挿話 気づいたり、気づかなかったり

 夏休みが終わり、九月になった。


 和道部は相変わらず、何をやっているか分からない部活だった。


 新たにマルクと祐樹と瀬戸先輩が加わったにも関わらず、その活動内容は三河中心。三河の三河のための三河による部活だった。


 瀬戸先輩は写真部なので、空いている時間に来る。


 祐樹は演劇部なので、ちょこっと顔を出して後は演劇部へ行く。


 なので結局、前とはあまり状況が変わらないように思えた。


 マルクはというと、水ノ橋さんとは一切話さず三河の話を延々と聞いているという。可哀想なことになっていた。


 マルクが部室にきて以来、水ノ橋さんがあの絵本を読んでいないのが気になっている。


 合宿の時の使用人の話を聞いた限り、彼女はマルクのことを少なからず想っているはず。なのにそれを本人には隠している。


 何とかしてあげたいと思っている自分がいる。



    ***



 ふと気づけば体育祭の時期になっていた。


「あいつ、化け物かよ」


 グラウンドの外周に置いてある椅子に座ったまま、祐樹が呟くように言った。


 俺もそれを見ながら、同じことを思っていた。


 体育祭午前の部。三河椿は徒競走と障害物競走で一位を総なめにしていた。


 玉入れなどの団体競技を別にして、午後からのリレーにも出る予定である。


 挙句に空いた時間は保健委員の仕事もしているので、休む暇がない。


「借り物競争に出たかったのに」と本人は言っていたが、これ以上忙しくしてどうする。


 俺は、借り物競争に出ることになっていた。


 で、だ。俺は今一つの問題に直面している。


『マイナスイオン』


 と書かれたこの札のことだ!

 

 え。誰。このお題書いたの。


 マイナスイオン? マイナスイオンって何。ドライヤーでも持ってこればいいの?

 

 いや、そもそもマイナスイオンドライヤーなんて体育祭に持ってきている人いるの?


 いるとしたらそいつ、バカなの? 体育祭に何しに来ているの。


 そこまで考えて俺はあることに気づいた。


『マイナスイオン(又は癒されるもの)』


 ()内の字、ちっちゃ!


 危うく見落とすところだった。


 時間をロスしたが、俺は走った。癒されるものと言ったらこれしかないだろう。


 息を切らして走り、俺は救護テントにたどり着いた。


「三河。来い!」

「へ。あたし?」


 俺に指名されて、三河は面食らっていた。


 俺は三河の手を掴んで、ゴールまで走る。普段ならこんなこと恥ずかしくてできないだろうけれど、今は違った。


 心臓の鼓動が早い。


 三河の体温が俺の手に伝わってくる。


「はぁ。はぁ。三着か」

 

 ゴールした俺と三河は順位を気にしながら、呼吸を整えていた。


「彼のお題はマイナスイオン(又は癒されるもの)です。彼女を連れてきた理由は? もしかして、君が俺の癒し。的な?」


 放送部の男子がにやにやしながら言う。

 

「彼女が保健委員だからです」


 俺は冷静にそう返した。


 露骨に残念そうな顔をする放送部員。


「なるほどー」と言われて終わった。これ以上、俺を弄るのは面白くないと思ったらしい。助かった。


「いつまで手を握っているのかな。お二人さん」


 どこからわいたのか、背後からそう声をかけられて俺は驚いた。


「ゆ、祐樹!」


 後ろを見ると祐樹がいたので、俺は慌てて三河から手を離す。


「ご、ごめん」


 俺は今さら恥ずかしくなって、三河から目を逸らした。

 

「別にいいけど。朽木くん、驚かせないでよ」


 三河が祐樹に向かって言う。


「わりぃ。そんなに驚くとは思ってなかったんだよ」


 祐樹が謝ってくる。


 走った後だろうか。まだ心臓の音が鳴りやまない。


 三河の手を掴んだ感触を思い出す。とても柔らかかった。


「とりあえず、午後のリレー頑張って」


 俺は逃げるように、その場を去った。


 この気持ちに名前を付けるのは、まだ難しい。


 この気持ちを認めるのは、まだ難しい。


 俺はいつの間にか。三河の弱点なんてどうでもよくなっていた。


 ただこの気持ちの答えを知りたい。

 

 そんな風に思うようになっていた。

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