姫を読んでいる。


「なんででしょうねぇ」


 隣の席に座っていた祐樹が、けらけらと笑いながら言う。


 こいつ、なんでいつも部室についてくるんだ。しばらくすると演劇部行くけど。


「先ほど来ましたけどね。あなたたちが来ると同時にもう一つの扉から出ていきましたけど」


 本を閉じた水ノ橋さんが、俺のほうに視線を向けた。


 俺は唖然としていた。


「もー。お前ら本当に面白いな」


 祐樹の言葉に、俺は目を丸くする。


「まさかお前、気づいていたのか」

「うん。だって、出ていくの見えたし」


 祐樹は頷いた。


 俺はさっき自分がなんて叫んだかを思い出して顔を赤くする。


「早くいえよー」


 恥ずかしさのあまり俺は机の上に項垂れる。


「つい」

「ついじゃないよ」

「水ノ橋さんも何も言わねぇから。つい」

「だから、ついじゃないって」


 祐樹に呆れた顔を向けていたら、水ノ橋さんが立ち上がった。


 不思議に思っていると、水ノ橋さんは本を鞄の中にしまい、手に持った。


「あれ。帰るの?」

「はい。しばらく部活動は休みだと、三河さんがおっしゃっていたので。残る必要はないかと」

「……は?」


 水ノ橋さんの言葉に、俺はしばらく固まっていた。


「へぇ。珍しいな。それ本当にあいつが言ったの」

「ええ」


 祐樹の質問に、水ノ橋さんは頷いた。


「よし。お前、三河を追いかけてこい」


 祐樹が俺に向かってそう言って、椅子から立ち上がる。


「え、は?」

「今ならまだ間に合うだろ。俺は演劇部行くから。じゃあな」


 さっさと部室を出ていく祐樹と水ノ橋さん。


 間に合うって言われても。俺と祐樹が部室に来てから何分経ったと思っているんだ。流石にもう校内にはいないだろう。


 そう思いながらも、俺は教室を出た。廊下を歩くが、気持ちは焦っていた。昇降口まで来て、急いで上履きから靴に履き替える。下駄箱の名前札を見ると、三河はもう靴を履き替えているようだった。


 これは本当に間に合わなかったかもしれないと、不安がよぎる。


 俺は開けっ放しの扉から、校舎を出ようとした。


「……雨?」


 いつからなのか定かではない。外は小雨が降っていて、俺は思わず呟いていた。そういえば今日は朝から曇りだった。


「どうしよう。折り畳み持ってきてないのに」


 隣から不安そうな声がした。聞き覚えのある声に、俺は視線を向ける。


「三河」


 探っていたのか、彼女は片手を鞄に入れたまま俺のほうを見た。


「よかった。まだ校内にいたのか」


 俺の言葉に、三河は目を見開いていた。


 彼女は昇降口で、雨に足止めをくらっていたらしい。


「こっ」

「こ?」


 何を言おうとしているのかわからず、俺は首をかしげる。


「来ないで!」


 予想外の言葉に、俺は顔をしかめるしかなかった。


 三河は俺と顔を合わせたくなかったのか、後ろを向いてしまった。


 俺は傷ついた。


 なんだか悲しくてしかたなかった。この間の説教じみた言葉が、三河をそんなふうにさせているのだろうか。


「ごめん」


 俺は謝っていた。自然に出てきた言葉だった。


「何で、謝るのよ」

「何でって。三河は俺に会いたくなかったんだろ。だから」

「あー。もう」


 何かをあきらめたかのように、三河はため息を吐いた。それから顔だけをこちらに向ける。


「あたしのほうこそ、ごめん。意味がわからないよね。うん。自分でもわからない。ただね、びっくりしただけなの。この間のこと。君島くんがあんなふうに怒ることもあるんだって知って。びっくりした。それから君島くんに対して、どう接したらいいのかわからなくなっちゃった」


 三河は鞄で顔を隠すように持っていた。


「はぁー」


 俺は脱力したように息を吐いて、その場でひざを折るようにしゃがむ。


「き、君島くん?」

「よかった。嫌われたんじゃなくて」


 俺はそう言った。


 心の底から安堵していた。先ほどまでの不安が嘘のようにとんでいた。


「そこまでのこと?」

「ああ。俺にとっては、死活問題だった」

「どうして……」


 俺は三河を見上げていた。それ以上は何も言わなかった。


「雨、止んだね」


 そう言われて外を見ると、雨はあがっていた。


「帰ろっか」と三河が言った。 


 俺たちは二人で帰ることにした。


 彼女は俺に何も聞かなかったし、何も言わなかった。それにほっとしている自分がいて、少しだけ罪悪感を覚えた。

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