炊き立てごはんのあるところ


 一面緑色のホームに降りて、背中にセミの命を感じた。山に囲まれたのどかな町は、生まれてから高校を卒業するまで住んでいた故郷だ。改札口にいる男性に切符を渡して荷物を持ち直す。


 「こんにちは、べっぴんさんだねぇ。どこから来たの」


 周りを見渡すも、誰も居ない。この駅で降りたのも私一人だけだったのだから、それも当然だ。どうやら私に話しかけているらしい。


 「東京から少し」

 「あらぁ、そりゃあ遠くからご苦労さんなことで」

 「ええ、まあ。慣れてますから」

 「いい旅をね」

 「……ありがとうございます」


 こうやって、駅員さんが話しかけてくるなんて東京では考えられないことだ。私は軽くお辞儀をしてスーツケースを転がした。これ以上話したくもなかったし、何よりセミが私の神経を逆撫でしてきて嫌だった。

 こんなに自然に囲まれた場所で、空気も都会のものより随分軽いというのに私は気が重い。


 こんな気分なのも、アイツのせいだ。


 数日前に他の女と籍を入れたアイツ。私の婚約者のことだ。飲み会で偶然再会した元カノとの間に子供が出来たらしい。全く、男運の悪さには笑うしかない。何も、元カノとヨリを戻したことを怒っている訳ではない。軽はずみな言動は止めてもらいたい。ただ、それだけ。アイツのような奴がいるから、大人になっても責任が取れないような若造が多いと言われてしまうのだ。



 今日は、私の実家に挨拶来る予定だった。アイツと二人で来るはずだった。親に紹介するはずだった。結婚します、って。そう言うはずだった。しかしそれら全ては「」だったことに過ぎない。もし彼を引き止めていたら、もし、あの飲み会の日にデートの約束でもしていたら。

 そんな、もしもの今はない。隣には誰も居ないのだ。



 セミは五月蠅いし、暑さで髪の毛は額に張り付く。田舎の道はがたがたしていて思うようにスーツケースの車輪が回らない。そんな小さなことが重なり合って、沸々と苛立ちに変わる。足を止めたその時、木々が音を立てて風を運んできた。そして、私の帽子をさらっていく。


 まるでドラマのように上手く行き過ぎている。日差し除けのための帽子が、川に落ちた。


 「なんなのよ、もう……」


 幸いなのか、川の流れは緩やかで溜まった池のような場所で枝に引っ掛かった。取りに行くことは出来そうだ。しかし、だからといってすぐに入ろうとは思えなかった。靴は脱ぐにしても、必ず洋服は汚れるだろう。何より、帽子一つのためにいい歳した大人が川の中に入るだなんて格好悪い。あれもブランドでは無いし、もう捨ててしまおうか。でも、あれは彼が。


 半分諦めながら、それでいて完全には諦め切れない間で揺れている。


 「もし。どうかされましたか?」


 背後からかけられたのは訛った声。

 振り返るのも億劫で、私は黙っていた。感じの悪いよそ者だ。私が何も言わずにいると、川を見ながら察したように言う。


 「あーぁ、あれですか。ちょいと待っててくれますか。俺が取って来ますから」

 「え、でも」

 「良いんですよ。折角の綺麗な洋服が汚れちゃ嫌でしょう」

 「まあ」

 「それに高そうだなって」

 「そこまでじゃないけれど。それなりに、ね」


 見栄を張って嘘をついた。田舎の男にブランドの名前を言ってもどうせ分からない。ごまかせるはずだ。


 でも、もう良いんです。そう言う前に、男は川の中へと入って行った。膝より少し低いくらいの水ではあったが、何の躊躇いもないようだ。

 じゃぶじゃぶと水をかき分けて、私の帽子を取る。帽子のつばを持たれるから、形が崩れてしまいそうだ。取って貰っている身であるから文句は言えないが。


 「はいよ、ちょいと濡れちょってるから乾かさんと使えんと思うけど」

 「ありがとうございます」


 帽子を受け取ると、足元に水が滴った。スカートの裾が濡れないように体から離す。このまま荷物と帽子を一緒に運ぶのは少し大変そうだ。


 「あれ……レイコちゃん?」

 「え、どうして私の名前」


 名前を呼ばれて、初めて男の顔をよく見てみた。茶褐色の肌は土汚れではなく、日焼け。農家のおじいちゃんが持っているような、麦藁帽にも似たつばが広く網がかった物をかぶっていた。しっかりとは見えないが、どこか懐かしさを覚える。肩から白いタオルをかけているその男は、私に顔を見せるためか帽子を取った。


