Valentine day Ⅱ
放課後は部活の時間だ。
三河が着物に着替えている間、俺と浩彦とマルクは廊下に立っていた。俺と浩彦は普段とあまり変わらない荷物量だったのだが、マルクは何故か鞄と大き目の紙袋を持っていた。俺はそれが気になって仕方がなかったので、彼に尋ねる。
「マルク。その紙袋の中身ってひょっとしてチョコレートか?」
「セイカイ。よくわからないけれど、たくさんダネ」
マルクはそう言って肩をすくめた。
「今日はバレンタインデーだからな。モテモテだねぇ」
マルクは俺より遥かに多い量のチョコをもらったと思われる。
お世辞でもないが、彼は確かにイケメンだ。外国人補正もかかっているかもしれないが。
「嬉しいけど。戸惑ってる。そういえば女の子から贈り物される日だったっけ」
「ああ。日本ではそうなんだよ」
俺は笑って頷く。
外国では逆らしいな。
まぁ、愛の日だからどちらでもいいんじゃないかとも思うわけだが。
「水ノ橋さんからは、もうもらった?」
浩彦がマルクに尋ねた。やはりそこは気になるのだろう。俺も気になる。
「んー。夜に約束があるから、そのときのオタノシミかな」
そう言ったマルクの顔は、とても嬉しそうだった。
「ところで。浩彦のほうはもらえた?」
話の流れ的に今だと思って、俺は浩彦に視線を向けて尋ねた。
浩彦は一瞬だけ顔を強張らせて、それから息を吐いた。
「……まだ」
あの女、何やってんの。
「あー。じゃあきっとこの後……。まだあるし」
俺が言うと浩彦は何故か、首を横に振った。
「楽しみにしてたけど、もう諦めるよ」
「は?」
まさかの発言に、俺は目を丸くした。
「だって今日、俺のこと避けてたし。なのに祐樹には何かあげてたっぽいし」
ガムな。ただの。
何故だかよくわからないが、浩彦は落ち込んでいる様子だった。
照れているだけだというこの事実を、今すぐ教えてやりたい。
「あー。オレもさっき何かもらったよ。なんかコンビニで買った安いやつって言ってたよーな」
マルクが浩彦に追い打ちをかける。
この場合、義理だろうがなんだろうが、もらったという事実が浩彦にとって大ダメージだと思う。
「どうせ俺なんか」とでも言いたげな目をして、浩彦は項垂れていた。
「浩彦。あのさぁ」
「祐樹はさ、中学時代も三河からチョコもらってたんだよね。しかも手作りの」
この間、浩彦にあの話をしたのはまずかったかもしれない。
「あれはチョコ嫌いの俺への嫌がらせだって」
「羨ましいなぁ。俺がもらえないのって、三河の本命が実は祐樹だからじゃ……っ」
「お前、いい加減にしろよ」
聞きたくもない言葉を並べてくる浩彦に、俺は声を荒げた。
「ごめん」
浩彦はすぐに謝ってきた。
それを一番想像したくないのは、浩彦自身だと思う。
三河が俺を好きだったことなんて、天地がひっくり返ろうともあり得ない話だ。
「そういうの、シットって言うんダロ」
マルクが指摘する。彼は思ったことを口にする。悪気はないはずだ。
図星だったのだろう。浩彦は顔を背けて、「うん」と小さく口にした。
気まずい空気がその場に流れた。そのとき。
部室の扉が勢いよく開いた。
最初は着替え終わった三河が出てきたのかと思って冷や汗をかいたが、そこに立っていた人物を見て俺は少しだけ強張った顔を緩める。
「……あれー? どうしましたー?」
語尾を伸ばす特徴的な話し方の、俺より背が低い先輩。瀬戸萌美先輩だった。
彼女は俺たちの様子が変なことに気づいたのか、首をかしげていた。
「ちみっこ先輩こそ、どうしました?」
俺が言うと、先輩の眉根がぴくりと動いた。
「ちみっこじゃないですー。朽木くんー。今、私の機嫌を損ねると後悔しますですよー」
先輩はそう言うと、左腕にかけていた小さめの紙袋に右手を入れて何やら探っている様子だった。
「はい。こっちがマルクくんのチョコレートで、こっちが君島くんのですー」
「アリガトウゴザイマス」
緑の紙で包装されたチョコレートをマルクに渡す瀬戸先輩。
「あ、ありがとうございます」
次いで、青色の包装紙は浩彦に渡していた。
「先輩。俺のは?」
少し期待していたので、尋ねてみる。
「朽木くんはチョコレートが苦手だと椿ちゃんから聞いたので、チョコレートはないですー」
「聞いてたんですか」
そう言って俺は肩をすくめた。もらえないならもらえないで、なんとも寂しいものだと思った。特に瀬戸先輩は、何かしら用意しているものだと勝手に予想していたのに。
「はいー。なので朽木くんには、特別に違うものを用意しましたー。先ほどの発言を撤回するというのなら素直に渡しますけど、どうしますかー?」
屈託のない笑顔を俺に向けて、先輩は言った。
こいつめ。
俺は先輩の笑顔に返すように、口角を上げて笑顔をつくる。
「いやだなぁ、瀬戸先輩。今日はバレンタインデーですよ。愛の日ですよ。ちみっこ先輩って愛のある呼び名じゃないですか」
「……朽木くんにはあげないことが決まりましたー」
俺の言葉に、先輩は笑顔を崩さずにそう言った。
「うわ、ちょ。待って。嘘です。ごめんなさい。ください。俺に、愛を」
慌てて言うと、先輩は吹き出すように笑った。
「誤解のないように言っておきますがー。義理ですー」
「あ、はい」
俺が渡されたのは、先輩が手に提げている紙袋よりさらに小さな紙袋だった。バレンタインように包装されているわけでもない。シンプルなものだった。
「何が入っているんですか」
俺は首を傾げた。
「おせんべいですー」
「は?」
「ですから、おせんべいですー」
俺が間抜けな声を出すと、先輩はもう一度言い直してくれた。
次の瞬間。俺と浩彦は二人とも吹き出した。その隣のマルクは何故俺たちが笑っているのかわからない様子だった。
「おせんべいですか。よりによって」と俺。
「先輩。予想外過ぎて、おもしろいです」と浩彦。
俺たちの間に流れていた悪い空気は、瀬戸先輩の思わぬプレゼントによりどこかへいってしまった。
「何で笑うんですかー。選ぶの大変だったんですからねー。それにおせんべいはおかしくないと思いますけどー。ちゃんと一個一個がハート形で、バレンタイン用ですしー」
先輩が顔を真っ赤にして手をばたばたさせて言うものだから、俺はもう笑いが止まらなかった。
瀬戸萌美は、本当に可愛らしい先輩だと思う。正月に先輩の暗い過去の部分を少しだけ知ったけれど、俺たちはこの通りいつもどおりだった。彼女自身がそれを望んでいて、俺もまたそう望んだ。
先輩に、暗い顔は似合わない。
「もうー。私、これから写真部に行くのでさよならですー。また明日ですー」
頬を膨らませた先輩はそういって、足早に和道部の部室を後にした。
再び部室の扉が開いたのは、それから数分後のことだった。
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