第35話 先輩とクレープ

 午後になると雲行きが怪しくなった。演劇部の公演は、午後三時から。屋内だからまだいいが、屋外での公演だったら確実に中止フラグだった。


「雨が降りそうなので、外に出ている模擬店は全部閉店だそうです」


 模擬店回りから戻ってきた水ノ橋さんがそう言った。


「そう。じゃあ校内の模擬店回るしかないか」

「みたいですね」


 そう言いながら、俺は窓の外を一瞥した。今にも雨が降りそうだ。


「これ、あと二時半までここにいればイインダヨナ」


 マルクが椅子に座ったまま俺に聞く。


「そうだよ。じゃあお願いします」

「あの、君島くん」

「はい?」


 俺が部室を出て行こうとすると、水ノ橋さんに呼び止められた。


「さっきはありがとうございました」

「上手く……行きそう?」


 俺が聞くと、水ノ橋さんは優しく微笑んだ。その表情は、とても嬉しそうだった。


「きーみじーまくーんー」

「うお!」


 廊下を歩いていると、突然横から声をかけられたので俺は驚いて変な声をあげる。


「もー、そんなに驚かなくてもいいじゃないですかー」


 首から一眼レフカメラをぶら下げて、瀬戸先輩が拗ねる。


「いあ、突然だったものですから。それよりどうしたんですか。祐樹たちと別れて友達と一緒に模擬店回ってたんじゃ」

「外の模擬店全部撤収しちゃいましたしー。友達は撤収の手伝いに行っちゃいましたー。なので私は校内をウロウロしている君島くんを探していたのですよー」

「何で」

「一緒に回りませんかー?」


 瀬戸先輩のお誘いに、俺は一瞬目を丸くした。


「いいですよ」


 俺と瀬戸先輩は、校内にある模擬店を片っ端から回ろうということで、歩いていた。


「アイス食べたいですー」

「寒くないですか」

「君島くんは冬にアイス食べない派の人ですかー」

「そうでもないですよ」

「そうですかー」


 そんな会話をしながら、歩いている。


「今頃舞台の準備で大忙しですかねー。椿ちゃんは」


 ふと、瀬戸先輩が三河の話題を出す。


「ですかね」


 俺は頷いた。


「一応カメラ班に入れてもらいましたー。私の頼みだからってー。君島くんに頼まれたからじゃないですよー。椿ちゃんのためなんですからねー」

「分かってますよ」


 そう言って、俺は瀬戸先輩に笑いかけた。


「あー! 君島くん見てくださいー。クレープですよー」


 クレープ屋を発見してはしゃぐ瀬戸先輩。本当にこの人は、俺より年上なのか。疑いたくなる。


「私ー、チョコチップクリームが食べたいですー」


 瀬戸先輩が、上目づかいで俺にねだってくる。


「奢れと」


 俺の言葉に、瀬戸先輩は小さく頷く。


「ったく、仕方無いですね。色々聞いてもらったお礼ですよ」

「やったー!」


 俺が溜息交じりに言うと、瀬戸先輩が子供みたいに両腕を上にあげて飛びあがって喜ぶ。カメラが危ないんじゃないか、と俺は思った。


 俺はチョコチップクリームを注文してお金を払い、瀬戸先輩を何とか落ち着かせると、サービスだと言うオレンジジュースを二人分受取って傍にあった椅子に座る。


「クレープ今焼いてるらしいから、しばらく待つんですよ」

「はいー」


 本当に子供みたいだ。と俺は思いながら、瀬戸先輩を見る。


 渡したジュースを、危なっかしげに持っている。


「ずっと聞きたかったんですけど。瀬戸先輩は、三河のどこに惹かれたんですか?」


 俺は聞いてみる。


「それはこっちの台詞ですよー。というより、聞く方が野暮ですー」

「すみません」


 瀬戸先輩の言葉に、俺は思わず笑ってしまった。確かにそうだ。


「俺は、いつの間にか三河ワールドに引き込まれてたんだと思います。いあ、出会ったときからですかね。まぁ、最初はホントに何だこの女はって思ってましたけど。わがままだし、やることなすこと無茶苦茶で、俺はそれに振り回されまくりで。いつも困惑してて」

「でも、それが良いんですよねー? 君島くんはー」


 瀬戸先輩が、ジュースの入った紙コップに口を付けながら言う。


「ですよ。自分でもびっくりするけど、今は全部可愛いって思える」


 本当に、これが俺の本音だった。


「そんなこと言ってるとー。また振り回された時に後悔しても知りませんがねー」

「それも、そうですね」


 そう言って笑う俺と、瀬戸先輩。先輩とこんなに話をしたのは、始めてかもしれない。


「私はですねー。単純に可愛いと思いましたー。最初に見たときからずっとー。一目惚れってやつですかねー」

「うっ」


 瀬戸先輩の言葉に、俺は一瞬飲んでいたジュースを吹き出しそうになった。


「え、あの。一目惚れってまさか」


 百合ってやつか。と言いかけて止めた。


「何か変なこと考えましたねー」

「い、いや。そんなことは」


 ばれてる。どうしてこう勘がいいんだこの人は。


「今のは比喩ですー。椿ちゃんみたいな人、私は嫌いじゃないですからー。むしろ好きですー」

「そ、そうですか」


 俺は何故か少しほっとする。


「それよりですねー。告白、するんですかー? 今日。椿ちゃんにー」


 瀬戸先輩が、俺に詰め寄りながら聞いてくる。


「今日は、しないです」

「えー。つまんないですー」

「つまんないって」


 瀬戸先輩の呟きに、俺は苦笑い。


「当分は、言う気ありませんよ」


 俺はきっぱり言った。


「えー。どうしてですー?」

「だって……。あいつ、調子乗るじゃないですか。また結婚、とか。話が飛躍しそうでっ。考えただけで恐ろしいっ」

 

 俺はそう言って頭を抱えた。


「なるほどー。ふられるとはみじんも思っていないとー」

 

 瀬戸先輩の言葉に、俺は目を丸くする。


「先輩は知らないかもしれませんがね。あいつ、入学してすぐのクラスの自己紹介でなんて言ったと思います? 将来の夢は、呉服屋のお嫁さんって言ったんですよ。そんな女が、俺の告白を断ると思いますか」

「あ、その話。朽木くんから聞きましたー。すっごくおもしろかったけど、可哀そうだったから助け舟出したって言ってましたー!」

「あの野郎……」


 瀬戸先輩に笑顔で話す祐樹を想像して、少しいらっとした。


「君島くん。本音が駄々もれですよー? でも、今日はしなくても早めにしたほうがいいとは思いますけどねー」


 瀬戸先輩の言葉に、俺は首をかしげる。


「なぜです?」

「ほら、椿ちゃんって可愛いじゃないですかー。だ・か・ら。誰かに先越されちゃっても知りませんからねー」


 瀬戸先輩はほほ笑んだ。


 俺は三河が他の誰かと一緒に歩いているところを想像して、それは嫌だなと思った。

 

 クレープが来て、瀬戸先輩が嬉しそうに頬張っているうちに、外では雨が降り出していた。

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