親子丼になれなくていい


 大学の帰り、見慣れた背中を見つけて声をかける。


 「今帰りか」

 「あ、お兄ちゃん」


 妹の右側に並び、荷物を受け取る。


 「随分買ったな」

 「うん、学校帰りにね。スーパーの特売日だったから」


 買い物袋を両手に一つずつ。ずしりと重い。何を作る気だろうか。少し買い過ぎではないだろうかとも思ったが、特売日だと言っていたから許してあげよう。妹のことだ、無駄な物を買うようなことはしていないはずだ。

 食事は当番制にしていた。用事があってどうしても無理だという時や風邪を引いてしまったりすれば話は別であるが、基本的には交互に作る。食費の管理は妹に殆ど任せていた。最初の頃こそ渡した食費が足りなくなってしまうことがあったが、今ではそんなことはない。一か月のやりくりの方法が分かって来たのか、今月はこれだけ余ったなどと小銭を見せて来る。小銭は次に回さず、貯金箱に入れている。そして、外食に行きたい時に使うのだ。そろそろ行ける頃かもしれない。次の土曜日までに妹へどこに行きたいかを聞いておくことにする。


 こうやって二人で家に帰ることも、俺たちには珍しいことではない。

 妹と二人暮らしを始めて二年。大学三年の俺は、妹より一年多くここに住んでいる。中学三年の時、妹はこっちの大学に進学したいと高校を受けた。両親も無理だと思っていたのか、受験を許してくれたようだが妹は本当に合格してみせた。両親は娘を家から離れた場所で一人にするのは嫌だったそうだが、約束をしてしまった以上文句は言えなかった。条件として兄妹で住むことを親に提示された。妹は、俺の家から高校に通っている。


 「ただいまー」


 マンションの鍵を開けると、妹は玄関で決まって言う。俺と一緒に帰って来た時は、その返事に答える人は誰もいないと分かっているはずだろうに。それでも「ただいま」は欠かさない。誰かの返事が聞こえたらもう一度ドアを閉めるべきか。とりあえず、今のところ返事が聞こえてきたことは無い。


 「はいはい、おかえり」


 俺は靴を脱ぎながら、妹の背中にそう声をかけた。スーパーの袋を片手に合わせて、脱いだ靴を揃える。


 「手洗いうがいはしっかりしろよ」

 「分かってますよ」

 「最近風邪が流行ってるみたいだから」

 「え、そうなの」

 「ああ。大学の先輩とかも咳してた」


 自分でも妹を随分と子供扱いしていると思う。だが俺にとっては生まれたときから知っている妹なのだから、いつまで経っても俺の後ろをついてくる小さな子供のような気がしてならない。二十歳を過ぎた俺も両親にとっては子供であるし、実家に帰れば小学生の時に好きだった生姜焼きを毎回のように母親は作ってくれる。そんなものだ。


 俺が荷物をリビングに運んでいると、洗面所の方からガラガラとうがいをする音が聞こえて来た。妹と入れ替わりで俺も手を洗いに行く。



 「で、何を作ってくれるんだ」


 買い物袋の中身をちらりと見て、肉や魚のパックを冷蔵庫に入れ終わった頃、ようやく妹が制服から着替えてきた。


 「えっと」

 「こんなに買って来たんだ。何か作るんだろう」

 「お兄ちゃんの作る親子丼、食べたいな……なんて」

 「当番は」

 「テスト一週間前に入ったのでお兄ちゃんに頼めないかなあ……と。駄目、かな」


 そうやって見上げてくるのは幼い頃から変わらない。


 「あーもう、分かったよ。作ってやるから」

 「ありがとう!」


 嬉しそうに笑顔を見せる妹に、待ってろと言ってから玉ねぎを取り出した。妹は俺の後ろから顔を覗かせて料理をするのを見ている。


 「そうやって見ているつもりか」

 「うん。駄目?」


 妹は玉ねぎが苦手だ。食べないとかそういうことではない。玉ねぎを切る時に出る何かの物質に弱く、切っているのが俺でもぽろぽろと涙を零すのだ。全く、俺が泣かせているみたいで気分が良いものではない。


 「どうせまた泣くんだから、向こう行ってろ」

 「少しくらいなら大丈夫」

 「涙目のやつが何言ってるんだよ」

 「んもう、分かったよ」


 妹は渋々リビングに行くと、ソファーへと腰かけた。そのままテレビをつけて見始めるのかと思ったら、こっちを向いて目が合ったのでなんとなく逸らしてしまった。


 俺はいつも通り材料を切り終えたあと、フライパンを取り出す。油を少し引いて、薄くスライスした玉ねぎを炒め始めた。隣で沸かしておいた水が沸騰したようだ。鰹節を適当に掴み、中に入れる。ふわっと広がってすぐ、沈んで行った。使えるように濾しておく。透き通って来る頃合いで鶏肉も入れ、ほんの少し焼き目を付けた後出汁を入れた。砂糖、みりん、醤油を入れてくつくつと煮込む。卵を二つ割り、素早くかき混ぜながら出汁の中に溶き入れた。蓋を閉める。


 「ご飯、好きなだけ入れてくれ」

 「この丼ぶりでいいの?」

 「ああ」

 「お兄ちゃんのはどうする?」

 「頼んでいいか」

 「多め、少なめ?」

 「ちょっと多め」

 「はーい」


 どんぶりが俺の横に置かれて、火を消した。蓋を開けると黄と白のマーブルが映える。ふわっふわ。白身はぷるんとしている。崩さぬようにどんぶりへ移し、妹の前に一つ差し出す。


 「出来たぞ」

 「わあっ、美味しそう」

 「食ってみろよ。美味しそうじゃなくて、美味しいから」


 妹が嬉しそうに目を輝かせてふるりと卵を震わせて口の中へ入れた。美味しい、と笑みをこぼすのは無邪気な子供だ。その表情を見てほっとする。人に食べて貰う時の緊張は何度味わっても慣れないが、美味しいと言って貰えた時の喜びを思うとやめられない。俺は大きく口を開けてかき込んだ。我ながら美味しい。



 夢中で食べる妹の微笑ましさと、自分の作ったものを美味しそうに食べる嬉しさとで頬が緩む。そんな間抜け面を妹に見られてしまったが、「俺の作った親子丼はにやけるほど美味いな」なんて言って誤魔化した。



 食後、作ったお礼に妹が食器を洗ってくれた。勉強は良いのかと口出ししたくもなったが、腹がいっぱいで動きたくない。洗ってくれるのならば、任せてしまおうとずる賢さが勝ってしまう。


 「……」

 「ほら、それ片付けろ。洗い物終わったら勉強みてやるから」

 「別に教えてもらわなくたって……」

 「いいから、ほら。テストで悪い点数でも取られたら母さんに合わせる顔がない」

 「お兄ちゃんに言われなくたって、ちゃんと勉強してるよ」


 兄妹一緒に暮らしているのだから、協力して生活していけばいい。頼るとか、頼られるとか。迷惑だとか。そんなこと気にした関係ではないはずだ。卵と鶏肉のように俺達は親子ではないし、どちらかと言えば俺も鶏ではなく卵だけれど。卵だって二つあれば、一つよりいい。親子丼の卵だって、二つの方が美味くなる。


 「分かったよ。解けないところがあったら兄ちゃんの部屋おいで。教えてやるから」

 「うん」

 「あ、そうだ。外食行くならどこがいい」

 「うーん、そうだなあ」

 「考えておいて」


 テスト終わったら食べに行こう。


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