ちょっと、家出してきます


 「ねえ、本当にするの?」


 「当たり前でしょう、一度言ったことは守らないと。ほら、男に二言は無いって言うし」

 「いやいや、ちーちゃん女の子だから。もし男だったらびっくりだな。今まで気付かなかった俺は相当なアホだし、隠してたちーちゃんは上手すぎる。女の子が好きだよ、俺」


 何がどうしてこうなったのか。それが分かれば俺にも対処の術があったなと思いつつ、三度目の制止は失敗に終わった。二度あることは三度あると言うけれど、俺は三度目の正直の方を望んでいた。神様、選択間違えたんですかね。それとも今日はこうなる運命だったか……どちらかしかなさそうだけど。

 大きめのリュックに着替えや最低限必要なものを入れていく彼女の手際に感心しながら、スマホで時間を確認する。14時7分。


 「これでよし」


 チャックを閉める音が聞こえて、振り向けば上着に手袋、マフラーに帽子と完全装備の君がいて、一瞬その姿が雪だるまのように見えたものだから吹いてしまいそうになった。


 「随分と重装備ですね」

 「冬だよ?このくらいしておかないと」


 寒いなら家で大人しくしておけばいいものを。


 「レッツゴー!」

 「……」

 「ほら、たーくん元気ないぞ」

 「ゴーって、どこに行んですか隊長」

 「考えてない!」


 にっと笑う。やっぱり可愛いな、なんて思ってしまう自分がいて、惚れた弱みとはこういうものかと苦笑した。わがままもこのくらいなら付き合えちゃうんだよな。

 隊長と呼ばれた君は気分を良くしたのか、足取り軽く家を出る。「いってきます」なんて、家出をする人は言わないと思うよ、とはツッコミを入れなかったけど。気分良くいるならそのままでいい。千紘の気の向くまま、その後ろを歩数半分でついていく。

 必要最低限とは言えどリュックは小柄な彼女には重たそうだ。天気のいい日にコートにマフラー、帽子の完全装備も重なってか、すれ違う人の視線は分かりやすくそっちに向いていた。マスクとサングラスでビンゴなんだけどな。サングラスは濃い黒でその人の目が見えなくなる奴。俺がその格好で歩いていたら確実に警察に職質を受けそうだ。


 しかし、こんな風に完全装備をしていても千紘のことを不審者だと思う人はいないだろう。相当寒がりか、風邪でも引いているかと勘違いするのではないだろうか。無害なオーラがある。本人には言えないが、小さいって偉大だ。


 そんなことを考えながら歩いていると目の前の小さな帽子は直角に左へと曲がった。人通りの多い道へ出ると見失うので、咄嗟にマフラーの端を掴む。


 「うわあっ……く、苦しい」


 二歩、三歩と進めば輪は小さくなり呼吸を圧迫する。


 「あ、ごめん」

 「たーくん酷い、酷いぞ。むむ」


 掴んでいた手を離し、そのまま手の平を広げたまま降参とばかりに顔の両横へと持って行く。輪を緩めた彼女はくるりと振り返り唇を尖らせた。


 「隊長に反発する気ですか」

 「いやいやとんでもない」

 「全く、危うく窒息死するところだったよ」


 部下に背後から狙われるだなんて、と俺を部下呼ばわりして溜息をつく雪だるまの言葉は左耳から右耳へするりと通過させる。どうやら俺の名前はころころと変わるようだ。


 「それより、隊長」

 「なんだねワトソン君」

 「少し休憩しませんか」

 「私も今そう提案しようと思っていたんだ」


 目の前にあるMサイズのポテト。きっとこれは、3時のおやつだ。千紘は甘そうなバニラシェイクを頼んだ。2つ頼もうとするのを止めて俺はホットコーヒーを注文する。


 「んんー甘い、暑かったあ」


 完全装備を全部椅子に置いて太めのストローを幸せそうに吸う。やはりあの格好は間違いだったようだ。


 「それで、どうして家出なんて言い出したんですか」

 「毎日家でごろごろ。休日だって言ってもたーくんが来てくれる。家から1歩も出ないで気付けは寝る時間なんて良くあること。そんなんじゃ愛想尽かされるわよ、と母が」

 「それと家出が結びつきません」



 千紘は目を逸らしながら小さく呟く。


 「家から出る、でしょ?」


 コーヒーを危うく溢すとことだった。セーフ。


 「えっとですね、チヒロさん。親に無断で家を出て、帰らないことを家出って言うんですよ。知ってますか」

 「えっ」

 「いってきますって言ってましたよね。その時点で家出かちょっとお出かけか微妙なラインですけど」

 「……い、家出くらいちゃんと分かってるよ。家に戻る気なんてさらさら無いもん。今日の夕飯が私の好きなハンバーグだって言ってたけど、全然羨ましくなんてないし」


 なんだろう、この小動物のような、子供のような、そしていじめたくなるこの感じは。家に帰る気満々だったらしい彼女は目の前でぷるぷると震えている。


 「どうしたの」

 「何時に帰ってくるの、だって。お母さんに返事しなくちゃ」


 『家出だよ、今日は帰らないから』


 送信すると直ぐに既読がついて、ハンバーグは冷蔵庫に入れておくから明日食べなさいという言葉に、ありがとうの文字を打っているのが見えた。


 「今日はたーくんの家に泊まる」






 ……あ、もしもし。はい、ええ。

 はい。俺の家に泊まることになりました。

 明日のお昼までにはちゃんと家まで送りますよ。

 心配しないで下さい。

 ……えっ、俺の分まであるんですか?

 嬉しいな、ありがとうございます。お昼に一緒に食べますね。

 協力してもらった上にハンバーグまで。いいのかな、俺。



 とりあえず、千紘のお母さんのお陰で成功です。



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