第9話 カメラ先輩

 彼女の名前は、瀬戸萌美といった。将来の夢はカメラマンだそうだ。


「私すごく嬉しいですー。今までこれっていう被写体がなかなか見つからなくて、コンテまであと二週間なのに、すごく困っていたんですよー」


 瀬戸さんが緩く編んだ三つ編みを揺らす。背は俺より遥かに小さく、三河よりも小さくて、小動物みたいな少女だった。


 驚いたのは、そんな彼女が俺たちの学校の一つ上の先輩だったということだ。


「もちろん写真部でー、いつもこの愛用の一眼レフを持ち歩いているんですよー」


 瀬戸先輩が、すごく愛おしそうに、カメラを撫でる。


 そんな瀬戸先輩を、三河は興味津々という目でじっと見ていた。


「お嬢ちゃんたち、良かったら上がって。立ち話もなんだしね」


 そう言って、母さんが気を利かせて、畳に上がるように促す。三河は少し苦しそうに正座した。


 俺も腰を下ろして、目の前に座っている三河と瀬戸先輩を見る。


「先輩は、和道部ができたことって知ってますか」


 俺は唐突に、瀬戸先輩に聞いた。特に意味はなかったのだが、この人が三河に関わる以上、教えておかなければならないこともある。


「和道部ですかー。聞きましたよー。水ノ橋財閥のお嬢様の噂は、たえませんからねー」


 水ノ橋さんの名前で噂が広まっていたのか。


「その噂なんだけど、実はここにいる三河が無理矢理、水ノ橋さんを利用して作った部なんだ」

「えー、そうなのー?」


 瀬戸先輩が驚いた顔で三河を見る。


「ちょっと、人聞きの悪い!」


 三河がむすっとした顔で俺を見る。本当のことだろう。


「でもいいんじゃないかなー? 私としては、椿ちゃんを撮れればそれでいいしー」


 そう言って、瀬戸先輩はカメラのレンズを至近距離で、三河に向ける。


「遊びに行ってもいいかなー?」

「うん! じゃんじゃん遊びに来て! つか、和道部員になろうよ!」

「それは無理だよー。私からカメラを取ったら何も残らないんだよー?」

「それは残念」


 三河は諦めたように肩を落とす。


「写真部員を勧誘するのは間違ってるぞ。それはそうと、そろそろ帰ってくれないか、二人とも」


 俺は顔をしかめる。


 こっちはせっかくの休息時間を潰されたんだ。


「あらぁ、いいじゃない。もう少しゆっくりしていけば。ねぇ」

「ねぇ?」

「ねぇー」


 母さんの言葉に、三河と瀬戸先輩が不敵な笑みを見せて同意する。


 ……ふざけんなー!


 俺はあるわけもないちゃぶ台をひっくり返したい気分になった。


「ふふ。嬉しいわ。ひろちゃんの楽しそうな顔を見られて、本当に嬉しい。少し前なんてね……」


 と、母さんが余計なことを話し始めようとしたので、俺はきっと睨むような視線を送る。


「その話は」


 やめてほしい。俺の中での黒歴史なのだ。


 母さんが話そうとしたことは、簡単に予想ができた。悲しませていた自覚はある。でも今は、その話をしないでほしかった。


 ――結局、二人は夕方ぐらいまで俺の家でのんびりしゃべっていった。


 こんなときだけ客が一人も来ないのはどういうことだと思いながら、俺は三人のおしゃべりをつまらなそうに聞いていた。


 頼むから、俺に静かな日常を返してくれ。

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