アリの行列


 どうしてアリは行列を作るのか。


 子供の頃、図書室に張り付いて調べたことがある。懐かしい。行儀よく一列に並んで、線となる。しかし行列は、全てのアリが作る訳ではないらしい。どうやらアリは自身の体で作られるにおいのする液を垂らしながら巣に帰り、それを頼りに別のアリがえさまで辿り着く。においに集まってくるそうだ。他の虫たちにもえさの場所を知られてしまうのではないだろうかと疑問に思ったが、その答えは見つけていない。行列は、えさを運ぶ道しるべ。つまり、行列の先には美味しい何かがあるということだ。

 そうは言っても、だ。我慢してまで数時間もその列に並ぼうとする気力はない。空腹は最高の調味料という言葉すらあるのだ。テレビで特集されるような人気のカフェや、星のつく高級店でなくとも十分に美味しいと感じる。並ばずに食べることの出来る古びた定食屋の日替わりランチ500円。ワンコインなんて財布にも優しいじゃないか。


 それなのにどうして、僕は行列に並んでいるのだろうか。


 「結構並びますね」

 「……そう、ですね」


 僕と彼女は同じ会社だった。髪の毛は鎖骨くらいで、笑うと目が細くなる人で、ランチにはいつもお弁当を持って来ていた。自分で作っているのだろうか。実家暮らしだと聞いたことがあるから、母親が作ってくれているのかもしれない。そのお弁当箱の中身は決まって半分は茶色で、そんな地味な色が似合う控えめで静かな女性であった。気にならないと言えば嘘になる。こうして彼女の誘いに乗っているくらいだ。そう、馬鹿にしていたアリにまでなって。


 「並ぶの苦痛じゃないですか」


 長時間の立ちぼうけに思考が停滞してきたのか、ぽろりと口から本音がこぼれた。そんな僕の問いに彼女は少し申し訳なさそうに笑う。その反応を見て、自分の言ったことがデリカシーのない言葉だったと酷く後悔した。これではまるで「並ぶのは苦痛だ」と面と向かって彼女に言っているのと同じではないか。


 「あ、の。すいません気を悪くさせてしま……」

 「私も嫌です。本当は並びたくありません」

 「それならどうして」


 答えを聞く前に、僕たちの順番が来た。席が空いたようだ。


 「ようやく入れますね」

 「……あ、はい」


 と言われたあたりほんの少し安堵したが、やはり僕の内心は簡単に見透かされていた。


 二人掛けのテーブルに通されて、僕たちは向き合って座った。店内は賑わっている。パンケーキ専門店ともあってカップル客や若い女性ばかりだ。場違いではないだろうかとも思ったが、店の隅に自分より年上そうな男性の一人客を見つけて驚いた。女性と来ている分、自分はまだあの人よりは浮いていないだろうか。


 「男一人じゃ入りにくい場所ですね」

 「確かにそうですね。私は女ですけど、それでも一人じゃ入りにくいです」

 「そういうものですか。女性はパンケーキに目がないものかと。……ああ、すいません。偏見かもしれませんね」


 どうにも会話が下手で嫌になる。彼女と二人きりで食事に来ているのにこの様はなんだ。それも、彼女から誘ってくれたというのに。


 「いえ、私もそう思います。今の若い人はこういうものが好きなんだ……へえ、って」

 「なんだか他人事ですね。それにあなたも若いでしょう」

 「ふふ、ありがとうございます。中身は老けてますが」

 「何ですか、それ」

 「実は私、パンケーキ食べるの初めてなんです」


 ちょっと馬鹿にしていた部分もあって、と辺りを気にしているのか彼女は小声になった。


 「それに、お洒落な場所は落ち着かなくて」


 肩に入っていた力が抜けた気がした。僕が緊張しすぎなのかもしれない。年齢が離れている彼女に構えていた自分がいるのだろう。こんな風にお洒落なカフェに誘われてしまったものだから、慣れているものだと思い込んでいた。しかし、彼女も僕と同じような人間なのかもしれない。


 「実は僕も。それに普段好んで甘いものを食べる習慣がないので」

 「本当ですか?それは、その。誘ってしまって申し訳ないです」

 「いや、そんなことないです。あなたと一緒に過ごせるだけで……じゃなくて。なんでもありません、メニュー見ましょう。決めましょう」


 咄嗟にメニューを開き、顔を隠すように持ち上げた。


 「えっと、あの。メニュー反対です」

 「はっ」


 動揺しているのが、バレバレだ。


 僕は諦めてテーブルの上に広げて置いた。二人で一つのメニューを見る。僕でも分かりそうな定番のチョコバナナやシンプルなメープルシロップだけの物もある。フルーツが使われたものは華やかで目を引いた。隣の席に運ばれてきたのをちらっと横目で見ると生クリームのタワー乗っていて、思わず二度見した。彼女も驚いている様子だった。


