第6話 知らないこと
「それで……。和道部があっさりできちゃったわけか」
その日の昼休み、俺は祐樹と教室で弁当を食っていた。
机を二つ、つき合わせて並べている。
三河もクラスの女生徒たちと、仲良くお弁当タイム。
「そう。蔵元先生に話したら、顧問を引き受けてくれるって」
「やるなぁ」
「さすがお嬢様だ。あっさり話を通してしまうとは。俺の苦労は何だったんだって思った」
「はははっ。だからあいつに関わるとろくなことがないんだって」
祐樹が軽く笑う。
「しっかしすごいな。あの水ノ橋のお嬢様を味方に付けちまうなんて」
「ああ。水ノ橋さんが一言いえば、全部動く」
「そのうち地球が回らなくなるかもな。あの子が一言、止まりなさいって言ったら」
祐樹が冗談半分で言って、俺はそれを思わず想像。
危うくお茶を噴出しそうになった。
「でも、これでひとまず三河の暴走は止まりそうだ。人数が足りないとはいえ、一応のところ、和道部はできたんだしな」
「……それはどうかなぁ~」
祐樹が、意味深な顔で言う。
「俺はあいつの暴走が止まるとは思わない。お前、色々覚悟しておいたほうがいいぞ?」
「そうか?」
「そうだ。中学三年間、あいつと同じ部活にいた俺を舐めるなよ?」
俺は祐樹の言葉に、不安な表情を隠しきれなかった。
祐樹は三河のことを何でも知っている風な口ぶりで、俺を諭す。
三河のでかい笑い声が、教室中に響いている。
三河の本当の目的は分からない。ただ本当に着物が好きで、自分の自己満足のためにすべての資力を尽くしているのか。それは俺には分からない。
まだ出会ったばかりの俺には。
「祐樹が羨ましい」
俺は思わず呟いた。
「ん? 何でよ」
祐樹が俺の呟きに、首を傾げる。
「俺は三河のことを良く知らないから。三河をどう扱っていいのか分からない。けどお前は、三河のことを良く知っていて、三河の扱いを心得ている」
「それが、羨ましいのか」
祐樹がきょとんとした顔で、俺を見ている。
俺は少し恥ずかしくなった。
「お前馬鹿か? お前が三河のことを良く知らないのは、当然だろ。だってまだ二日しか経ってねぇじゃん。まだ知らないなら、これからたくさん知ってけばいい話しだろ。それに俺も、三河に対しては、まだ知らないこともたくさんある。お互い一緒だろ。な」
祐樹が俺に同意を求めてくる。
確かに、祐樹の言うとおりだ。三河椿という人間を、これから知っていけばいい話だ。
俺は恥ずかしさに負けてしまわないように、一生懸命頷いた。
「ああ。そうだな」
俺と祐樹は弁当を食べ終わると、他のクラスメイトたちとの雑談を始めた。当然、三河のことでいじられたが、そこは祐樹が上手くフォローしてくれた。
友達は多いほうがいいと祐樹が言う。正直なところ、俺は人が大勢いるという状況は、苦手だった。
だからそういう面でも、祐樹は尊敬に値する人間だと思う。
彼みたいな明るい人間に、俺は憧れていた。
もし、三河が自己紹介であんなことを言わなかったら。もし、俺が呉服屋の息子じゃなかったら。俺はからかわれることもなく。祐樹に話しかけられることもなく。こういう状況になることもなく。高校生活が普通に過ごせたかも知れない。
「そういえば聞いたか? 来月の球技大会の話」
「えっ……」
祐樹の問いに、クラスメイトたちが首を振る。もちろん俺も同様だった。
何故だか嫌な予感がした。
「職員室で先生たちが話しているのをたまたま聞いたんだけど、女子はソフトボールで男子はサッカーらしいぞ」
俺は祐樹の言葉を聞いた瞬間。机に置いてあった筆箱を落とした。
筆箱に入っていたシャーペンやボールペンが床に散らばる。
「ああ。ごめん」
俺は即座に謝る。
「何やってんだよー。君島」
呆れた声も周囲の視線も、俺は気にならなかった。
ただ一つの出来事が、頭の中を駆け巡っていたからだ。
俺はシャーペンを拾いながら、手の震えを隠す。聞こえないはずの罵声が聞こえる。感じないはずの体の痛みを感じる。
「……ま。きみじまっ」
祐樹の声に、俺はやっと我に返った。
「大丈夫か。なんか顔色が悪いが」
「いや。大丈夫。寝不足でさ。立ち眩み」
「まじか。保健室行くか?」
「いいよ。次の授業、超寝そうだけど」
俺は笑ってごまかした。
中学のころの俺を知っている人間が、このクラスにいなくて心底よかったと思う。あの頃よりクラス数が多いのが幸いしたのだろう。からかわれるのといじられるのは勘弁してほしいが、それでもマシだと思うのは俺があの頃を忘れてしまいたいからだろう。
いかんな。ついナーバスな気分になってしまった。
「よっしゃー。打倒四組!」
クラスメイトの一人が突然叫びだして、俺は驚く。話を聞いていなかったが、どうしてそんなことになった。
それから促されるまま、俺も打倒四組と叫ぶ。四組の奴に何か恨みでもあるのか。
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