Christmas party Ⅳ

 和道部部室に最後に入ってきたのは、顧問の蔵元先生だった。


 オレンジジュースを勧めると、蔵元先生は缶コーヒーを持参してきたという。用意周到だ。先生は三河さんの着物を見ると「眼福だ」といってほほ笑んだ。


「この帯どめね。君島くんのお母さんがプレゼントしてくれたの。クリスマスだからって」

「素敵ですー」


 瀬戸先輩は、三河さんを写真に収める。


「ああ。似合っている」


 君島くんは恥ずかしげもなくそう言った。

 三河さんが告白できるような空気を作ると言っていたが、とてもじゃないけれどそんな空気ではなかった。

 よく言えばいつも通り。

 誰かが始めると言ったわけでもないが、クリスマスパーティは自然に始まっていた。


「浩彦ー。お前は三河に何かあげたわけ? それとも、これから?」


 朽木くんが茶化すように言う。


「うん。明日。一緒に出掛けようかって話で」

「なんだよ。デートかよ。羨ましいなぁ」


 この話の流れで来るかと思ったが、来なかった。


「蔵元先生ー。先生も写真に映ってくださいですー」


 瀬戸先輩が言うので、蔵元先生は三河さんと一緒に写真を撮っていた。

 マルクを見ると、彼はジュースの入った紙コップを持ったまま、黒板をじっと見つめていた。それからおもむろに片手でチョークを持つと、私が描いたものの横に何かを付け足していった。


「くっくっ」


 描き終わったのかマルクが一人で笑っている。私はマルクの傍まで行き、何を描いたのか見る。私は眉をひそめた。


「何ですかこれ」

「あ? トナカイ」

「……ひどいですね」


 お世辞にもうまいとは言えなかった。

 鼻は大きく、胴体は不自然に長い。


「オレもそう思う」


 マルクはもう一度、笑った。


「何してんのー?」


 後ろから、朽木くんが顔を出した。


「朽木くん。見てくださいこれ。せっかく私が可愛く描いた雪だるまの隣に変なのが」


 私はそう言って、絵を示す。

 マルクは昔から絵があまり得意ではなかった。それは知っている。だから未だに彼の絵が上達していないことに内心、ほっとしていた。


「変なのってナンダ」

「トナカイではない謎の生物です」


 私が言うと、朽木くんがおかしそうに笑った。


「どれ。俺が描いてやろう」


 朽木くんはそう言うと別のチョークを取り出し、黒板に落書きを始めた。余白はそんなになかったが、既に描いてある絵や文字をうまく避けながら、朽木くんはサンタクロースを大きく描いていった。

 私とマルクは呆然とした顔で、それを見つめた。


「うまいもんだ」


 後ろから蔵元先生の声が聞こえた。

 いつの間にか、部室にいた全員が黒板を見つめていた。


「そんなに見つめられると恥ずかしいんだが」


 朽木くんが柄にもなく困ったように笑った。

 マルクがそれを見て、むっとした表情をして、持ったままだったチョークを置いた。


「マルク?」

「オレは謎の生物しか描けないから」


 そう言って、マルクは部室の中央にある机に戻って椅子に座った。


「さて。まだやることがあるのでね。一度、職員室に戻るよ。帰るときは戸締りよろしくな」


 蔵元先生は、机の上にあったケーキの箱を横目で見ながら部室を出て行った。

 先生はケーキを食べないという意思表示だったのかもしれない。あとは好きにしていいという先生からのメッセージだった。

 朽木くんが小声でごめんなといったのが聞こえて、私の体は緊張で強張る。


「ケーキ食べよう」


 君島くんがそう言ってケーキの箱を開けようとした時だった。


「その前に」


 朽木くんが黒板の前に立ったまま、口を開いた。

 その場にいた全員が彼を見た。


「マルク。お前。今日、水ノ橋さんにひどいこと言ったんだってな」


 朽木くんは真っすぐにマルクを見て言った。


「く、朽木くん?」


 予想外の言葉に、私は目を丸くした。


「ちょっと、あんた」


 朽木くんの予定とは違う言動に、三河さんも当惑しているようだった。

 邪魔をするなとばかりに右手を胸の前まで上げ、朽木くんは手のひらを見せる。


「悪いんだけどさ。演技でもなんでも、俺はやっぱり告白はできねぇよ。好きな奴いるから。それにさ、空気悪くしていいことなんて一つもねぇし。せっかく浩彦がやろうって言いだしたクリスマスパーティ。ぶち壊したくなんてねぇしな」


