12月31日最後のごはん

 年末の歌合戦も半ば。どこかで聞いたことがありそうな男性アーティストの曲がテレビから流れている。特に興味もなく、私はそれを聞いているふりをしながら充電を確認した。大晦日は静かだ。勿論、外に出れば賑わう場所もあるだろうが、私の家は既に眠りについている。年越しだからなどと日を跨ぐまで起きているのは今年も私一人だけだろう。


 「そろそろ行く?」

 「まだ早い気もするけど」

 「遅れるより良いんじゃない」

 「確かに」


 パジャマに身を包んだ母が車の鍵を手に取った。


 「あ、待って」

 「何」

 「カイロ、まだ貼ってない」


 母はこたつに入り直すと肩を震わせながら手のひらを擦り合わせた。早くしてよ、眠いんだから。言葉にはされていないものの、伝わってくる。私は大きい方のカイロを三つ程取り出して前に一つ、後ろに二つ貼り付けた。貼ったばかりのそれは冷たくて、余計に寒く感じる。ストーブの温かさが名残惜しいがそろそろ時間だ。


 玄関の扉を開いた瞬間、今まで寒いと感じていた自分が生ぬるいと思う痛さが全身を襲った。静かで張りつめた空気。今夜はこれに耐えなければならない。


 「暖房つけようか」

 「いや、いい」


 そうして車を走らせていると、五分も経たないうちに到着した。22時28分。まだ時間が早いからかそれほど人は多くない。ちらほら見えるのは、関係者だろうか。


 「行ってきます」

 「うん。よいお年を」

 「あ、そうだね。よいお年を」


 母に手を振って、家へと戻る車を見送る。それがある程度小さくなったのを確認すれば、外にいる人に挨拶しながら中へと入る。


 「今日は宜しくお願いします」

 「ああ、宜しくね」


 襖を開けて部屋へと入る。見慣れた畳の部屋が出迎えてくれる。埃っぽい。私はマフラーを解きながらスイッチを押した。きっともう一人が来る頃には温かい風が出てくるだろう。寒い寒いと思いつつも、コートを脱いで紙袋を近くに引き寄せる。これからこれに着替えるのだ。ようやくじんわりと温かくなってきたカイロにほっとしながら、私は右、左の順で手を交差させた。浴衣は自分で着付けられるけれどやはり綺麗に着るのは難しい。人に着せるのと、自分自身が着るのとでは勝手も違う。


 「え、と。こうだったっけ」


 年に三回着るか着ないかの衣装。サイズもぴったりという訳でもない。その分、余る生地に苦戦する。


 「入りますよ」

 「あ。はい、大丈夫です」


 襖が開いて、馴染みのおばさんが入って来た。名前は覚えられないが、気さくでいい人だ。毎年、何人もの着付けを担当している。


 「ベテランさんにもなると早いねえ」

 「何度やっても自分じゃ着付け出来ないんですけどね」

 「大丈夫よ、やったげる」


 おばさんは、風邪を引いているようで何度も鼻をすすっていた。


 「寒いですね」

 「本当よ。こんなに寒いんだから、嫌になっちゃう」


 途中まで自分で着た筈のものは全て解かれて、ぎゅうっと強めに縛られる。解けないようにね、と言われるが正直苦しい。胸の下あたりで何度もぐるぐるに巻かれて、ああ今年も終わりかと思う。


 「よし、出来た。ほら可愛い」

 「ありがとうございます」


 じゃあね。そう言って部屋を出て行かれると、一人になった。部屋に置いてある鏡に映る自分の姿。白衣はくえ緋袴ひばかまの朱色がぱっと映える。巫女の正装だ。身が引き締まり、寒さなど忘れてしまう。千早ちはやを羽織って胸紐むなひもを結び、髪の毛を一本に結った。千早ちはやの緑の模様が好きだ。背筋が伸びる。朝方には腰が痛くて仕方ないだろうが、これもまた滅多に経験出来ることでもない。


 「もう着ることはないと思ってた」


 赤い唇が緩み、目元の朱も僅かに下がった。




 「それじゃあ、お願いします」

 「はい」


 新しい年を迎える音が聞こえると、私の仕事は本格的に始まる。恭しく頭を下げれば張り詰めた廊下へと出た。


 「明けましておめでとうございます。それでは只今よりご祈祷を始めますのでご案内致します」


 そうして数時間が経ち、初詣の参拝客が作る長蛇の列も少し落ち着いてきた。途切れることはないが。


 「巫女さん」

 「はい」

 「丁度良かった。休憩しておいで」

 「ありがとうございます」


 年末年始、この服を着ている人はまとめてと呼ばれる。一般の人から見えないように気を配りながら関係者が集う離れへと向かう。26時も半分が過ぎた。


 「お疲れ様です」

 「ひと段落した?寒かったでしょう」

 「はい。やっぱりこの時間は冷えますね」

 「あら、運がいい人たちね。お見合いみたい」


 何のことかと奥を覗けば先客が居たようだった。交通規制のために呼ばれていた警察の方々。数人が見える。


 「はは、こんなに若い人と一緒だなんてツイてるな」

 「カミさん以外の女性と話すのなんて、あとは小学生くらいだ」


 数時間ぶりのストーブの温かさ。千早を脱いで畳み、こたつへと入る。冷え切った足袋の中の指先がじんわりとした。


 「お邪魔します」

 「お邪魔だなんてそんなそんな。どうぞ。おじちゃんたちで申し訳ないけれど、ご一緒して下さい」


 話しやすい人ばかり。私もつられて笑えば、目の前にカレーライスが運ばれた。


 「はい、夜食」

 「ありがとうございます。すいません、いただきます」


 レトルトのカレーをかけただけの、カレーライス。器も、そのまま捨てられる発泡スチロールのカレー皿。プラスチックのスプーン。その簡易的さが心地よい。

 一口運ぶ。今年のカレーは辛めだ。ごはんも美味しい。前に食べた時は芯の残った硬いごはんだったなと思い出す。この日の為に、三人で全員の食事を賄うと聞いた。全員、この神社の近くに住む女性らしい。


 「はい、もつ煮と豚汁ね。お漬物も遠慮せず食べて」

 「ありがとうございます」

 「もつ煮、凄く美味しく出来たのよ」


 次々と運ばれてくる料理に圧倒されるも、驚くことはない。これを食べるのも今年で四度目になる。


 「お先、失礼します」


 前に座っていた警察官が食事を終えて帰って行った。ふう、と肩の力が抜ける。やはり少し緊張する。そんな私の姿を見て食事を作ってくれた女性が笑った。


 「……ん、あったかい」


 豚汁は具だくさんで、料理は冷えた体を内側から温めてくれるものばかりであった。人参、ごぼう、大根、ねぎ、玉ねぎ、豚肉。もつ煮も自信作だけあって軟らかい。ぷるんとしたもつを噛んで、豚汁を飲んで、カレーのスパイスで熱くなって。ぎゅうぎゅうに締め付けられている胸下が、最初に比べてよりきつくなった。


 「美味しかったです、ごちそうさまでした」

 「良かったわ」


 そろそろ寅の刻に変わる。今年は、戌年だ。しかし私の中では未だ12月31日。12月31日の26時30分である。ここ数年はこうして夜食を食べている。誰かに作って貰った食事は、温かい。そして、誰かと一緒に食べる食事は美味しさも増すと思う。


 今年最後のごはん、ごちそうさまでした。


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