第7話 頼み事

「和道部設立、おめでとーう!」


 放課後、俺と祐樹ははれて文化部の部室になった四階の元空き教室に顔を出す。

 部屋に入ると、水ノ橋京菜が、朝のときと同じように、窓辺で人魚姫を読んでいた。


「あれ? えと……水ノ橋さん」


 祐樹が、水ノ橋さんの姿を見て、戸惑った様子を見せた。

 水ノ橋さんは静かに顔を上げて、祐樹と俺を見る。


「こんにちは」

「こんにち……は。あれ、三河は? 確か俺たちより先に出ていったはずだけど」


 祐樹が、部室をぐるっと見回す。そこに三河の姿はない。


 折り畳みテーブルと、パイプ椅子が何個か綺麗に配置されている。おそらく水ノ橋さんが整えたのだろう。


「まだ来てませんよ。良かったら椅子に座って待っていてください」

「はぁ……。どうも」


 祐樹は調子が狂ったように、頭を片手で掻きながら、目配せされた椅子に座る。


「水ノ橋さん、もしかしてずっとここにいたの?」


 俺は、朝ここに来たときと同じ状態でそこに座っている水ノ橋さんに、疑問を抱いていた。


「はい。それがどうかしたのですか?」


 水ノ橋さんは、顔色一つ変えずにそう言った。


「一人で?」

「はい」


 水ノ橋さんは頷くと、再び視線を人魚姫に戻す。

 彼女が読んでいたのは、薄い子供向けに作られた絵本だった。

 俺は困った顔をして、祐樹を見る。祐樹も頭に手を置いたまま、呆けている。

 時が止まったように、そのまま静かに時間が流れていた。


「おっまたせー!」


 その中に突然、空気をぶち壊すように、三河がご機嫌な顔をして部室に入ってきた。


「げっ」


 三河は祐樹の顔を見た瞬間、嫌な顔をする。


「何だよげって。せっかく和道部の創立祝いに来てやったのに」


 祐樹が三河に向かって言う。


「それはありがとう。でもあんたは関係ないんだから、さっさと出てってよね」

「はいはい。俺も明日、演劇部に入部届け出してくるし、マジで手伝えないから、浩彦のこと、頼むわ」

「わーったから、早く出てけ!」


 三河が、椅子から立ち上がった祐樹の背中を無理矢理押して、部屋から出す。

 祐樹は三河に押された反動で、少しよろけながら、俺の方へ振り返る。


「浩彦、頑張れよ」

「お? おお」


 何を?


 俺は頭にはてなマークを浮かべながら、一応頷いた。


「あ、ちょっと待った!」


 廊下を歩き出した祐樹を、三河は何故か呼び止めた。


 祐樹はゆっくりと振り向く。


「何?」


 三河は少し考え込むような仕草をして、眉を潜めていた。


「あのさぁ……あんた暇だよね?」

「うん」


 三河の問いに、祐樹はあっさりと頷く。


「悪いんだけどその……ちょっと手伝ってくれない? 君島くん一人じゃちょっと無理かもしれないし」


 三河の言葉に、祐樹は顔を綻ばせる。


「ちょっと! 浩彦聞いた!? あの三河が、俺に頼みごとだってよ!」


「何よ、悪い!? これも君島くんのためよ。いいからあんたも手伝いなさい!」


 三河が、顔を真っ赤に染めて叫ぶ。


「ほーい。レアだな、お前の顔」


 祐樹がけらけら笑う。


「で? 何すればいいんだ?」

「さっき、保健室で何か余ってる衝立はないですかって聞いてきたら、あるって言って出してくれたのはいいんだけど、とてもじゃないけどあたしにはそれを四階まで運べないって思って。結構大きいのよ」

「衝立? 何に使うんだ?」


 俺も廊下に出て、二人の会話に参加する。


「何って、決まってるじゃない。その衝立で、更衣室を作るのよ。この教室に。他にどこで着替えろって言うのよ」


 三河が、呆れたように俺に言う。


「え? ここで着替えるの?」


 俺は首をかしげて、右手の人差し指で下方を示した。

 三河は頷く。


「そうよ。何なら、出てく? あ、明日着物もって来てね」

「もー、仕方ないな」


 俺は息を吐く。


「三河、それっていろんな意味で無防備じゃね? 浩彦が良いなら俺は何も言わないけど」


 祐樹が眉を潜めてそう言った。


 確かにだ。ただでさえ今、部室に男一人だと言うのに、着替えなんてされたら、余計に緊張するに決まっている。


 俺は顔を赤らめた。


「それ無理だ。俺、部屋から出るから。勘弁して」

「ほらぁ。な?」


 祐樹が、顔を赤らめた俺を見て、三河に同意を求める。


「あたしは別に構わないよ」


 三河は人の話を聞いてない。


「ほら、この教室結構広いし、衝立しちゃえば平気だよ。さ、さっさと保健室から衝立運んできてよ、ね!」


 俺と祐樹は、三河に背中を押されて、仕方なく一階にある保健室まで階段で下りていく。


「あれどう思うよ? 浩彦」


 俺は終始苦い顔をしていた。


「信じらんねぇ。もうヤダ。関わりたくない」


 俺は両手で顔を覆い隠しながら、祐樹に向かってそう言った。


「ま、そういう運命だったってことだな。諦めろ」


 俺は頭の中の地鳴りを必死で押し込めた。

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