 「凄いですね、あれ」

 「まるでタワーが乗っているみたいです」

 「本当ですね。全部生クリームなんでしょうか」

 「どうなんでしょう……食べ切るものなんでしょうか」


 メニューに同じものを見つけて食い入るように見る。やはり、写真より実物の方がインパクトが大きい。写真でも十分その凄さは伝わってくるのだが。


 「こんなにあると悩んじゃいます」

 「確かに。良く分からない名前もちらほらとあって僕にはお手上げです」

 「呪文みたいですね」

 「ち、あ。チアシード……って言うんですかこれ。種みたいな」

 「スーパーフードらしいですよ。美容に良いんだとか」

 「詳しいんですね」

 「いえ。テレビで特集されているのをちらっと見かける程度です。私はあまり興味がなくて」


 僕よりは詳しいじゃないですかと言いかけて、真剣にパンケーキを選ぶ彼女を邪魔してはいけないと思ってやめた。子供のようで可愛らしい。


 「これにします」


 数分悩んだ後、彼女が指したのは季節のフルーツが目に鮮やかな期間限定のパンケーキだった。タワーも付いている。


 「お待たせしちゃってすいません。私が占領しちゃって、きっと良く見えなかったですよね」

 「大丈夫ですよ。僕はもう決まってます」

 「どれですか?」

 「シンプルなこれで」


 注文してから暫くして、僕たちの席にも皿が二つ運ばれてきた。レモンバターのシンプルなパンケーキと、フルーツたっぷりのタワー付き。それぞれから良い香りがする。


 「いただきましょう」

 「そうですね、いただきます」


 ナイフを入れると、溶けたバターが断面から染み込んでいくのが分かった。薄めの生地がさくりと切れる。垂れないようにと素早く口の中へと運んだ。


 「……美味しい」


 嫌味のない甘さだ。レモンの酸味が良い。バターの濃厚な香りが鼻から抜けて、思わず頬が緩んだ。これは、良い。

 彼女はタワーを倒さないようにしながら器用に下のパンケーキを食べていた。その表情も幸福感に満ちている。ちらり。彼女と視線が合った。


 「食べますか?」


 僕は手の付けていない場所を彼女に向けて、皿を少し前に出した。


 「良いんですか」

 「僕は気にしないので、どうぞ」

 「ありがとうございます。私のも良かったら」


 結局、タワーが倒れてしまうのを恐れて皿ごと交換した。


 「二人で来ると二種類楽しめていいですね」

 「そうですね」

 「あ。今、食い意地張ってるって思いませんでした?」

 「そんなことは……あるかもです」

 「正直ですね」

 「嘘ついても仕方ないですし」


 いつしか緊張など忘れていた。嫌だ恥ずかしい、と照れる彼女の様子を可愛らしいと思う余裕まであった。


 彼女のパンケーキは僕の頼んだ物と違って厚かった。ふかりと沈んで跳ね返される。真っ白なタワーをナイフで切り取って、パンケーキに付けて一口頂いた。思ったより甘くない。生クリームだと思っていたものはフレッシュなサワークリームでも混ざっているのか、くどくない。寧ろパンケーキ自体の方が甘いのではないだろうかと思いながら噛みしめた。


 それからサラリと会計を済ませることが出来たのかは聞かないで欲しい。


 「今日はありがとうございました」

 「こちらこそありがとうございました」


 扉を押さえつつ、僕は頭を下げた。


 「甘くてランチというよりおやつ感覚でしたね。お腹膨れました?無理していたらどうしようかと」

 「確かに甘かったですね。でも、無理はしていません。普通に美味しかったし、思いのほか甘い物もいけるのだと自分でも新たな発見があった一日でした。ちゃんとお腹も満足しています」


 服の上から腹を撫でた。定食のようなガッツリさは無いが、甘い物は腹に溜まる気がする。


 「良かったです。ふふ、美味しかったですね。あのタワーも食べ切ってしまったなんて驚きです。自分で食べたのに信じられない。それに、並ぶ人の気持ちも分からなくないなと」

 「これも一種の食わず嫌いでしょうか」

 「そうかもしれません」

 「いい機会でした」


 店先で話し込んでいると、後ろからお客さんが出て来た。邪魔になると思い、少し端に避ける。


 「あ、の」

 「はい?」

 「メニューを見ていた時に、私と一緒に過ごせるのがどう……とか聞こえたような気がしたのですが」

 「えっと。あっ……その」


 持っていた車の鍵を地面に落とした。慌てて拾うも、目を合わせることが出来ない。


 「もし、宜しければ。一つ提案なのですが」

 「……はい」


 おそるおそる顔を上げた。



 「また、こうして行列に並んで下さいませんか」

 「え……僕が、ですか」

 「はい。一人だと待ち時間が苦痛でしかありませんが、今日はとっても楽しかったんです。私だけかもしれませんが」

 「僕も……!思いました」

 「本当ですか」

 「はい、嘘はつきません」

 「嬉しいです」


 次は無いなと思っていたものだから、嬉しさのあまり声が上ずる。


 「では、また誘ってもいいですか?」

 「勿論です」

 「良かった」

 「あの、僕からも誘って良いでしょうか」

 「ふふ。もちろんです」


 僕たちは顔を見合わせてくすくすと笑った。






 今でも彼女と行列に並ぶ。彼女を先頭に僕、そして小アリが一匹増えた。


 「パパ、今日は何食べるの」

 「何がいいかな。とびきり美味しいものが食べたいね」

 「ボク、ママと同じのにしようかな」

 「同じものにするのかい。みんな別々のものを頼めば三つも食べられるぞ」

 「やっぱり別のにする!」


 「ふふ、あなたってば欲張り」

 「いいじゃないか。君も食べるだろう」

 「ええ、もちろん」


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