 「……もしかして、克敏かつとし君なの」

 「そうだよ克敏。やっぱり礼子ちゃんだ。中学の頃とは全然違うから、どこぞのいい女かと思っちょったわ」


 克敏君はクラスの注目の的だった。成績も優秀で、運動も出来た。高校は別だったが、私と同じく東京の大学に進学したと噂で聞いている。実際のところは本人に聞いてみないと分からない。しかし、大学に通う四年間で一度も会うことは無かった。それも、ここと違って人が多い都会では数メートル離れた場所ですれ違ったとしても気付かないからだろう。


 「いい女だって思ったら、誰にでも声かけるの?」

 「こんな田舎じゃ女なんて言うてもオバサンやバアチャンばっかりやからなあ」

 「……信じられない」


 あんなに格好良かった彼は、全く面影を残さず消えていた。流行に敏感で、すらっとしていて、サッカー部のキャプテンだった彼はどこに行ってしまったのか。クラスだけにとどまらず学校の多くの女子を虜にしていた克敏君は。そのうちの一人であった私をこんなに落胆させる程、田舎に染まってしまったというのか。


 「私の知っている克敏君はこんな人じゃない」

 「何を言うてるんか、俺にはよう分からん」

 「……スーツをパリッと着こなして都会で働いているものだと思ってた。なんか、変わっちゃったね」


 私は落胆して、後ずさった。綺麗な思い出がほろほろと朽ちていく感覚だ。


 「なんね、礼子ちゃんも随分変わっちょるやろ」

 「そんなことない」

 「いんや、東京の女言う感じや。ここじゃその服装も浮いちょる」

 「……地味な格好して来たつもりなんだけど」

 「東京ならそうかもしれんが、ここにはそげなひらひらした服着るような若いもんは居らん。悪目立ちして襲われないように気つけ」



 ここに来たのは観光でも、仕事でも無かった。それに、こんなド田舎に観光するほどの場所などない。あるのは田んぼだけだ。


 「そんなこと心配されずとも大丈夫よ。離れていたけれど、私だって地元なんだから」

 「そうやったねえ」

 「実家に少し顔出して帰るくらいだから」

 「ゆっくりして行かんの」

 「仕事あるし」

 「へえ、どこで働いてるんね」

 「東京よ」

 「今も働いちょるん?」

 「ええ」


 本当は数か月、こちらにいることになっていた。アイツを両親に紹介するということもあったのだけれど、実家の手伝いをして欲しいから帰って来いと言われていたのだ。克敏君にすぐに帰ると言ってしまった手前、ここに長居はしたくない。だが、ここまで来て実家に顔を出さないのもいかがなものか。葛藤をしていると、暑くて脱いだ上着のポケットが振動した。


 「あ、」

 「いいよ。気にせずに出て」


 スマホが私を呼び出す。かけてきたのは仕事の後輩で、担当しているプロジェクトで問題が発生したとの報告であった。


 「いいわ、すぐに戻るから」

 「でも……先輩今日から実家に帰るんですよね」

 「さっき着いたところ。田舎で電車が来ないから帰るのは明日の朝になってしまいそうだけれどなるべく早く戻るから」

 「すいません」

 「気にしないで。すぐに連絡くれてありがとう。一緒に何とかしましょう」


 電話を切ると、克敏君は後ろに立っていた。


 「なんね、来たばかり言うんに帰ってしまうんか」

 「ええ、ちょっと仕事で問題があって」

 「ほんなら実家には顔出さんと?」

 「時間がないからこのまま帰るわ。後で連絡入れておくし大丈夫よ。帽子、ありがとうね。それじゃ」


 駅の方に向かって歩き出す。まだ夕方にもなっていないのに、ここに止まる電車は残り二本だった。駅員は私の顔をちらっと見て、声をかけようとしたがそれを拒んだ。すぐにベンチへと腰を下ろしてイヤホンをさす。洋楽がセミの声を消した。

