流れるそうめん
背中に貼られたゼッケンには大きく名前が書かれている。正直、恥ずかしくて着たくない。そんなことを言っても、学校のプールでは自分の好きな水着を着ることは出来なかった。
「指定の水着って可愛くないよね」
並んで順番待ちをしている私は、隣の列に並んでいた
「まあね」
「加代は嫌じゃないの?」
「嫌だけど、学校ってそんなものじゃないの」
小学五年生の夏。お洒落にも興味を持ち始めて、メイクもするようになった。色付きリップは欠かさずに鞄の中のポーチに入れてある。
低学年の頃はお母さんの着せ替え人形だった私も、ようやく自分で洋服を選ぶようになった。水着だって、可愛いものがたくさんあることくらい知っている。この間、家族で行ったデパートには水着コーナーが期間限定で設置されていた。
フリルのついたピンク色のワンピースのようなものや、リボンが可愛い淡い色。海の波のようなレースの少し大人っぽいものや、花柄のパワフルな太陽色もある。
それなのにどうして、指定の水着はこんなに地味で可愛くないのだろう。紺色だし、ひらひらしてないし。
来年もこれを着るということを考えたら、少し気分が下がる。
加代はどんな色が似合うだろう。ちらりと横目で見ると、タイミングこちらを向いた。
「私は泳げればそれでいいかな」
加代は泳ぐのが好きで、スイミングスクールにも通っていた。クロールも平泳ぎも、背泳ぎも出来るらしい。最近はバタフライを練習しているのだとか。
ピーッ。
先生の笛を合図に私も泳ぎ始める。水は冷たいはずなのに、何故か少し温かく感じた。こぽこぽと水の音が心地よい。水の中でも呼吸が出来る魚たちが羨ましい。この、浮遊感が好き。宇宙の無重力もこんな感覚なのだろうか。
「……っはぁ」
50メートルを泳ぎきり、水上へ顔を出した。加代は先に上がっている。私も跳びはねてプールから出る。ずしりと体が重い。水を吸ってしまった気がした。
列に戻ると、泳ぐ人はいなかった。体育座りで次の指示を待つ。私の後ろにいた数人が戻ってくると担任は手を叩く。
「はい、お疲れ様でした」
授業が終わるまで、あと十五分ある。
「このあとは自由時間とします」
「やった」
「はい、静かに」
「五分前になったら上がって下さいね」
ぞろぞろとプールの中に入って行く。全員が一斉に入ると海のように波が立った。身長の低い私は足が付かなくて、不安になる。数分もしないうちに、プールの中は渦を巻いていた。流れるプール。ぐるぐると回って行く。私はその渦に身を任せ、浮遊するだけしていた。空を眺めたくて、仰向けで浮かんだ。太陽の日差しが眩しくてゴーグルをつけてからもう一度浮かぶ。自分で泳ぐのはあんなに疲れるのに、こうして身を任せているだけの状態は心地が良い。
「沈んでいきたい」
ぶくぶくと水中へ潜り、目を閉じる。深い水に包まれて、こぽこぽという音以外何も聞こえなかった。ここは、もしかしたらお母さんのお腹の中なのかもしれない。生まれる前は、こんな風に包まれていたのか。
息が続かなくなって、顔を上げた。やはり苦しくて、酸素がないと生きていけない。
流れを止めないプールはまるで、流しそうめんのようだ。ちゅるりとした喉越し。生姜や刻んだねぎ、胡麻や七味唐辛子。薬味は多いほうがいい。氷でしめた麺は格別だ。そのひと手間をするかしないかでは大きな差が生まれる。
千切りのきゅうりや金糸玉子を入れてもいい。しゃきしゃきの食感は堪らない。大葉や柚子を入れるのも好きだが、家にあっただろうか。
「そろそろ時間ですよ」
笛の音と共に合図がされる。名残惜しいとは思いつつも、私はプールから上がって目を洗った。
今日もまた、プールのはんこが一つ増える。夏休みの間に、いくつ増えるだろうか。それは天候次第だ。濡れた水着の入ったビニール製のかばんを背負い、歩く。髪の毛からは水が滴っていた。
「ねえ、加代」
「どうしたの」
「また明日」
「うん、また明日」
明日も学校に来れば加代に会える。こんがりと焼けた首の後ろがヒリヒリした。
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