第22話 嵐がやってきた

「実は君たちに頼みたいことがあって」


 蔵元先生は、その少年を後ろに従えたまま、部室に入るとそんなことを言った。


「頼みたいことって、何ですか」


 俺は首を傾げた。


「ほれっ。母国語でもいいから挨拶して」


 蔵元先生は、少年を無理矢理自分の前に立たせて、自己紹介をするように言う。


「ア……初めマシテ。マルクとイイマス。イギリス人デス」


 片言の日本語で、マルクは俺たちに挨拶をした。


「あ、えと……俺は」

「あたしの名前は三河椿! 彼は君島浩彦で、彼女は瀬戸萌美」


 俺が緊張して言葉を詰まらせていると、三河が勝手に俺と瀬戸先輩の紹介をしやがった。


「よろしくですー」

「あ、どうも」


 俺は恥ずかしくて頭を掻く。


「で、そこにいるのが――」


 水ノ橋さんが端正な英語を使って、自己紹介をする。


 正直言って、さすがお嬢様というところだろうか。


 水ノ橋さんが英語をしゃべれることに安心したのか、マルクの表情が和らいだ気がした。


「京菜すごーい。英語しゃべれるの?」

「はい。他にも、五ヶ国語はある程度しゃべれます」

「さすがですー」


 瀬戸先輩が関心したように拍手をする。


「んで、頼みというのはだな……」


 蔵元先生が、話を元に戻した。


「このマルクに、日本語と日本のことをいろいろ教えてやって欲しいんだ。水ノ橋のお嬢さんもいるし、君たちなら大丈夫だと思っての」


 なるほど。って、何か面倒なことを押し付けられているのか、これ。


「んー、別に良いですけど、条件があります」


 三河が仮にも顧問の先生に向かって、そう言った。


「何だね」


 蔵元先生が首をかしげる。


「彼を、部員にしてください」


 俺は一瞬、思考回路がショートした。


 急いで動かす。


「たまにはいいこと思いつくな、お前」

「え?」


 無自覚な三河が、首を傾げてくる。


 一石二鳥ってやつじゃないか。先生もその魂胆で連れてきたんだろうし。たぶん。


「それは、彼しだいだねぇ」


 先生は、不適な笑みを見せる。


「What is it?」


 マルクが首を傾げてくる。言っている意味が分からないらしい。


「だって、和道部の方針忘れたの。日本文化を学ぼうって事だよ。この先生、ちょうどいいようにあたしたちを使うつもりだよ」


 三河が、小声で俺に訴える。


「だよな」


 俺たちは珍しく同意見だった。


「だったら乗っかってやろうじゃん」と三河が言う。

「売られた喧嘩は買う主義か」と俺は返す。

「そ!」


 三河は、マルクの目の前で仁王立ちした。


「マルク。あんたは今日から和道部員よ。ノーとは言わせないわ」


 マルクは目をパチクリさせて三河を見ていた。


「先生、彼は何でこの学校に?」

「そうですー。転入生ですかー? この時期にー」


 俺と瀬戸先輩は、蔵元先生を見た。


「いや、マルクは留学生だ。一年間だけ一年一組に所属することになっとる。じゃ、よろしく頼むよ。私は仕事があるんでこれで失礼」


 そう言って、蔵元先生はさっさと部室から出て行く。


 一年一組と言ったら水ノ橋さんのクラスじゃないか。


 で、どうしろと?


 俺は困惑した顔で、三河と見合っているマルクを見た。


「あ!」


 俺は突然、あることを思い出した。


「どうしたですー?」


 瀬戸先輩が首をかしげる。


「合宿のこと先生に話すの忘れた」


 重要なことを忘れていた俺の脚を、軽く踏みつける瀬戸先輩。


「いってー」

「もう、駄目じゃないですかー。いいです、私が行ってきますー」

「え? いや、俺がっ」

「へたれには用はないですー」


 気のせいか、瀬戸先輩の背後から黒いオーラが……。


 瀬戸先輩は俺に向かって呆れた顔をして、部室から出て行く。


 俺は頭を掻きつつ、三河のほうを見る。


「はぁ! ったく、面倒なことになったナ」


 突然、マルクが態度を変えてそこら辺にあった椅子に乱暴に座る。


「え」


 俺があっけに取られていると、水ノ橋さんが静かに口を開く。


「私の監視に来たのですか?」

「そうじゃネーよ。単純に放り込まれたダケ。勘違いスルナ」


 え? 何。水ノ橋さん、マルクと知り合いなのか。


 俺はそう思い、三河の横に立つ。


「ネーチャン、オレはこんなとこに入る気はねーから。諦めナ」


 マルクが、碧い目を三河に向ける。


「何で?」

「面倒くせぇからだ。京菜も居るシナ」

「京菜とは、どういう関係?」


 あ、それ俺も気になる。


「関係? ……フィアンセだ」


 マルクの言葉に、俺と三河は固まる。


 そしてほぼ同時に「はぁ?」と言った。


 予想外だった。


「フィアンセって、まさか」


 俺は目を丸くする。


「本当なの? 京菜」

「……ええ」


 三河の問いに、水ノ橋さんは顔色一つ変えず、肯定した。


「マルクはお父様の会社の、大事な取引先の息子さんなんです」

「ソウイウコトダ。全然オレの好みじゃないんだヨ。まったくイヤになるよナ」


 マルクがため息を吐く。


 水ノ橋さんは人魚姫を読んでいる。毎日毎日。飽きもせずに。そして今も、手には人魚姫の絵本が。


 ――なかった。

 

 あれ。何で。さっきまであったのに。と俺は気になっていた。

 


「で、だからオレはこんなところ、入る気はナイ。悪いけど、返事はノーだ」


 マルクはそう言って、頭を掻く。


「そっかぁ」


 三河が、マルクに笑顔を向ける。


「どうしてもって言うんだったら。その気にさせるまでよ」

「は?」


 マルクが、仁王立ちしたままの三河を面倒臭そうに見上げる。


「あんた、合宿にだけは強制参加よ」

「ガッシュク? 何それ」


 マルクが首を傾げる。


「みんなで京都に行くの! 泊りでね。そこでたーっぷりと日本の良さを教え込んであげるわ」


 三河が自信満々に叫ぶ。


 マルクは目をパチクリさせていたが、突然にやりと笑った。


「面白そうダナ」

「よし!」

「京菜も行くならちょっと気が乗らないけど、この際我慢するカ」

「そうこなくっちゃ!」


 三河がしめたっという顔をして、俺を見る。


 そうだな、この際、絶対にマルクをものにしようぜって、本人たちの気持ちは無視かよ!


 俺は一人乗り突っ込みをしながら、一応三河にアイコンタクトをする。


 もしマルクを部員に出来たとして、正式人数的にはあと一人足りないんだが、三河は何とかなると思っているんだろう。


 祐樹の件も保留のままだし。


 俺としては、さっさと人数を集めて欲しいものだ。精神的にきついから。


 まぁ、集める気はあるってことで、安心したけどな。


「三河」

「んー?」

「俺は時々、お前がまともに見えるよ」

「はぁ? どういう意味よそれ」

「言葉通りだ」


 俺は三河に小突かれながら、笑っていた。


 このときは、まだ。

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