炊き立てごはんのあるところ
二條 有紀
マーマレードをとかして、まぜて
あれは一般的にトーストしたパンに塗る物だと思う。
クリスマスはおばあちゃんの家で過ごすのが家の決まりだった。車で山道を走ること一時間半。って言っても、ここまで来るのに二度くらいサービスエリアで休憩しているけど。母は運転が嫌いだ。免許は一応持っているみたいだけれど、父の運転する車にしか乗ったことがない。こうしておばあちゃんの家に行く時だって母の定位置は助手席。長距離の運転でも代わることはない。私は背もたれに寄りかかり、窓から外を見た。外と中の差で出来た曇りが一点に集まり、水滴となってつうっと縦を描く。車内は暖房のおかげで快適だが、外は随分と寒そうだ。
「お、これは降りそうだな」
父が運転しながら空の様子を見た。「あら本当」母もその言葉に続く。
「今年は特別なクリスマスになりそうな予感ね」
「本当に雪が好きだな」
「ええ。だって全てを覆ってしまうのよ!まるで別世界に来たんじゃないかって思わない?わくわくしない人がいるなら会ってみたいくらい」
無邪気な子供のように話す母。私はこんな風にいつまでも夢を見ている母の癖が好きじゃなかった。それを今まで何度も見て来たであろう父は特に何も言わずに頷いている。
「……いい歳して」
「ん、何か言った?」
「何も」
「あらそう?呼ばれた気がしたけど、気のせいかしら」
私は母のような癖は受け継がなかった。大いに良かったと思っている。冷めていると言われることもあるが、違うと思う。母が夢を見がちなのだ。
車を庭に停めて、エンジンを切るとおばあちゃんとおじいちゃんが出迎えてくれた。おじいちゃんは寒いのが苦手で、私たちの姿を見るとすぐに家の中へと入ってしまう。おばあちゃんは私の姿を見れば「よく来たね」とゆっくりと微笑み、父が車から降りれば「遠いところからお疲れ様」とねぎらっていた。母は実家ということもありいつも以上に開放的である。泊まりの荷物は中々に多い。その殆どが洋服だが、お洒落を楽しむものではない。防寒である。これ以上減らすのも無理だろう。何しろ、こんなに寒いのだから。「おばあちゃん、久しぶり」そう言った息が途端に白く染まった。
「久しぶりだね。昨年よりも大人っぽくなって。ああ、ここじゃ寒いから中に入ろうね」
指先がじわりと赤くなって痛かったので、私はすぐに家へと入った。部屋の中は暖かかった。おばあちゃんの家には暖炉があって、そこには薪がくべられている。炎がゆらりと揺れ、ぱき、ぱちと音を立てていた。暖炉の前には椅子があり、おじいちゃんはそこに座ってよく居眠りをしている。私は椅子ではなく、暖炉の前の床に直接座るのが好きだ。おじいちゃんを起こさないように静かに座っているが、しばらくすると同じようにうとうとし始める。私は荷物を置くとお気に入りの場所で暖を取ろうとした。しかしそれは母によって阻害される。
「ねえ、たまにはあなたも料理手伝いなさいよ」
「え」
「毎年私が手伝ってるけど、そうね今年はあなたに任せるわ」
母がこうして勝手に決める時は異論を認めない。おばあちゃんは肩を竦めて顔を左右に振った。
おばあちゃんにエプロンを借りて、キッチンに立つ。クリスマスパーティーの料理は毎年おばあちゃんのお手製だった。もう既に何品か作り始めている様子で、ボウルには下味のついた魚や、切った野菜が入っている。三つあるコンロは二つ埋まっていて、私が手伝えることはあるのだろうかと不安になった。
「料理上手っていいね。羨ましい」
「ありがとう。この歳になるまで幾度も作ってきたからね」
「私、何手伝えばいい?」
「それじゃあこれを和えてくれるかい」
私が出来たのは、本当に簡単なお手伝いだった。ドレッシングを和えたり、冷蔵庫から材料を持って来たり、オーブンシートの上に焼く物を並べたりした。赤い鍋がぐつぐつと音を立てている。「これは何を作ってるの?」「あけてごらん」鍋掴みを渡され、湯気に注意しながら開ける。ふわっと一気に白い雲が立ち上り、それが消えると中には鶏肉がごろんと煮込まれていた。
「あ、これ私の好きなやつ」
「美味しいって食べてくれるから今年も張り切って作っちゃったのよ」
「優しい味でほんのり甘くて、凄く好き」
おばあちゃんは嬉しそうに笑っている。私は待ちきれなくなって、隠れてスプーンで一口、味見をした。「ん?」いつもと味が違う。私が首を傾げていると「そろそろいい頃合いかね」そう言うとおばあちゃんは冷蔵庫から瓶を取り出した。
「何これ」
「隠し味よ。ほんのり甘い優しい正体。マーマレードをとかして、まぜて……」
少しすくって私に渡す。小皿にはスープが入っていた。
「……美味しい」
「ふふ、ありがとう」
それから料理は着々と完成して、温かいうちにテーブルへと運ばれて行った。テーブルクロスはクリスマスカラーで、いつの間にかツリーも飾り付けられている。きっと母だろう。私が人数分の食器やフォークなどを取りにキッチンへと戻ると窓から白く小さな粒が見えた。
「あ、」
「降り始めたみたいね」
気付くと母が後ろにいた。ひらひらと舞うように散っている。
「ここでの雪は初めてだったかしら」
「初めて」
「どう?素敵でしょう」
「うん」
不思議と母の得意げな顔にもイライラしなかった。明日には積もった雪が別世界へと連れて行ってくれるのだろうか。
「メリークリスマス」
いただきますの代わりに声を揃えて言い、母がクラッカーを鳴らした。来年は最初からキッチンに入ってあの料理を教えて貰おうと思いながらも、私は今あるお皿の中の優しい味を口いっぱいに頬張った。
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