 それから私は東京に帰り、殆ど寝ずに職場へと向かった。連絡すると言っておきながら忘れていて、思い出したのはそれから一週間経った後であった。もう、連絡を入れる必要もないか。


 久しぶりの自宅のベッド。湯船につかるのも一週間ぶりだ。私は携帯の電話帳を開いた。アイツの名前は嫌でも残っているのに、克敏君はいない。それもそうだ。聞いていないのだから、当然だ。あの時は大人げなくかっとして、険悪な雰囲気で逃げるように帰って来てしまった。連絡先を聞くタイミングなど、無いに等しかった。


 「稲刈りの時には戻らないとな」


 本来、田植えの時に取ろうと思っていた長期休暇も呼び出しによって潰されてしまった。まだ四日間も残っている。秋口にまとめて取ってしまおうか。そんなことを考えていれば時間などあっという間に過ぎてしまい、長期休暇の申請書を出す時期になった。



 「この間は、顔を出さずに帰ってしまってすいませんでした」


 実家に到着して、開口一番は謝罪の言葉だった。出迎えてくれた母と居間にあぐらをかいて座ったままの父は、何も言わない。


 「なんで連絡のひとつもよこさなかったね」

 「仕事が立て続けにありまして」

 「失踪でもしたかって、捜索願さ出すところやったんよ」

 「それは、本当にすいません」

 「克敏君にお礼言いに行きんしゃい」


 私が帰った日の夜、克敏君が訪ねて来たらしい。東京に帰ったと伝えに来てくれたのだそうだ。何も知らないと両親が告げると、克敏君はやっぱりと溢したそうだ。


 「アンタねえ……仕事を頑張るのはいいけど、ちゃんとご飯は食べてるんね?」 

 化粧っ気のなくなった母が、両腕の手甲てっこうを外しながら説教染みた物言いをする。私は昨日新しく塗り直したばかりのネイルを指の腹で撫でながら、それが何事も無く終わることを願っていた。


 「もう若くないんやから良い人見つけなさいよ」

 「はいはい」

 「紹介したい人がいるって言ってたじゃない。カレシじゃないの」

 「別れた」

 「どうして別れたん。喧嘩でもしてそのままサヨナラしたわけじゃないやろね」

 「うるさいな」


 「そんなことだから逃げられるんだ」


 新聞を開いていた父が、私のことを否定した。


 「逃げられてない!あんな男……」

 「付き合ってた人を悪く言うのはやめなさい。自分の価値を下げてるんと同じことだ。みっともない。お前が見る目なかっただけやろうに」


 私の何が悪いというのだ。結果的に喧嘩別れになってしまったけれど、その発端を作ったのは向こうだ。浮気をしたのもアイツだし、私は何一つ落ち度はないと思っている。これで、若くないから浮気されるのだと言われたら、私は何も言い返すことが出来ない。ようやく色恋に目を向けられるようになったのが、この歳だったのだ。上京して一人。大学生から頑張って来た。学生時代に付き合っていた人はいるけれど、社会に出てから別れた。それから、忙しくて目を向けられずにあっという間に三十代に仲間入りを果たそうとしている。


 「私の苦労も知らないで、分かったような口聞かないでよ」


 今回こそは。そう思っても、現実は中々うまく行かない。親孝行のために帰省したはずが、こうして喧嘩して家を飛び出している。



 駅のホームはやはり私一人で、がらんとしていた。


 「べっぴんさん、今日も泊まらずに帰るのかい」

 「……ええ、私には居場所がないから」

 「喧嘩でもしたんかいね」

 「私が子供なだけですよ」


 駅員は頷くと私に飴玉をくれた。これで喜び、機嫌を直せる子供であったらどんなに楽だったか。渡された飴はほんのり温かくて、きっとポケットにでも入っていたのだろうと思った。


