巻き職人


 「明日から数日晴れだって」


 天気予報を見た母が祖母に声をかけた。振り向いた時には既に晴れのマークは消えていたが、祖母はテレビに向かって「始めるかね」と言った。それを合図に、私たちは少し忙しくなる。年末の恒例行事が始まるのだ。


 朝。いつもより少しだけ早くご飯を食べ終えて、庭にあるコンテナの戸を開けた。鍵は壊れてしまっていて意味はないが、なんとなく回しておく。がらがらと重い音を響かせて、戸をずらせば白く豊満な娘たちが並んでいた。

 後ろから祖母がやってきて、娘たちを手に取る。


 「ほら、見てみい」

 「凄いね、太い」

 「そうだろう」


 立派な大根が何本も並ぶ。祖母は私にそれを預けて満足げに笑った。手についた土を払っているのか、手を叩きながら玄関へと戻って行く。


 「中で用意してるからね」


 祖母がまな板や包丁を用意しているうちに、私はその太った大根を洗わなければ。泥を落とす為、外の蛇口を捻ると冷たい水が溢れ出た。手に当たる衝撃で凍ってしまいそうだ。しかし、指先から痛みを伝えて来たそれも数分続くと感覚が鈍ってくる。


 「冷たいとか通り越して……頭痛い」


 白い肌が見えるようになれば、十分。早く家の中に入ろうと大根を掴むも、赤くなった手は言う事を聞いてくれない。一気に持つのを諦めて、何度か往復した。


 「綺麗に洗えたね」

 「お陰で手が真っ赤ですけどね」

 「おばあちゃんはそのくらいじゃ、うんともすんともしないよ」

 「それなら自分でやればいいのに」

 「よし、やるかい」


 私が悪態をついても、祖母は気にしない。それを無かったことにされる。

 祖母は大根をまな板の上にどんと乗せると葉の部分を落とし、青い部分と白い部分を分けるようにざくっと切った。今日は青い方を使うらしい。


 「青い方が甘くなるんだよ」

 「へえ、そうなんだ。どうして?」

 「難しいことは分からないさ。でも、甘くなるんだよ」


 白い部分は千切りにして、人参と合わせて紅白なますになる。この千切りは私の仕事だ。何本も切るのは時間もかかるし、肩も痛くなる。手を動かせば少しずつ大根は細く形を変えるが、それと共に集中力も切れて来る。時間との勝負だ。これからの作業に重い溜息をつきそうになったが、それは感嘆の溜息に変わる。


 「わぁ……」


 輪が生まれて行く。光を通す、輪だ。

 祖母は器用に大根を輪切りにしていく。透き通るように薄く、それでいて途中で切れないように注意するのだという。私はこの作業が苦手で、全て任せてしまう。本当は、慣れるためにやるべきだということも分かってはいるのだが。


 「本当、上手よね」

 「何度も何度もやってるからね」


 薄く輪に切られた大根が、ざるの中に山を作った。これから丸一日風通しの良い外で干す。天気の良い日が条件だ。私たちはそれを三段になった青い干しかごになるべく重ならないように敷き詰めて、吊るした。


 「去年は失敗しちゃったのよね」

 「大変だったねえ」


 干しかご一杯に敷き詰めようと欲をかいたのがいけなかった。重なった部分がそのまま乾いて剥がれなくなってしまったのだ。半分以上が駄目になった。


 「おばあちゃんは休憩しようかね」


 ひと段落すると、丁度様子を伺ったように母が湯呑を持って来た。祖母は椅子に座って熱いお茶を一口啜る。私は休まずに残っている白い部分を千切りにするべく包丁を握った。

 とんとんとん。調子に乗ってくると包丁の音も軽快になる。静かになった祖母はいつの間にか居眠りを始めていた。




 夕暮れ。空がぼうっと橙色に染まる。遠くに飛ぶ鳥が夕日で影になり真っ黒だった。


 「そろそろ取り込んで」


 干しかごを祖母の元へと持っていくと、中の様子を確認して「よし」と頷く。どうやら合格のようだ。干しが足りない時は二日の時もある。その見極めは私には分からないところだが、何かあるのだろうか。


 「じゃあ、夜に巻こうかね」

 「分かった。お母さんにも言っておく」


 そうして夕食後。母に巻くよと伝えれば、食べ終わった食器たちを急いで片付け始めた。私は先にお風呂へと入る。なんだか手がいつもより黄色い。人参のせいだろうか。湯船に浸かりながら指先を見れば、石鹸でいくらか落ちていた。もう少し洗えば落ちそうな気もしたが、これからまた触ることを思い出してそれ以上やめた。

 髪の毛を乾かして居間へと行けば、既に始まっているようだった。母は人参と桃色の生姜を細切りにして、祖母は台所でじゃぶじゃぶと水を出していた。

 干しておいた大根は、よく洗わなければならない。外の風に当てて干しているため、埃や砂が付いてしまう。何回も水を変え、しっかりと洗う。最初の数回の水は茶色く濁るのだそうだ。

 私もこたつに腰を下ろし、目の前に置いてあった柚子を手に取った。巻漬け《まきづけ》には必要不可欠だ。私は柚子の皮を剥き、それを小さく細切りにした。爽やかな香りがする。私の指先は濃い匂いがするのだろう。


 「準備が出来たよ」


 祖母が絞って水気を切った大根をざるごと置いた。

 巻く。始まる。


 こたつには私と母と祖母が入っている。しかし、会話はない。

 くしゃくしゃに丸まった大根を広げ、人参と生姜を入れ、柚子も忘れないように。そして、巻く。少しきつめに巻いておくのがいいだろう。酢に浸すと緩んでしまうから。同じ作業に飽きてくると足りなくなった生姜や柚子を切ったり、まな板一杯に大根を広げ並べて一気に巻いたりした。作った物は瓶の中に行儀よく並べ、そうして段を作っていった。


 酢、砂糖、塩。

 味付けはこんなにもシンプルらしい。所謂甘酢漬けだ。二日くらいで食べられるらしい。大晦日には頃合いだろうか。寒い場所に置いておけば、二週間は持つ。お正月一杯、お世話になりそうだ。冷蔵庫の中に入れておけば良いのだろうが、もしかすると冬の廊下はそれ以上に寒いかもしれない。ストーブを消した夜は特に。


 「明日は昆布巻き作ろうかね」

 「ええ。明日も巻くの?」

 「お母さんは明日仕事だから、あんた手伝ってあげなさいよ。冬休みなんだから」

 「大丈夫。巻くのは夜だよ」

 「……あ、はい。お義母さん」


 年末の恒例。私たちは、三代揃って巻き職人になる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る