第38話:カノン
断るとは思っていなかったが、やはり受けてもらえるとホッとするものだな。
だが、数日と言っておったが、カノンはそれ程までに力を失っておると言うことか。
「おそらく三日くらいは掛かると思いますよ」
我の記憶の中にあるカノンならば一日か、掛かっても二日だと思っていた。
我の思考を読んだのか、苦笑を浮かべながら口を開く。
「私も四〇〇歳を超えましたからね。全盛期からは徐々に力が衰えてしまいますよ」
そう言って立ち上がると、奥の部屋に視線を向けた。
カノンの作業場になっているドアなのだが、ドアノブには埃が被っており長年開いていないことが読み取れる。
ゆっくりとドアに近づいて埃まみれのドアノブに手を伸ばそうとした時である。
――ヒュウウウウゥゥ。
締め切っているはずの部屋の中で風の音が聞こえると、埃を払っただけではなく、ゴミ箱にまとめて捨てられてしまった。
……やはり、愛されているのだなぁ。
「この部屋にも、精霊がいるんだな」
「うふふ、そうですね。私のような老婆と一緒にいてくれるので、この子達はとても優しい精霊なのですよ」
我には見ることのできない存在。だが、自然界に確かに生きている聖なる存在。
魔族には全く見えず、人間だと極稀に見えるものがいるらしい。精霊の存在を強く感じられ、見ることができるのはエルフ族特有だと言われている。
その中でもカノンは、精霊に愛され過ぎている存在なのだ。
しかし、もともと愛されていたわけではなく、徐々に精霊からカノンに近づいてきたのだから不思議なものである。
エルフ族がカノンを追い出した時は精霊が群がるようなこともなく、それから数年の後に今のような状況になったと聞いたな。
埃の無くなったドアノブを回して開かれた先には、七色の布が円を描くように天井から垂れ下がり、その中心に長方形の長テーブルが置かれている。
さらにその上には真っ白な布が敷かれており、魔法陣が描かれていた。
「この部屋に入るのは、数十年ぶりですね」
カノンが鉱石などの素材を加工する時には精霊の力を借りて作業をしている。
七色の布はそれぞれ火、水、風、土、木、光、闇を表しており、精霊が好む色になっておる。
布に集まった精霊の力を借りて鉱石を加工するのが、カノンのやり方なのじゃ。
「少し、風通しを良くしてから始めましょうかね。今日はここに泊まりますか?」
「問題なければ」
「えぇえぇ、良いですとも。部屋も余っておりますし、シルバーとともに部屋で過ごしてください」
「ギャワン!」
「うふふ、グレンと一緒にいられるのが嬉しいのね。ご飯は……あら? どうしましょう、この辺りには獣があまりいないからシルバーが好きそうな物がないわね」
困った顔で頬に手を当てているカノン。
「大丈夫だ。シルバーの飯はこっちで手配する」
「そうですか? すいません。では、私は晩ご飯の準備でもしておきましょう」
「俺達は少し出てこよう」
「分かりました」
そう告げて、我はシルバーと一緒に家を出た。
※※※※
家を出てすぐの森に入っていくと、そこには獣の気配が全くない。
まあ、これも我が作った魔術具のおかげなのだが、今回はそれが裏目に出てしまったかのう。
カノンの家の周りに設置している魔術具は結界を少し改良した指向誘導型結界魔術具である。
魔術具の範囲内に足を踏み入れた生物の向かう先を誘導して、この場から離れるようにしているのだ。
このような辺境の地に人間が訪れることはまずないが、獣であれば別である。
カノンならば簡単に追い払うことも可能だが、無駄な労力を使わせてしまうのは忍びないのでな、この結界はこのままの方がよいじゃろう。
「シルバー、少し転移するぞ」
「ギャワン!」
転移の感覚が面白かったのか、楽しみだと告げてきよる。
我はシルバーの頭を撫でながら、森の逆側へと転移した。
こちらはこちらで多くの獣の気配に満ち溢れておるわい。
家側に行けない獣もこっちに集まっているから当然ではあるが、それでも集まり過ぎな感じはするのう。
「……この近くで、何か起こっているのか?」
「ギャギャ?」
首を傾げるシルバーをよそに、我は少しだけ周囲に目を向けることにした。
ここはカノンが暮らす森の逆側である。何かあってからでは遅いからのう。
シルバーには自由に森の獣を食してこいと命じて、森歩きを開始した。
我の雰囲気を恐れて獣は寄ってこないものの、森に入ればやはりその数が尋常で無いことが分かる。
「……だが、何も見つからないか」
我の勘違いか、それとも巧妙に姿を隠しているのか。前者であれば問題はないが、後者であれば我からも隠れられる存在が近くにいるということじゃ。
その存在は必ずカノンの驚異にもなるだろう。できればここにいる間に憂いを断っておきたいのだがな。
「…………ふぅ、ダメか」
範囲を広げてみても、網に引っかかるのは獣とシルバーだけである。
シルバーも幻獣とはいえ獣だ。嗅覚は相当に優れているだろうが、獣しか追い掛けていないようだから気づいてはいないのだろう。
獣の嗅覚すらも偽る存在が、近くにいる?
思考しながら歩いていると、獣を狩り回っていたシルバーが戻ってきた。
お腹いっぱいになったのだろうが、口の周りに血を付着させたままというのは
「とりあえず綺麗にしてから戻ろうか」
「ギャギャン!」
人間が使う生活魔法を我が使うことになろうとはのう。
「
口周りに付着している血だけではなく、両脚についた泥や、体毛に引っ掛かっている枝や葉が取り除かれていく。
綺麗になった自分の脚を見て、シルバーは飛び跳ねて喜びを表した。
「よし、それじゃあ戻るか」
「ギャワン!」
もう一度だけ周囲の気配を探ったが――何も見つからない。
我は勘違いだと信じて、その場からカノンの家まで転移した。
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