 電車が来る三十分前、雷雨が襲った。灰色の雲が辺りを覆い、雷の音も近い。早く止まないものかと雨宿りをしていると、先程の駅員がこちらにやって来る。


 「こりゃあ凄い雨ですねえ」

 「そうですね」

 「なんや今連絡が来たんですけどね、この大雨で電車が運休になったらしい言うちょりました」

 「えっ、それは困ります」

 「明日には雨も止むやろうし、今晩一泊していけば宜しいでしょう」


 カプセルホテルが無いのはもちろん、この村に宿泊施設など一軒しかないことを私は知っていた。唯一の宿泊施設は私の実家だ。帰れと言うのか、あそこに。


 「いやいや、どうにかなりませんか」

 「無理やろねえ。電話来た言うことは決まったことやろうし」


 ぐっと握った手のひらに、爪が刺さった。痛い。一晩あの家に居るくらいなら、このホームのベンチで待っていようか。それが出来るか確認をしようとした時だった。


 「礼子」


 聞き覚えのある声に呼ばれる。


 「なんや克敏君の知り合いだったかね」

 「こんなところでこいつは何してるんですか」

 「帰る言うてるんやけど、この大雨やろ。運休やから帰られへん言うてるのに聞いてくれんでなあ」

 「……全く。子供と違うんやから困らせるようなこと言うちょったら駄目なことくらい分かるやろうに。すいません、引き取りますんで許してやってください」

 「気にせんで」


 話の成り行きで、私は克敏の家に泊まることになった。家にお邪魔するのは、小学生以来だ。こんな村で無かったら、男の家に一泊することくらい気にすることも無かった。しかし、ここは狭い村。ちょっとした噂でもすぐに広まる。派手な格好の女が克敏君の家に泊まっていた。明日には、両親の耳にも入ってしまうだろうか。


 「やっぱりいい」

 「他に当てはあるのか」

 「無い……けど」

 「実家にちゃんと帰るか」

 「帰らない」

 「それなら泊まれ。泊まれというか、食ってけよ。明日、新米を炊こうと思ってるんだ」

 

 玄関の扉を開けて、中に入って行く克敏君を追う。家の中は静かで、電気はついていなかった。


 「お邪魔、します」

 「いいよ上がって」


 通された居間は片付いていて、私は荷物を置いてテーブルの近くに座った。


 「遠慮なんてしなくていいから、楽にくつろいでてよ。何もないけど」

 「ありがとう。あの、おじさんとおばさんは出掛けてるの」


 台所から湯呑を二つ持って来てくれた彼は、お茶を注いでくれた。


 「親父死んだんだ」

 「え……おじさん、亡くなったの」

 「ああ、もう七回忌も済んだ」

 「そんなに前」

 「ずっと昔のことのようだよ」

 「……おばさんは?」

 「後を追うように逝った。それからはこの家に一人暮らしさ」


 私は何も知らなかった。子供の頃はどこの家も家族のように出入りしていて、ここのおじさんとおばさんも良くしてくれた。おばさんの握るおにぎりが好きだったと、そんなことを思い出す。


 「線香あげさせて貰ってもいいかな」

 「親父もお袋も喜ぶと思うよ」


 隣の部屋には立派な仏壇があって、そこには花が添えられていた。線香をあげて、両手を合わせる。一連のことが終わるとまた居間へと戻った。

 線香の煙が部屋を辿る。しんみりとした気持ちになった。


 「俺、東京で就職したんだ」


 彼が静寂を嫌がるように話し始めた。


 「え」

 「でも、すぐにこっちに戻って来た」

 「……どうして」

 「親父が倒れたって連絡が来たんだ。折角就職したけど、辞表を出して」

 「そうだったんだ」


 社会人二年目の秋、丁度収穫時期だったそうだ。彼の父親が倒れ、仕事を辞めて戻って来てすぐに父親を継いで農家をすることになったのだという。翌年から数年。克敏君が管理するようになってから不作が続き、農家の厳しさをまざまざと教えられた。彼はどれほどの努力をしたのだろうか。


 「そう言えば訛り、ないのね」

 「じいちゃんやばあちゃんとか、地元の人と話す時は使うけどな」


 その方が馴染みやすいからだと彼は言った。


 「あの帽子のことも」

 「気付いてたよ。ブランドのロゴが違うし」

 「……ごめんなさい」

 「いいよ、いいよ。田舎者には分からないと思ったんだろ。実際、そうだと思うし」


 彼はシャワー浴びて来ると私に告げて、それから数十分して戻って来た。洋服を着替えている。決して派手な訳ではないが、ここでは目立つくらい綺麗な格好だ。


 「そんな服着るんだ」

 「君が見てたのは作業着。汚れてもいいやつ」


 昔から洋服は好きなんだ。克敏君はそう言うと、濡れた髪の毛をタオルで拭いた。その日、雨はやはり止まなくて、長時間の電車のせいで疲れもあってか早々に寝た。期待する何かなんてこれっぽっちも無かった。




