思春期トリップ


 カノジョの手作り弁当を食べるのが、俺のちょっとした夢だった。出来る奴は勝ち組だと思っていた。その夢は突然叶ったが、叶ってしまえばなんてことないもので、どうしてこんなことに憧れを抱いていたのか不思議にすらなった。


 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、少しすれば今日もまたいつも通り弁当はやってくる。


 「ねえ、聞いてる?」

 「ああうん。俺もそう思う」

 「あー、やっぱり聞いてない」


 第二ボタンまで開いた隙間から、チラリと誘惑してくるピンクのレースに気をとられていたなどと白状したら彼女の思うツボだろう。短めの箸で卵焼きをつまむと口の中に放り込む。甘い。

 彼女は甘党なのか、全体的に味付けが甘かった。勿論、毎日作ってくれているのだから有り難い。しかし、甘いのだ。煮物も、卵焼きも。元々あまり料理は得意ではないらしく、見かけたことのある冷凍食品のおかずも何品か入っている。最初こそ美味しいと感じていた弁当も、続くとその感情も薄れてくる。正直、母親の作った食べ慣れた味の方がいい気がして、最近は内緒でおにぎりを一つ持ってきていた。そんなこと、カノジョには言えないけれど。


 「ケイくん卵焼き嫌い?」


 半分残った黄色を行儀悪く箸でつついていた所、心配そうな声が目の前から聞こえて来た。眉が下がっている。


 「そんなことないよ、どうして」

 「いつも一番最後に食べてるから」


 自分で意識したことはなかったけれど、どうやらそうらしい。あまりいい反応もしていなかったのだろうか。鏡を見ている訳ではないから確認は出来ないけれど。


 「美味しかったよ、コロッケとか」

 「それはレンジで温めただけ」

 「そっか」


 微妙な空気が流れて、そこで会話は途切れた。空になった弁当箱は俺の前からすっと下げられる。カノジョは二つを包み、鞄へと仕舞った。


 「ごちそうさま」


 カノジョが出来たのは、十六年間で初めてだった。一つ後輩。最初は俺が一年の教室まで行っていたのだが、少し前からこっちに来てもらうようになった。自慢したいから、なんて理由をつけると嬉しそうに来てくれた。実際のところは違うけど。

 本当の理由はカノジョのクラスメイトにあった。ある人から、好意を持たれてしまったらしい。無論、今までの人生でモテたことは記憶する限りないから嬉しいことは嬉しい、はずだった。それが女子からの好意であったなら……という仮定の話になってしまうが。




 「先輩、こんにちは」

 「よっ」


 部活の後輩で、気にかけていた奴だった。その日、俺は体育の授業から戻って来るカノジョを待っている間、そいつと話をしていた。女子だけは別室で着替えてから戻るので、体育のある日は昼が少し遅くなる。


 「あー、腹減った」

 「まだ来ませんね」


 腹が減っていたからだ。後輩の食べていた目の前の弁当が、とても美味しそうに見えた。


 「これもらいっと」

 「あっ、先輩。俺の卵焼き」


 食べかけだったが、気にしなかった。知っていたら少しは気にしたのかもしれないが、友達同士でのシェアなんて誰でもするだろう。丁度そのまま黄色を掴んでいた箸があったものだから、顔を近づけて盗んでやった。


 「ケイくんお待たせ」


 後輩の心拍が速くなっていたことなど知らない。どうやって知れと言うのだ。見た目が変わることもない。僅かに頬が赤かったが、運動後はそうなるものだろう。

 カノジョが後ろから抱き着いて来て、その柔らかな感触に思考は溶けていく。


 それから、俺が一人でいる時を見計らって話しかけてくるようになった。それだけなら何も変わらなかった。しかし彼はただの先輩と後輩という関係を壊した。俺のことを好きだと言ったのだ。




 彼女は予鈴が鳴る前に席を立った。


 「そろそろいくね」

 「まだ余裕あるし俺も下まで行くわ。ちょっと用もあるし」


 鞄を反対側に持ち変えて、手を繋いできた。俺の手は冷たくて、その手が温かく感じる。教室まで送り届けたところで何を言うわけでもなく彼女の手を離した。その時が来たのだ。


 「俺たち別れようか」

 「え」

 「だらだらと関係続けてごめん」

 「どうして、」

 「卵焼きが……いや、なんでもない」

 「他に好きな人でも出来たの」


 心臓がどくんと跳ねる。過るのは、何故か。


 「そうかもしれないな」



 ……元カノは次の日、他の男と手を繋いで歩いていた。きっと、その手は俺より温かい。二人を見て嫌だとは思わなかったが、隣を歩く男がその手をどう感じるのか気になった。





 「なあ佑樹」

 「……圭人先輩。どう、したんですか」


 避けられていた人物からの突然の訪問に、彼は少し驚いているようだった。


 「明日から弁当作って来いよ」


 意味が分からないという表情で、俺を見ている。彼には俺の心境の変化など知る術はないのだから、無理もない。だが俺は、こいつのことが少なからず気になっている。それは認めざるを得ない。


 「昨日、別れたんだ」

 「え」

 「俺から振った」


 何も聞かれていないのに、俺は全てを話した。つまり、明日から食べる弁当がないと。母親に言えば作ってくれるだろうし、こいつに頼む必要など絶対では無かったけれど。


 「卵焼き必須な、あれ美味かった」


 お前に執着してるんだよ、なんて言うのは癪だった。まだ曖昧な感情だ。すぐにはっきりさせる必要はない。ただ単に、卵焼きが食べたいだけかもしれない。






 「はい、どうぞ。先輩の好きな卵焼きです」

 「別に特別好きな訳じゃないんだよな」

 「え、そうなんですか」

 「好んでは食べない」


 いつしか、二人で弁当を食べることにも慣れていた。後輩だということもあり、気を使う必要がないこの関係は心地よい。あの時こいつに言われたあの返事も未だ保留状態だ。


 「入れてくれって言うじゃないですか」

 「まあ、確かに言ってるかもしれない」

 「ですよね」

 「お前の卵焼きは美味いからな」

 「ありがとうございます」



 それだけで十分ですと笑う後輩の頭を俺は黙ってわしゃわしゃ撫でた。



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