第23話 彼女のご希望

「あたし、帰る」


 夏休みに入って、急いで決めた合宿のその当日、待ち合わせは駅前。


 不機嫌そうに、そう言ったのは三河。


「えー! 椿ちゃんが帰るなら、私も帰るですー」


 瀬戸先輩が言う。


「ちょっと待て。そんなことしたら今までの苦労はなんだったんだってことになる」


 俺は頭を抱えていた。


 いや、ちょっとした予感というか予想はしていた。


「何だヨ。もうお開きかよ、つまんねー」


 マルクが帰ろうとしている。待て待て。水ノ橋さんよ、止めてくれ。


「えーいいじゃん。行こうぜー! 三河行かねぇなら俺らだけでも行こうぜ」


 三河がこんなことを言い出した元凶が、俺の肩に手を乗せている。


「祐樹!」


 俺は、祐樹の手を、肩から下ろす。


「何だよ」

「来なくていいって言ったろ? こうなること分かってたんだから」


 合宿のことを、祐樹に話したのがまずかった。妙に食いついてきたからなぁ。


「京都合宿。別荘。ついていくしかねぇだろ」

「朽木くんが行くなら、あたしは行かない」

「三河ー!」


 俺は三河と祐樹の間で、右往左往している。


「……それに、俺がここに居るのは、誘われたからなんだぜ」


 突然、祐樹が真面目な顔をして言った。


「え。君島くんに?」

「俺は、誘ってない。断じて」


 三河に疑いの目で見られた俺は、必死で否定する。


「じゃぁ、誰によ」

「私です」


 そう言った、その声の方向をみんなが一斉に見た。


「私がお誘いしました。三河さんに言ったら、きっと断れるだろうと、ずっと隠していました。黙っていてごめんなさい」


 水ノ橋さんが、頭を軽く三河に下げている。彼女が祐樹を合宿に誘ったのだ。


「何で?」


 三河が眉をひそめて、水ノ橋さんを見る。


 俺も、理由が知りたい。


「大勢居たほうが、楽しいでしょう?」


 水ノ橋さんは優しい笑みを零しながらそう言った。


「な。だからみんなで仲良く行こうぜ」


 それもそうだ。とりあえず今はどうやって三河を言い含めるが問題だ。俺は三河を見た。不服そうにしているな。


「嫌だ。あたしは行かない。みんなで楽しく行ってきて」

「おい、マルクのことはどうするんだよ」

「仕方ないわ、君島くんが教えてあげて」

「――っ」


 俺が、三河の態度に切れかけたときだった。


「はいはい、もういいから」

「なっ!」


 ひょいっと、祐樹が三河の体を持ち上げ、自分の肩の上に乗せた。


「何すんのよあんた! 降ろしなさいよ、今すぐ」


 三河の足が浮いていた。


 祐樹はにししと笑いながら、駅内に入っていこうとする。


 俺はあっけにとられていた。


「いい光景ですー」


 瀬戸先輩が、首に掛けてあった一眼レフカメラを構えて、抱えられている三河の写真を撮る。


「ちょっとお! 萌美先輩、撮らないでー」

「照れてる椿ちゃんが、可愛いですー」


 そう言いながら、瀬戸先輩はもう一度カメラのシャッターを押す。


「さー、さっさと行くぞ、皆!」

「朽木! おーろーせぇーっ」


 三河が顔を真っ赤にして叫びながら、祐樹の背中をばしばし叩いていた。


 駅に向かう人だかりが興味津々に俺たちを見ているのは、きっと気のせいじゃないだろう。こんな往来で、祐樹は恥ずかしいとは感じないのか、三河の体を軽々と持ち上げている。


「祐樹、もういいんじゃないのか?」

「お?」

「降ろしてやれよ。見てるこっちが恥ずかしい」


 俺は、二人から顔を背ける。こういうタイプの人たちとは、付き合ったことないから、なんだかもうどうしていいのか分からない。


「君島くんの言うとおりだよ。いいから降ろせ。降ろして!」


 三河が叫ぶ。


「えー。じゃぁちゃんと行く?」

「それは……」


 三河が渋る。行くって言えば降ろしてくれるだろうに。


「じゃぁこのまま電車に乗って無理矢理つれてく」

「それはやだ。もっとやだ。分かったよもう」


 三河が投げやりに言う。


 それでいいのだ。これでやっと出発できる。


「行くか?」

「うん。行くから、早く降ろして!」

「よし」


 祐樹は大きく頷くと、三河の体をゆっくりと地面に降ろした。


「ったくもうー!」


 三河が火照った顔を両手で押さえて、元に戻そうとしている。


「こら、撮るなー」

「へっへっへ」


 瀬戸先輩が、いたずらな笑みを浮かべて、三河の写真を撮った。


 水ノ橋さんはクスクスと笑い、マルクは明後日の方向を見ていた。


「はいはい。出発すんぞー」


 祐樹が手を叩いて、言った。

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