最終話 蜂蜜とコーヒー

 喫茶〝HONEY〟は今日も学生でいっぱいだ。


「えー。ということで、あたくし、三河椿は、演劇部と和道部を掛け持ちすることになりました!」


 三河が他の客がいるのにも関わらず叫ぶ。


「わーい」


 祐樹、棒読み。嬉しいくせに。


「でも、ちゃんと和道部にも参加するつもりなので、フォローの程よろしく! 君島くん!」

「おう」


 嬉しいような寂しいような。


 机の上には、俺が頼んだ文化祭時の三河女王様の写真がずらり。


「すごくよく撮れてますね」

「ウン、オレこのとき寝てたカモ。覚えてねー」

「ちょ、マルクマジで?」


 水ノ橋さんは写真の束を手にとって眺めている。


 マルクは確かに寝てたかもしれないなと思いつつ、俺も写真に目を移す。うん、本当によく撮れている。


「私が撮ったんですからー。愛がいっぱいこもった写真ですー」


 瀬戸先輩が得意げに言う。


「あら……?」


 ふいに、水ノ橋さんが声を上げる。


「ん? どうしたですー?」


 写真を見ながら声を上げたので、瀬戸先輩が気になったのか水ノ橋さんに聞く。


「いえ、朽木くんの写真が混じっていたものですから」

「え?」


 ほら。と、水ノ橋さんが俺たちに写真を見せてくれる。


「おー、カッコよく撮れてるじゃん」


 俺は思わず言う。


「おう。何だよ俺の写真もあんのかよ。恥ずかしいじゃねーか」


 祐樹が照れたように言う。


「それはついでに撮っただけですー」


 瀬戸先輩が言う。


「でも、本当にお二人とも楽しそうに演じていましたね」


 水ノ橋さんがそう言って微笑む。俺は同感だった。


「だって楽しかったんだもん」


 三河がそう言って笑う。一時期泣いてたくせに。


「瀬戸先輩。これ一枚ずつ貸してくれないか? 見せたい人がいるんだ」

「へ? いいですけどー」

「ありがとうございます」


 祐樹がそう言って瀬戸先輩に向かって微笑む。瀬戸先輩は首を傾げていた。


 きっと、原さんに見せるのだろうと、俺は思った。


「んー、それはそうと、今後の和道部の活動について、君島くん、一言」

「え、俺?」


 いきなり話を振ってくる瀬戸先輩。


「えーと」

「初詣。そうだわ、初詣に着ていく着物を貸してもらわなきゃだわ」

「は?」


 俺が返答に困っていると、急に思い出したように三河が言う。


 三河。それってもしかして俺の家にってことか。


「そうと決まれば早速行くわよ皆!」

「え、しかも皆で行くの?」

「当ったり前でしょ。初詣は全員着物で行くわよ」

「しかもまだ何カ月も先の話だし」

「だからこそ、今から準備しとくの!」


 喫茶〝HONEY〟に三河の叫びが響く。


 勘弁してくれ。と思いながら俺はブラックの苦いコーヒーを一口飲んだ。俺が苦いコーヒーで、三河が甘い蜂蜜なら、混ぜたらいい具合に甘くなりそうだ。


 冬だ。


三河椿と出会って一度目の冬だ。


 あの日。あの春の日、もしも三河椿に出会っていなかったら、俺は今ここにはいないんだろう。ここにいて、皆とこうしてコーヒーを飲んでいることもなかったんだろう。


 三河が、俺達をこうして出会わせてくれた。


「ちょっと君島くん! 何で流暢にコーヒーなんか飲んでるのよ!」


 三河がふくれっ面を俺に向ける。


「あ、悪い。俺これから用事あったんだった。じゃな!」

「む?」


 祐樹が突然立ち上がり、写真を二枚持って店を出ていった。


「ごめんなさい、私達もこれから食事会があって、早く帰ってきなさいって言われてるの」

「アー、すっかり忘れてた」

「行きましょう、マルク」


 そう言って、水ノ橋さんとマルクも店を出ていく。


「え?」

「それじゃー私もー。門限があるのでー」

「て、ちょっと待って下さい」


 瀬戸先輩まで帰ろうとしたものだから、俺はそれを阻止する。


 逃げようったってそうはいかない。


「むー。どうして止めるですかー」

「門限はないでしょう。流石に。まだ五時ですよ。部活で余裕で六時とか七時まで学校に残っている人が、こんな時間に門限なはずがない。俺は知ってます」

「く、暗いから帰るですー。帰る帰る帰る帰るーですー!」


 駄々を捏ねられて、俺は渋々瀬戸先輩を帰らせた。


