お客さん、最後のうどんですよ
「これが最後のうどんですよ」
そんな文句に釣られたのは俺だけじゃ無い。ぞろぞろと連なる人の列がそれを物語っている。男の売り文句を聞いたのは、さてこれで何度目になるのだろうか。狭い店には入りきらんばかりの客。外からでもそれがよく分かるガラス張りの小さな店はひっきりなしにうどんを作っていた。
何が最後のうどんだ。残り一食しかないのかと慌てて並んだ俺が阿保みたいだ。
騙されたと思いながらも一人で長蛇の列に並ぶ。戻りたいのは山々だが一方通行の道は既に戻ることを許されない。店に続く一本道。そして右側には店から帰る人の出口が一本。
「……あとどのくらい待てばいいんだ」
昼休みが終わるまでには帰れるだろうかと徐々に焦りが募る。時間を確かめる為、腕時計を見た。どうせ食べるのはうどんだ。そう時間のかかるものでもないだろう。かきこんでしまえばいい。
それにしても、こんな場所にうどん屋なんてあっただろうか。何度も通っている道だが全く知らなかった。店の前にこれほど行列が出来ているのだから、目を引いてもいいはずだ。だが、ここを通るのは担当しているプロジェクトの打ち合わせから会社へと戻る時だ。慌てていて見逃したのかもしれない。雑誌やテレビの取材は全て断っているのか、取り上げられているのを見かけたことがなかった。
「長いですねえ」
「はあ、そうですね」
後ろに並んでいる女が俺に声をかけてきた。この女も俺と同様、引っ掛かった口か。この女のことを悪く言うことは出来ないが、何もこんなに若くて洒落た人が来る場所かと思ってしまう。昼に女一人。少し寂しいとも思うが、昼メシのことをランチと呼び、チーズやアボカド、カタカナばかりのイタリアンを食べているよりは好感が持てるのかもしれない。
『 特製の出汁 他の店では食べられない! 』
張り紙に大きく書かれている文字。よっぽど自信があるのだろうか。特製の出汁とは少し気になる。何で取っているのだろうか。細かいことは何も記載されていないところをみると、食べて当ててみて下さいと言われているようだ。当ててやろうじゃないか。勝手に対抗意識を持ち始め、にやりと笑みを浮かべていると女がもう一度話しかけて来た。
「不思議ですねえ」
「何がですか」
「こんなに並んでいるのにさっきから誰も店から出てこないんですよ」
確かに、帰る人は、見ていない。店内へ消えていく人々。外から見るに中は満席。それでも次々と入って行くのだから、食べ終えた客が隣の道を歩いてもいいはずだ。何故だ。どうして出てこない。
店内から漏れる嗅いだことのない出汁の香りが空腹を煽る。その香りに女の疑問も、自分の中で生まれた引っ掛かりもすっと消えていく。脳が考えることを拒んでいるようだ。
まあ、どうでもいい。
「次のお客さん、どうぞ」
次は、俺の番だ。
訴えかけてくるその香り。俺は導かれるように店内へと足を進ませた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます