Christmas party Ⅱ
蔵元先生には許可をもらったので、終業式当日の朝。私はのりとはさみとテープと折り紙をもって学校へ出かけた。小学生の頃のお道具箱の中身みたいだと思いながら、胸を躍らせていた。
「お嬢様。今日は一段と楽しそうですね」
車から降りるとき、運転手の北島がそう言った。
彼はとても紳士的な青年で、歳は私より十歳も離れているが、あまりそうは思えないほど子供のような表情をする人だった。
学校へ登校するのにいつも車で送ってもらっていた。高級車は目立つので学校の前で下ろしてもらうことはめったになかった。
「ええ。今日は少し気分がいいの」
そうはいったが、少しどころではないのは自分でもわかっていた。
「では、また。お迎えの時間はいつもどおりでよろしいですか」
北島の問いに、私は少しだけ考えて言った。
「時間を忘れてしまうかもしれないから、遅れてもいいわよ。何かあれば携帯で連絡するわ」
「……かしこまりました」
意味を汲み取ったのか。北島は一瞬遅れてそう返事をした。それから、私に向かって優しく微笑んだ。
「いってらっしゃいませ」
「ええ。ありがとう」
私は礼を言い、そして柔らかく笑った。
北島は驚いて目を丸くしたがすぐにいつもの真面目な表情に戻り、車に戻っていった。
***
和道部の部室には、昨日運び込んでもらった飾り付けられたツリーが窓の近くに置いてあった。これは三河さんのリクエストだった。どうしてもとせがまれたので私が北島に頼んで部室に丁度いいサイズのものを持って来させたのだ。北島はいたずらっぽく笑って「これはこの部屋にふさわしいですね」といっただけだった。
それは冗談だったのか皮肉だったのか。もはやわからない。私のわがままは聞きなれているとでもいうように、それ以上は何も言わずにただ運び終わると満足したかのように息を吐いていた。
私はいつもの通り窓際の隅の席に座り、まずは鞄を机の上に置いた。そこから折り紙とはさみと、のりとテープと筆記具と、それから入れっぱなしになっていた絵本を取り出した。私の今日の持ち物はそれで全部だった。それで十分だった。
終業式に出るつもりも、自分のクラスの教室に行く気もなかった。
終業式が始まる時間だった。チャイムが鳴る。
私は折り紙をはさみで切り、輪っかを作ってそれをのりで接着するという作業を繰り返した。部室全体にそれを飾ることはしないけれど、窓と黒板の四隅にそれをテープで貼り付けるぐらいはしようと思っていた。
その作業は楽しかった。家の者にやらせるより、これは自分でやりたいと願ったものだった。実のところ、こういうものを自分で作ったことはなかった。作り方は以前本で読んだことがあったから、記憶を掘り起こして作っていった。何故そんな本を読んだかといえば、ただ興味があったから。としか言えない。いつもは小難しい学術書などを読んでいるが、たまにはそういう本も読みたくなる時がある。
思えばマルクから絵本をもらって以降、何も考えずに本を読む時間が欲しくなる時があった。それをこの学校にいる時間に読むのは私の癒しでもあった。絵本を読み、マルクのことを、昔のことを思い出している時間が、欲しかった。
家に帰ればそうするのが当たり前のように、また小難しい本を開く。それが私のライフワークとなりつつあったのだ。
窓の分が終わろうとしていた。
そのころには丁度チャイムが鳴る音が聞こえた。おそらく終業式が終わったのだろう。廊下を生徒たちが行きかっているのか、足音やおしゃべりの声が聞こえてきていた。
私はそれを少しだけうっとうしいと思いながらも、作業の手を止め席を立ち、窓の外を見ていた。そうしろと誰に言われたわけでもなかった。飾り付ける予定の窓の確認をするつもりがあったわけでもなかった。ただなんとなく疲労を感じていたので、休憩するつもりで窓の外を見ていた。
そのときだった。
突然、予想外の人物が部室に入ってきた。
「はぁー。だりぃ」
そう言ったのはマルクだった。
予想外だったのは、いつもは休み時間に誰かがここを訪れるということはなかったからだ。それはいつも私がここにいることを知っているから、誰も近寄ろうとはしなかったから。気を使っていたのかもしれないけれど。とにかく部活時間以外は、滅多に人が来ることはなかったのだ。たとえそれが部員であっても。
「マルク」
私は彼のほうを見て、目を丸くしていた。
そしてマルクがおもむろに机の上にあるものを見るまで、私は気が付かなかったのだ。
マルクからもらった絵本が、机の上に置きっぱなしになっていた事実に。
「何。なんか作ってんのカ。邪魔した……」
マルクの目線が、私の作っていた輪飾りから、読みすぎてボロボロになっていた絵本へ向けられた。
「マルク……」
私はもう一度名前を呼ぶ。冷や汗をかいていた。
「まだ持っていたのか。こんなモノ」
マルクの表情が、声が。冷たいものに見え、聴こえた。
「私の大切な宝物です」
マルクを見つめて私は言った。
「捨ててしまえばよかったのに」
「そんなこと、私にはできません。あなたと、あなたのおじい様との大切な思い出ですから」
「ダカラだよ。オレはこんなモノ。見たくない。こんな……オレがオマエをスキだったときのものなんか」
マルクの絞り出すような声に、私は胸を貫かれる思いをした。やはり。と納得したのか。落胆したのか。どちらかはわからなかったけれど。
マルクには、この絵本が目に入らないように配慮していたのに。
見られてしまった。もう遅い。
私は急いで絵本を手に取り、両手で隠すように抱えた。
「ごめんなさい」
互いに、視線を合わせなかった。
おじいさんが亡くなったのはマルクにとっても私にとっても、とても大きなことだったと改めて思う。あのかけがえのない時間はもう、戻ってこない。それはわかっている。だけれどマルクがくれた絵本を。おじいさんとの思い出を。捨てられるはずがない。マルクだってわかっているはずだ。
「……ワスレロ」
マルクは一言そう呟くと、部室を出て行った。
結局、彼が何をしに来たのかはわからなかった。
私は再び人のいない窓の外を見つめた。
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