 代金は皆がお金を置いてってくれているので心配はない。俺はそれを回収する。


「皆帰ったし……。俺達も帰るか」


 俺は三河に向かって言う。


「何で?」

「え。何でって」

「着物は?」

「いあ、皆帰ったし。意味ないし」

「それもそうか」


 よかった。納得してくれた。それにしても皆、逃げるのが上手い。


 俺と三河は店を出て、寒空の下を歩き始める。


「雪でも降りそうだなー」

「だねぇ」


 俺は白い息を吐いていた。もちろん三河もだ。


「もうすぐ、クリスマスだな」

「クリスマスか。興味ないな」

「そうなのか」

「うん」


 三河が頷く。


「そういえば、俺もクリスマスやったことないな」


 クリスマスか。


「でも。皆と一緒に過ごしたら、きっと楽しいだろうな」


 俺は言いながら立ち止まる。立ち止まった俺を見て、三河も立ち止まった。


「どうしたの?」

「ケ、ケーキとか、食べないか? クリスマス」


 俺は勇気を振り絞って言ってみる。自分から、誰かを誘うなんて初めてだった。


「皆で、集まって。ケーキ食べよう。クリスマスしよう。そしたら、そしたら寂しくないから」


 自分でもびっくりだ。


 何でこんなことを言うんだろう。


「いいよ。皆でクリスマスしようか!」


 三河が、最上級の笑顔でそう言ってくれた。


 俺は嬉しくて、笑った。


 そしてふと気付いた。


 薄暗い空から、何か白いものが落ちてきていることを。


「雪……?」

「え?」


 俺が空を見上げると、三河も同じように空を見上げる。


 雪が降っている。


「寒いと思ったら」


 しばらくそうして二人で一緒に空を見上げて。

 いつかと同じように。


「君島くん」

「ん?」

「ありがとうね」


 俺は三河にお礼を言われた。


「こっちこそ。ありがとう」

「ん、何で?」


 三河が俺を見ながら首を傾げる。


「俺はさ、今までずっと一人だったから。だからこれからもずっと一人なんだろうなって思ってた。だけど、三河に会って。一人じゃなくなった」

「あたしに会って?」

「うん。三河が強引だったおかげなんだよ。三河があの時、あんな自己紹介をしたから祐樹と友達になれた。三河が和道部を創ってくれたから、水ノ橋さんと瀬戸先輩とマルクとも仲良くなれた。全部三河。お前のおかげなんだ。俺が変われたのは、君のおかげなんだ」


 俺は真剣な眼差しを、三河に向けた。


 これが全部だった。俺が三河に感謝しているという気持ち全部だった。


「君島くん……」

「だから、ありがとう。三河」


 今は感謝しているのだ。


 三河が視線をもう一度空に向ける。


「ああ、もう。君島くんってときどき恥ずかしいこと平気で言うよね。自分は恥ずかしがり屋のくせして」

「え。そうかな」

「自覚ないとか。たち悪いわよ」

「……ごめん」

 

 俺は頭を掻いた。


「でも、そういうところ嫌いじゃないの。むしろ……好き」


 小さな声で三河が言う。


「え、なんて」

「だから好きだって言ってんのよ!」


 三河にすねを蹴られた。


「いってぇ」


 俺は足を押さえる。


「何す……っ」


 完全に不意打ちだった。


 俺の唇と三河の唇が微かに重なる。


 俺は目を見開いたまま、思考停止した。体温が一気に上昇したような感覚。


 ほんの数十秒の出来事だった。三河の顔が俺から離れていく。


「ばぁか」

 三河が呟く。


 俺は我に返って、思わず三河の腕を掴む。これ以上離れないようにしっかりと。


「?」


 三河が首をかしげる。


 そして俺は言った。


「俺も、君のこと好きなんだけど」


 三河の顔が赤くなるのが分かった。


 ああ、俺のこういうのを見て面白がっていたんだなと理解する。


「結婚を前提にお付き合いしてください」


 もっと大人になったら、言おうと思っていた言葉。

 別にいいよな。三河のほうから告白してきたんだし。


「あ、あ、あ。当たり前でしょう?」


 三河の返事に、俺は思わず吹き出すように笑った。

 

 きっとこれから先も、俺はずっとずっと三河のわがままに付き合っていかなきゃいけないのだろう。

 

 死ぬまで。永遠にだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る