4点シール


 「パン、買いたいんですけど」


 鍵をかけたドアの向こう側に立っているのはきっと、いつもの君。三年C組。図書委員会所属。背が高く運動部から勧誘をされるらしいが、興味がないと全て断っているそうだ。つまり、帰宅部。


 「わかったわよ、今開けるから」


 購買の営業時間はとっくに過ぎていた。しかし私はその鍵を開ける。ドアの向こう側にはやはり彼が居た。本を片手に中へと入ってきた彼の息は、少し上がっているように思える。


 「また、追われてたのね」

 「うん」

 「観念して何か部活に入っちゃえばいいのに」


 そうしたら他の部活からの勧誘が無くなるかもしれないのに。私のその言葉に彼は、嫌だよと首を振った。パイプ椅子に座り、机へと顔を伏せる。ワイシャツの上に着ているセーターが丸まった。


 「加奈子かなこさんはさ、何か部活に入ってたの」

 「私かあ」

 「そう、加奈子さん」


 くぐもった声が私に問いかける。


 「高校生の時はバレーボール部でした」

 「えっ、意外。運動音痴だと思ってた」

 「それは失礼過ぎます」

 「ごめんなさい」

 「って言っても万年補欠で練習にもほぼ出ていないような幽霊部員だったんだけど」

 「何それ。人のこと言えないじゃん」

 「それはそれ、これはこれ」


 私は私。君は君。過ぎてしまった私の話と、今の君の話は違うでしょうと笑う。もっと楽しんでおけば良かったと、後悔はして欲しくない。春は、青いうちに楽しんでおくべきなのだ。


 「大人ってずるいよね」


 彼の言葉には私も含まれていることが良く分かる。いつの間にか私も大人になってしまったのだ。

 この高校に戻って来て、五年くらい経つのだろうか。私は、この購買部で店員をしている。校舎も、購買部の場所も、通っていた頃と何も変わらない。だからこそたまに、あれから時間は経っていないのではないかと錯覚してしまうのだ。


 「あなたもすぐに大人になっちゃうんだから」

 「そんなものかな」

 「きっとそうよ」


 私は残しておいたパンを袋から取り出して、彼に渡した。


 「はい、パンよ」


 彼とは密かに戦っている。戦いと言っても、パンについているシールを集めてどちらが早く限定のクッションを手に入れるかの競争だ。コッペパンや食パンには1点。フレンチトーストやあんぱんには2点。サンドイッチや焼きそばパンは3点。そして、大きなこのパンは4点だ。大きなコッペパンは中身が三種類に分かれている。右側は生クリームといちごジャム、真ん中はマーガリンとあんこ、左はカスタードクリームだ。とびきり甘くて、ずっしりとたまる。これの他にもう一つとはならないが、やはりシールを集めるにはこれが一番早く、安くあがるのだ。


 「……僕に選択権はなしですか」

 「これしか残ってないのよ」


 時計を指さしても彼は不満そうだった。


 「これだって私が食べようと思ってたのよ。譲ってあげるんだから、少しは感謝しなさい」

 「加奈子さんは有利だよね」

 「そうかしら。君が早く来ればもっと選択肢はあるのよ」

 「人混みは苦手なんだ。昼休みのあれは僕にとって地獄でしかない」


 分からなくもない。昼休みが始まってからの購買部は戦場だ。それは私の頃から変わらない。

 4点シールのついた大きなパン。今日は何故か彼が来るような気がして、売り切れる前に取って置いた。


 「これ、量多いじゃないですか」

 「彼女と一緒に食べればいいじゃない」

 「食べないですよ。ダイエットするとか言ってたし」


 普段無気力でポーカーフェイスの君が、少しだけ口を尖らせた。なんだ、彼女居るんじゃない。


 それから彼はほんの少し、口数が多くなって。私はほんの少し静かになった。




 「だったら、私が半分食べようか」

 「えっ。いいんですか」


 断らない辺りが君らしい。机を拭こうとすると彼はパンを持ち上げて、終わるとまた同じ場所にそれを置いた。私は彼の正面に座る。彼はシールをじっと見つめて考えているようだ。そして袋と私を交互に見て、また悩む。


 夕日が差し込んで来る放課後。食堂で君と過ごす、ささやかな時間。


 「負けた気がするから、なんか嫌だ」

 「負けるってどういうこと」

 「加奈子さんにじゃないよ。このパンに負けたような気がするから。4点のシールだけ貰って、戦わずして負けるなんて……なんか嫌だ」


 4点と書かれたシールを見つめ、真面目な顔で言うものだから、少し笑ってしまいそうになる。やはり、こう言うところは子供っぽい。


 「じゃあ頑張って勝ってちょうだい」

 「いや、でも、やっぱり―……」

 「でも、なんて言わないの。男に二言はないんでしょ」

 「僕、そんなこと言った覚えないですけど」


 私は彼からパンを取って、袋を開けた。


 「……あ、」

 「ほら。代わりに開けてあげたよ」

 「今日は夕飯食べられないな」


 そう呟いて、私を見た。無言のお願いをされている。私は溜息をつく。彼はパンを袋から取り出し三等分にして、それをまた半分にちぎった。それが終わると自分の方に三つ取り、黙って食べ始める。私は残された三つを自分の方に近づけた。


 生クリームといちごジャムに混じって黒いあんこが付いている。




 「2点分だからね」

 「嫌ですよ」

 「子供ってずるいわ」

 「お互い様でしょう」


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