第27話 最高の時間

「うおっほー! 風呂マジすげかったなぁ。つうか広いし。露天があるなんてきいてねぇぞ」


 湯上りの火照った体を仰ぎながら、祐樹が興奮したような声を上げる。


「俺も、露天があるなんて思わなかった」

「案外、日本って気に入るカモ」


 マルクは露天風呂に入ったのは初めてだったらしい。顔が少しだけ緩くなっている。


「お、マルク。あれ見ろよ」

「ん? ナニ」


 祐樹がマルクの高い位置にある肩を揺さぶる。マルクが祐樹の言う方向を見ると、俺もそれに習って顔を向けた。視線の先にあったのは、コーヒー牛乳。それが小さな机の上に数個置かれていた。冷やしてあったのか少し濡れている。


「よし、ここで一つ良い事教えてやる。風呂上りのコーヒー牛乳は最高だぞ! これぞ日本の文化だ」


 祐樹がそう言って高笑いをする。いつから風呂上りコーヒー牛乳が日本の文化になったんだ。


「オー。ソウナノカ!」


 マルクも何故か乗り気だ。いや、信じるな。


「ふふ。ご自由にどうぞ。人数分ありますので」


 いつからそこにいたのか、使用人が声をかけてきた。

 

 風呂から出てからの会話を全部聞かれていたと思うと、体温がさらに上昇する。


「マルク。これはこうやって飲むものだ。いいか。イッキだぞ。ラッパでイッキだ。覚えとけ」


 そう言って、祐樹は宣言どおりにビンをラッパでイッキに飲み干す。


「ぷはーっ」


 そしてとても清々しく叫んだ。


「いいか、このぷはーも重要だぞ」


 なんて言いながら、正しい風呂上りコーヒー牛乳の飲み方をレクチャーしている。


 俺はそれを横目で見ながら、恥ずかしさを打ち消すようにラッパでイッキに飲み干した。



   ***



 深夜。皆でほぼごろ寝状態。


 寝る前にトランプ大会を皆でしたからだった。眠気に負けて力尽きた。


 使用人たちが気を使ったのか、そのままの状態で、皆で輪を作るように眠っていた。


「――って、――島くんっ」

「ん……?」


 どうも寝苦しかった。蒸し暑い中で寝ていたからだろうか。


「君島っ」


 俺は目を覚ました。誰かの声が、先程から聞こえていた。


「な……何だよ」


 見ると、三河が必死に俺を揺さぶって起こしていたようだ。


「ちょっと、付いてきてくれない?」

「は?」


 どこに。と聞こうとして、俺は起き上がる。


「実はあたし、暗闇って苦手なのよ」

「あー……」


 トイレか。と思ったが、口に出したら怒られそうだ。


「何で俺?」

「何かあるといけないから、京菜と萌美先輩はダメでしょ? マルクとはそれほど仲良くないし。朽木くんは論外。よって君島くん」

「つまり消去法ね」


 何かってなんだろうと思いながら、俺は三河についていってあげることにした。


 いいように利用されている気もする。


 俺と三河は、トイレへと続く廊下を歩いていた。


「あたしね、お母さん、いないんだ」

「え?」


 唐突に三河がそう言ったので、俺は思わず足を止めた。三河が振り向く。


「ごめん、急に」

「いや。でも何で急にそんな話」

「なんとなく」


 なんとなくでそんな話するなよと思ったが、俺は言わない。


「一年くらい前に病気でね。悲しくて寂しくて。でも分かったの、いつまでも寂しがってたらいけないんだって。お母さんの分まで生きなきゃって。だから好きなことしようって」

「好きなこと」

「だからあたしは自分のしたいままにしてるの」

「なるほど」


 三河のその一言で、すべて分かった。三河の今までの俺にとっては悪行のすべてが、そのしたいままにしてきたこと。


「あたしは、最低な人間ね」


 三河が、そう言って笑った。笑いながら言うことじゃない気もする。


 けれど三河は笑っていた。


「お母さんがいないこと思い出すから、あたし夜が怖いの」


 俺は三河の姿を見ながら思う。


 こいつも色々あるんだな、と。


「お母さんは着付けの先生でね。あたしも教えてもらってたの。着物を着て、お母さんに綺麗ね、可愛いねって言ってもらえるのが最高に嬉しかった」

「お前の着物好きはそこから来てるのか」

「そういうことっ」


 なるほどね。だから三河は着付けができるのか。ずっと疑問だったんだ。自分で着付けできるから大丈夫だって言っていたのは、着付けの先生である母親から直接習っていたからだったのか。


 納得して、また歩き出していた三河の後を追う。


 トイレの前に来ると、三河が言った。


「いい? 絶対に近くにいてね。先に帰ったりしたらただじゃ済まないんだからね」

「何されるんだ。怖いから帰らねぇよ」


 俺は正直に言った。


 ほんの二・三分のことだ。ほんの二・三分の待っている時間が、俺には長く感じた。女のトイレって長いのか。などと思いながら、俺は近くにあった縁側から、空を仰いだ。無数の星が、光って見えた。


「綺麗」


 俺は思わず呟く。


「星?」


 ふと気がつくと、隣にいつの間にかトイレから出てきていた三河がいた。


「お、おう」

「確かに綺麗だわ」


 三河も呟く。


 それからしばらく、俺と三河は縁側から星を眺めていた。


 何か話すわけでもなく、ただじっと星を眺めていた。

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