朽木祐樹編

Valentine day Ⅰ

 去年までの俺のバレンタインデーは、最悪だった。

 それというのも、すべてあの女のせいだった。

 三河椿。あの女はバレンタインデーになると毎年、俺の机の上に大量の手作りチョコを置いていく。二個や三個。ひどい時で五個だ。しかもきちんと包装された中に十個入りとか。毎年バリエーション豊富で、生チョコの年。トリュフの年。プチチョコパイの年。と中学三年間は地獄のようだった。

 もちろん義理チョコである。あの女は俺のことなぞ微塵も好いてはいない。すべては俺への純粋な嫌がらせである。

 俺は甘いものが苦手だ。特にチョコレートなど匂いをかぐだけで眉をひそめるぐらいだ。

 あいつはそれを見てけらけら笑っているのだ。

 しかし。今年は去年とはわけが違う。

 なぜならば、今年のあいつには、彼氏がいる!

 バレンタインデーが近づくにつれて俺の顔がにやけるのは仕方のないことだ。

「何あんた。キモイ」とあいつに言われても気にしない。やっとあの大量チョコレートから解放されるのだ。

 と思い、当日。俺はスキップしながら学校へ行ったのだが。


「なん……だと……」


 ロッカーに、チョコートと思われる包み紙が一つ。二つ。朽木祐樹様と書いてあるカードが添えられている。

 俺は唖然とした。一体どこから入れたんだ! 鍵は? かけ忘れてた!

 それからは嫌な予感しかなかった。教室へ入るなり、クラスメイトの女の子からチョコを渡された。返事はいらないそうだ。机の上を見ると、一つ。チョコが置かれていた。

 俺は首を傾げた。


「あれ。もしかして俺ってモテてる?」

「あんた、何言ってんの」


 後ろから声がして振り返ると、三河が呆れたような顔をして立っていた。


「ちょっと、こっち来なさい」

「は? 何。お前今年はチョコくれなくていいだろ! 君島にあげろy……むぐ」

「ばか、声大きい!」


 まったくわけがわからない。俺は三河に口を手で塞がれて、そのまま廊下まで引きずられていった。

 三河の彼氏であるところの俺の友人。君島浩彦と一瞬だけ目が合ったが、首をかしげていた。 

 鞄を持ったまま、俺は廊下の壁に詰め寄られていた。


「朽木くん。あんた、甘いもの苦手でしょ。ミントガムあげるわ」


 そっけなく渡されたガムを、俺は一応受け取っておく。

 い、いらねぇ……。と思ったけれど、言わないでおく。これなら去年よりマシだったからだ。


「これで去年までの嫌がらせを許してとか思っていないからね。あと、あんたがモテてるのは今更のこと。むしろ感謝してほしいわね。去年までは、あたしのチョコのおかげであんたにチョコをあげようとしている女の子たちを減らしてあげてたんだから」

「マジか。ありがとう。いらぬおせっかいだけどな」

「さらに言うとあんたのためというより、原美幸のためよ」

「なんで?」


 唐突に原の名前が出てきたので、俺は尋ねた。

 原美幸。彼女は俺の友人であり、想い人だ。中学時代、俺と原と三河は三人でよく連れ立っていた。しかし演劇部での事件の後。原は俺たちと別の高校へ進学した。本当は俺も一緒のところへ行きたかったが、俺の学力では到底届かない高校だったため断念した。

 三河と同じ高校へ入るのは嫌だったが、仕方のないことだった。


「なんでって。何でだと思う?」


 問い返す三河に、俺は頭の中をはてなマークで埋め尽くした。

 思えば原からチョコらしきものをもらった覚えは、まったくない。毎年三河のチョコに気を取られていたせいだ。まさかあの中に原のチョコが混じっていたとでもいうのか?

 答えないでいると、三河がため息をついた。


「あの子ね。あんたに気を使ってチョコをあげなかったのよ。チョコ以外の物のほうが喜ぶんじゃないかって言ったら、あの子なんて言ったと思う。それじゃバレンタインデーの意味がないんじゃないかって。本当、くそ真面目っていうかなんていうか」


 悪気があるのではないとわかっているから、俺は「そうか」と納得するしかなかった。原はそういうやつだ。


「ま、今年はどうするつもりかは知らないけれど」

「俺は、原に期待してもいいのか?」

「あたしに聞かないでよ」


 三河はそう言って、俺から目を逸らした。

 俺は、三河からもらったミントガムを見つめる。


「三河さ。自分はどうなの。もう浩彦にチョコあげた?」

「う。それが……」


 予想外の反応に目を丸くしながら、俺は三河に視線を戻す。


「まだ、なの」

「は?」


 三河は顔を真っ赤に染めていた。


「一応、作ってはいるのよ。でもタイミングというかなんというか。……いの……」


 最後のほうは聞き取れないほどの声で三河が言った。


「なんて?」


 意地悪にも俺は尋ねる。


「恥ずかしいのよ!」


 自棄になったように三河は大声で返した。

 俺は一瞬呆気にとられたが、すぐに吹き出した。


「笑わないでよ。こっちは真剣に悩んでるんだから」


 少し怒るような口調で三河が言う。

 俺は口と腹を手で押さえて笑っていた。

 あの三河椿が照れている。チョコ一個渡すだけなのに。しかもすでに彼氏なのに。こんなに面白いことがあるだろうか。

 今すぐ浩彦に教えてやりてぇー。


「お前。何で今さら恥ずかしがってんの。素直に渡せばいいだろう」

「だって……」

「だっても何もねぇ」


 呼吸を整えて、渋っている三河の手を掴む。冷え性なのか、すごく冷たかった。


「ちょっと、何」


 三河は驚いた顔をした。


「いいから行くぞ」


 俺が手を引っ張ると、三河は「やだー」と子どもみたいに駄々をこねて俺の手を振り払おうとしてくる。


「お前は瀬戸先輩か!」

「先輩に謝れ! とにかく自分で何とかするから、手を離してっ」


 ツッコミにツッコミで返されて、俺は渋々三河の手を離してやる。


「本当に自分で渡せるな? もし今日中に渡せなかったときは……」

「わかったわよ。これぐらい自分でできるわ」


 三河はそう言って教室へと歩き出す。


「おい、両手と両足同時に出てるぞ」

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