キッチンの魔物


 実家には、魔物が住んでいる。その姿を見たことは無いけれど、確実に住み着いている。家中を散らかして暮らしにくくする魔物だ。特にキッチンはお気に入りのようで、片付いたことがない。


 私は片付けるのがすこぶる苦手だ。やろうと思えば人並みに片付けをするし、学生の頃の掃除はサボらなかった。寧ろ丁寧に隅々までやるようなタイプだったし。それなのに、何故散らかってしまうのか。やはり魔物の仕業としか考えられない。


 「どうしてこうなるの」


 ほんの数日前に片付けたはずのキッチンは、まるで泥棒に入られたのではないかと勘違い良いしてもいいくらい酷く荒れていた。


 「片付けた気になっていただけ……とかないよね」


 夢じゃない。レシートの日付は二日前。百円で買ったカゴや収納グッズ、掃除をするためのスポンジなど内訳が書かれている。これはしっかりと記憶にある。自分が買ったものだ。図書館で借りて来た整理整頓の本を参考に、それらを用意して一気にキッチン改造を図った。


 床に無造作に放置された野菜たちは冷蔵庫の野菜室に仕舞い、期限の切れた調味料たちは処分もした。ついでに砂糖や醤油などを補充しておく。閉ざされた棚の奥には使い道すら分からない調味料がいくつもあった。誰が、何のために買ったのか。こんなにも食卓に並ばないところをみると、家族の記憶からも消えていることだろう。この事件は迷宮入り決定だ。

 備え付けの収納は油で汚れていて、ラスボスのように固まっていた。扉を開けるために引っ張って勢いよく尻餅をついてしまったのはちょっとした誤算であるが、それが祖母でなく自分であったことが幸いだと考えることにしよう。


 他の家を見てみたい。もしくは他の人の家の様子を家族に見せて、少しは片付けないといけないと考えを変えるきっかけを作りたい。自分の家以外のキッチンなど、見る機会はほとんどない。冷蔵庫の中身や収納棚の中がどのようになっているかなどを知る術は全くないと言ってもいいだろう。



 「……はあ」


 溜息をつく。物の多さに眩暈がするような気がして目を閉じた。

 ガサガサ……ガサガサ。何やら、物音がする。



 「え、」


 私の目の前にピンク色の大きな物体。のそのそと丸まった背中。これは、魔物か。二メートルくらいの大きさで少し太った生き物。それは袋の中の野菜を漁っていた。触られたその野菜は生気を無くしたように腐っていく。


 「そこで何をしてるんですか」


 声を掛けてから、自分のことを心底馬鹿だと思った。目の前にいるのは明らかに異様な生き物。自分に危害を加えないとも限らない。


 「おや、ボクのことが見えるのかい」

 「……えっと、見えません」

 「嘘はいけないよ」

 「すいません」


 私は諦めて頭を下げた。ピンク色の体は私に近付いてくる。



 「あの、すいません。食べないで」

 「ええ……」

 「私、えと、その……美味しくないと思うので!」



 来ないで欲しいと手を伸ばして抵抗してみるが、そんなことなど意味を持たないことくらいすぐに分かる。私より大きなその体に敵うはずもない。


 「そんなあ。ボクって人間食べそうな雰囲気出してる?」

 「……はい」

 「嫌だなあ。そんなことしないよ。僕らの主食は放置された食べ物の生気であって、人間じゃないよ」



 まあ、見ていてよ。そう言うと、その生き物は私の足元に転がっていたトマトを手に取った。



 「んむむ。これは中々」


 口元に運ぶことは無かったが、触れた瞬間にその場所からトマトはぐずぐずに腐って行く。どうやらこの生き物の食事はこれで済むらしい。


 「はあ、美味しかった」


 満足そうにぺろりと舌を出してにやりと笑った。



 「この家は本当に有り難いよね」

 「何が、ですか」

 「たくさんの食材が使われずに有り余ってる。ボクは食事に困らなくて助かってるんだ」



 この怪物が家中の食べ物を腐らせているというのか。それは困る。



 「ねえ君、ボクは怪物じゃないよ」

 「えっ」

 「心を少しだけ読めるんだ。ああっ、気味悪がって逃げないでね」

 「……はあ」

 「ボクは何なのかって思っているんだね。教えてあげる。食べ物の妖精だよ」

 「……妖精」

 「そうだよ。本当はね、食べ物を無駄にして欲しくないんだ。それなのに君たちの家族は、余るほど食べ物を買ってくるんだもの。勿体無くて、ボク少し怒っちゃった」

 「ごめんなさい」


 彼はゾウのように長い鼻を左右に振って風を起こした。頬を膨らますと両手を腰に当てる。


 「ボクが代わりに食べてあげてたんだけど、そろそろ他の家にも行かなくちゃ。世界には食べ物に困る国があるのに、捨てられてゴミになってしまう食べ物も山のようにあるんだ」


 「そう、なんですね」


 「ボクとお話したんだから、君も分かるよね。これからは食べ物を極力無駄にしないこと。約束してね」



 私が返事をする前に、食べ物の妖精と名乗る彼はポップなピンク色のおしりを振ってどこかに消えていった。




 あれから彼を見たことは一度もない。



 「ねえ、お母さん。これ悪くなりそうだから今日使っちゃおう」

 「あら。そうね、教えてくれてありがとう」

 「どういたしまして。食べ物は無駄にしないように使わないと」



 あのね、私食べ物の妖精に会ったことがあるの。


 そんなこと言っても誰も信じてくれないだろうし、私がおかしくなってしまったのかと家族は心配するだろうから言わないけれど。これだけは言わせて。


 妖精ってもっとスッとした可愛らしい物だと思ってた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る