Valentine day Ⅲ

 赤茶色の着物に身を包んだ三河椿が、窓辺に立っていた。

 今朝、チョコレートが渡せないと恥ずかしそうに言っていた三河は、そこにはいなかった。背筋を伸ばして、姿勢よく立っていた。


「どう? 似合ってる?」と、三河は俺とマルク。そして浩彦に向かって尋ねた。


 浩彦は迷いなく、「うん。似合っているよ」と答えた。


 俺とマルクも頷いた。

 不意に、水ノ橋さんがこちらを見ていることに気が付いた。目が合うと、彼女は微笑む。それから、顎に手を当てて何かを考えるようなしぐさをした。


「マルク。朽木くん。少しいいですか」


 水ノ橋さんはそう言うと、俺たち二人を廊下へと連れ出した。

 俺はすぐに理由を察した。


 水ノ橋さんは部室を出る間際、三河と浩彦に向かって「ごゆっくり」と言った。彼女なりに気を使ったのだろう。


「また廊下へ出ていただくことになってしまいましたね。すみません」


 水ノ橋さんが部室の扉を閉めるなりそう言った。


「水ノ橋さんが謝ることじゃないよ。この時間まで渡せなかった三河のせいなんで」


 俺は言いながら息を吐いた。


「そういうことカ。なぁ、オレこのまま帰っていいか。キョーナ。また連絡しろ」


 マルクも察したらしい。紙袋をけだるそうに持ち上げて言った。


「まだ少しかかりそうですし、構いませんよ」


 水ノ橋さんの返事を聞くと、マルクはさっさと帰っていった。チョコレートが入った袋をあまり水ノ橋さんの前で持っていたくなかったのだろう。

 俺と水ノ橋さんは金髪をなびかせて歩いていくマルクの後姿を見送った。


「モテるって大変だなぁ」


 俺は呟くように言う。

 水ノ橋さんはくすくすと笑う。


「人のことは言えないのではないですか」

「三河に聞いたのか」


 きっとチョコレートをもらった話が伝わったのだろう。


「朽木くん。私もあなたに何をあげるか悩みましたけど。これ。よかったら、意中の女性でも誘ってみてはいかがですか」


 水ノ橋さんが制服のポケットから二枚の長方形の紙を取り出した。俺はそれを受け取ると、そこに書いてある文字に目を奪われた。


「うお! これ、あの有名な俳優が出てる演劇のチケットじゃねぇか! 人気でチケット手に入れるの大変らしいのに。しかもめっちゃいい席だ」


 チケットを持つ手が震えた。これ、おそらく水ノ橋さんだから手に入れられたものだ。本当に受け取ってもいいのだろうか。

 当惑している俺に向かって、水ノ橋さんは微笑んだ。


「遠慮しないでくださいね。バレンタインデーだから。という理由だけではないんです。去年のクリスマスのお礼も兼ねているので」

「あ……」


 水ノ橋さんの言葉に、俺は去年のクリスマスのことを思い出す。マルクと水ノ橋さんの心のすれ違いを正すきっかけを、結果的に俺がしたこと。彼女のことだ。俺だけではなくあの場にいた全員に礼をしているだろう。

 俺は落ち着いて水ノ橋さんに向かって微笑み返した。


「そういうことなら、遠慮なく。ありがとう。水ノ橋さん」


 それから数分後。子犬みたいに目をキラキラさせて部室を飛び出してきた浩彦が、嬉しそうにチョコレートをもらった報告をするのを、俺はにやにやしながら聞くことになった。

 水ノ橋さんもほっとした表情で、半べそで顔を真っ赤にしている三河を慰めていた。


「よくできました」

 俺は三河に向かってそう言った。

 

   ***


 それから数日後。俺はある女の子と駅前で待ち合わせをしていた。

 週末になると俺は毎回のように、駅前の広場の中心に建っている時計台の前で胸をどきどきさせている。けれどそれを相手に気取られないようにするのが大変だ。

 待ち合わせ時間まで、まだ三十分もある。はやる気持ちを抑えながら、水ノ橋さんからもらったチケットを確認する。肩掛け鞄の中に、ちゃんと入っているのを目視すると、俺は安堵する。今日、これを忘れたら大変なことになっていただろう。


「祐樹くん!」


 驚いたような声が後方から聞こえて、俺は飛び上がりそうになった。

 待ち合わせ三十分前。どちらも早くて遅れてはいないのに。申し訳なさそうにショートカットの髪の毛を揺らして彼女は言う。


「ごめんなさい。早くきたつもりだったんだけど」

「いや。俺も今来た所なんだ」


 振り向くと、俺は返す。

 そうして二人で微笑んだ。

 一週間ぶりに会う原美幸は、可愛らしい青い花柄のスカートが印象的だった。


「いこっか」

「うん。楽しみ。でも早くきすぎちゃったね。どうやって時間潰そうか」

「なら、三河椿の面白い話してやるよ」

「本人にばれたら怒られるよ」

「知るか」


 俺と原は、二人肩を並べて歩いた。手を繋ぐでもなく、腕も組むでもなく。ただそこに並んでいるのが当たり前のように、ただ歩いた。



 

 

 

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honey×coffee 黒宮涼 @kr_andante

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