 まな板を叩く音で目が覚める。こんな朝、いつぶりだろうか。


 「起きた?おはよう」


 声のする方を振り向けば、克敏君が何やら作っていて、その匂いに誘われるようにパジャマ姿のまま台所へと向かう。


 「朝飯作ってるんだけど、もう少しで炊き上がる頃だから」

 「新米、だっけ」

 「ああ。俺も今年初めて食うんだ」

 「そんな大切なお米、私なんかが食べてもいいの」

 「一人で食う飯って寂しいんだよ」


 彼は油揚げとねぎが入っただけの味噌汁を作り終え、鍋に蓋をした。冷蔵庫の中から幾つか小鉢を取り出す。


 「そろそろいい頃合いかな。開けてみるか?」

 「いいの?」

 「ほら」


 ふきんを渡されて、私は土鍋の蓋を開けた。ほわっと湯気が立ち込めて、炊き立てのご飯の匂いが包んでくれる。


 「美味しそう」


 彼がしゃもじでかき混ぜると、底の方におこげが見えた。


 「私それ食べたい」

 「はいはい」


 彼の分も茶碗を持って、テーブルへと運ぶ。小鉢や味噌汁を運んでいると、ふっくらした鮭が焼きあがったようだった。テーブルを湯気が温かく立ち込める。小鉢の中身を覗くと、山椒の葉の佃煮や胡麻入り昆布、さつまいもの甘煮が入っていた。



 「いただきます」


 つやつやとした新米は甘い。一粒一粒が立っていて、輝いて見える。おかずなんて何もなくても食べられる。しかし、折角用意してくれた物がたくさんあるので、私は小鉢の中のさつまいもを箸で一つ取った。皮つきで甘く煮てあるそれは、私が作る物と味が似ている。山椒の葉の佃煮はご飯の上に乗せて食べた。ぴりっと辛い。

 焼きたての鮭は旬で、脂をたっぷり蓄えていた。口の中で優しく溶ける。


 「凄く美味しい」

 「そうだな。二人で食べるとまた違うよ」


 毎日一人は寂しくなると彼は溢した。私はコンビニで買ったものや、コーヒーだけで済ましてしまうことも多い。どれも一人で食べるのは物足りないことを知っている。独り身になってから、ご飯を美味しいと感じたのは久しぶりだ。私は彼の言葉に「そうね」とだけ返事をした。


 おかずをつまんでいると、どこか懐かしい気持ちになる。見覚えのある皿だと思ったら、実家の宿泊施設で使われているものだ。特別じゃないおかずたち。食べ慣れた味。


 「このおかずってもしかして」

 「朝早く、おばさんが届けに来てくれたんだ」

 「母が来たの?」

 「娘が迷惑かけちゃったから、だって」

 「ふうん」

 「心配してるみたいだったぞ」

 「怒って無かった?」

 「寝顔見て帰っていった」


 炊き立てのごはんは美味しくて、普段朝食は殆ど食べない癖におかわりまでした。彼はそんな私を見かねて、昼のお弁当だとおにぎりを二つ持たせてくれる。


 「色々と、ありがとう」

 「どういたしまして」



 帰りは、克敏君の軽トラックで駅まで送って貰った。


 「なんだかすっきりした顔になりましたねぇ。良かった、良かった」


 昨日と同じ駅員がそこに居る。


 「そんなに顔、違いますか」

 「違う、違う。初めて会ったときなんてそりゃあ声をかけずにはいられないくらいの顔だったからね。ははは」


 「……ありがとうございます」


 結局、克敏君とは連絡先を交換していない。東京の住所だけ教えて来たが、それを使うのは年に一度だろう。年賀状送るからと約束をした。



 「お米送ってくれてもいいよ」

 「ばーか。食いに来いよ」



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