 それは、朽木くんの正直な気持ちだった。


「祐樹……」


 君島くんは、じっと朽木くんを見つめていた。

 ほっとしたような表情だった。


「あんた。さっきは乗り気だったじゃない」

「考え直したんだよ。そんな回りくどいことするよりか、直接聞いたほうがいいだろ」

「でも。それでマルクが正直に言う?」

「言わせればいいんだろ」


 三河さんと軽く口論した後、朽木くんは再びマルクに視線を向けた。

 事情を知らない瀬戸先輩が、三河さんの隣で首をかしげていた。


「……オレに何を言わせたいって?」


 マルクが訝しげな表情で朽木くんを見ている。


「自分に素直になったら? お前、水ノ橋さんのこと好きなの。嫌いなの」


「何かと思ったら、そんな話。スキでもキライでも、オレと京菜の結婚は決まってんの。関係ないことに首突っ込んでくんナ」

「そんなこと言ってるんじゃないんだよ。マルク」


 朽木くんが私のほうを見てくる。

 私は今、どんな表情をしているのか自分でもわからなかった。


「……私の気持ちはどうなるんですか」


 呟くようにそう言うと、マルクが私に視線を送った。


「この結婚にオマエの気持ちは関係ない。ムイミだ」

「ふざけないで!」


 叫んだ瞬間、これが自分の口から出た言葉だと信じられなかった。

 私は口を右手で押える。

 見ると、マルクは驚いたように目を見開いていた。

 それはそうだ。こんな風に私が怒ったことなんて一度もない。自分も驚いたのだから、みんな驚くに決まっている。


「あ……私。私は、マルクと昔みたいに仲良くしたいです。おじい様がいなくても、私とあなたは変わらないと思っていました。いろんなしがらみがあるのはわかっています。あなたのお父様のことも。でも。私は。私の気持ちは変わっていないんです。あの頃のまま。マルクはそうじゃないのですか。私のこと嫌いになったのですか」


 私が言うと、マルクはついに重い口を開いた。


「キライになんて……。なるわけないだろ。キライになんて、なれなかったヨ。イギリスにいる間。オレはずっと。毎日毎日オマエのこと思い出してた。会いたいと思ってた。オレがなんのために日本に来たと思ってるンダ。お前に会うために決まってるダロ」

「マルク……」


 嬉しくて。涙が零れた。

 ずっと我慢していたものが、一気にあふれ出た。

 マルクも変わっていないという事実が、私の心を満たした。

 朽木くんに背中を優しく押される。

 マルクも三河さんに背中を軽くたたかれた。

 私とマルクは恥ずかしさに顔を赤らめながら、軽く抱きしめあった。


   ***


 あの後。ケーキを食べて、ジュースを飲んで。思い出話に花を咲かせて。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまったけれど。とても充実していた。

 ツリーと輪飾りを片付けるのは名残惜しかった。三河さんが輪飾りをほしいというのであげた。とても喜んでいた。

 迎えに来た北島が、ツリーを車に積む。日が落ちるのが早く、辺りはもう真っ暗だった。


「では。これで失礼します」


 私は皆に挨拶すると、車に乗ろうとする。


「あ、京菜」


 制服に着替えていた三河さんが私を呼び止める。


「初詣のことだけど」

「ふふ。わかっています。また連絡してください」

「うん。わかった。またね」

「では、また」


 手を軽く振って、私は車に乗り込んだ。

 北島が扉を閉めてくれる。

 こんなふうに挨拶ができることに喜びを感じて、私は少しだけほほ笑んだ。

 今日は色々とあったが、今は心が晴れやかだった。

 年明けが楽しみなのは、生まれて初めてかもしれなかった。

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