リーゼロッテのおかえし


 私は、とあるお屋敷に住んでおります。町でも有名な場所でございますが、ここはとても過ごしやすく静かでありました。庭には幾つもの花や木が植えられていて、季節を知らせてくれます。丁度、これからの時期は庭が華やかになって行くでしょう。スノードロップはつい先日見頃を過ぎてしまいましたが、クロッカスやアーモンド、りんごの花も咲き始めています。家にあるクロッカスは紫と白なのですが、私は紫が気に入っています。まるでドレスのような鮮やかさ。あなたも一目見ればきっと気に入ってしまうでしょうね。


 アーモンドの花を見たことがないと仰るのね。とても可憐で愛らしいのに、勿体無いわ。アーモンドの花は、薄桃色で小さいの。日本の桜によく似ていると思うわ。私にはペンフレンドがいるのだけれど、その彼は日本に住んでいて、色々なことを私に教えてくれるのよ。とても素敵な人なの。


 庭の先の小高い丘を下りた場所は、タンポポの絨毯が一面に引かれていることでしょう。お散歩や花を摘みに行く時は決まってその丘を下ります。

 私はこの家が好きでしたし、とても自慢でした。だって、童話に出て来る綺麗な場所は、全てここにあるのではないかと思うくらいには素敵な場所なんですもの。


 どれほどこのお屋敷が素晴らしいか。それをあなたにも知って頂きたくて、たくさん話しましたけれど、私はこの家の主ではございません。ドレッサーの二段目から続く壁の奥。そこは階段の内部と繋がっていて、私はそこに住まわせて頂いております。

 リーゼロッテ。それが私の名前ですが、ファミリーネームはありません。どうしても必要な場合はリーゼロッテ・ベルツとこの家の主人の名前を借りています。友人からは親しみを込めてリーゼやリリーと呼ばれることが多いですね。



 フランカはベルツ家の一人娘でありました。彼女は幼い頃から優しい子で、お父様やお母様の言いつけを守る良い子でした。フランカは五歳の誕生日にドレッサーをプレゼントして貰い、それから今に至るまで大切に使って来たのです。

 ドレッサーの中には彼女の大切なものがたくさん入っておりました。まだ子供ですから、高価なものはありませんでしたがどれも丁寧に作られた素敵なものばかりでした。


 フランカは午後になるとお茶をするのが日課でした。近所に住む幼馴染のカティ・エルトルを家に呼び、ハーブティーを楽しむのです。私はその時に食べるクッキーのかけらや、ハーブを頂いて生活しておりました。もちろん、キッチンへ忍び込み食べ物を少し分けて頂くこともありましたが、私一人が食べる分など人間の皆さまには到底気付くことのない微々たるものでございます。

 昨日はカモミールティーの香りがしましたが、今日はピーチメルバのようでした。ピーチメルバと言っても、バニラのアイスクリームの上に桃のシロップ漬けを乗せたあれではありません。ハーブティーです。その香りが、私の部屋にも漂って来ます。うっとりとしてしまうその香りに、誘われるようフランカの部屋を覗きました。フランカはカティと一緒にそのハーブティーを楽しんでいます。


 「今日はピーチメルバティーなのね」

 「ええ、そうよ」

 「とっても素敵な香り。果肉もたっぷり入っていて贅沢」

 「そうでしょう。これを飲めば落ち込んだ気分も飛んで行ってしまうくらいだもの」


 カティはスコーンを皿に取り、ジャムを引き寄せたようでした。私の好きなクロッカスと同じ、紫色のジャムです。ブルーベリーのジャムをスプーンですくい、スコーンにつけようとするとフランカがそれを止めます。


 「まあ。ちょっと待って、カティ」

 「どうしたの」

 「それはブルーベリージャムよ」

 「ええ、そうね」

 「どうしてストロベリーがあるのにそちらにするのかしら」

 「あらいけない?」


 バラの花のような赤いジャムをフランカはカティに差し出して、勧めます。


 「カティ、こちらのほうがいいと思うわ」

 「ねえ、フランカ」

 「なに?」

 「私はブルーベリーの方が好きなの。何をつけて食べてもいいと思うわ」

 「なんてこと。ストロベリーの良さが分からないなんて」


 カティはスコーンを食べることなく、ハーブティーも途中で席を立ちました。二人の間に重い空気が流れます。


 「用事を思い出してしまったので、これで失礼するわ」


 用事があるというのはきっと嘘だろうと、私は思いました。カティはフランカと喧嘩をしたのです。フランカはそのことに気付いているのかいないのか、その後も一人でピーチメルバティーを飲みました。甘い香りが漂っていたはずの部屋は、冷めてしまったからなのか香りがしないように思いました。

 スコーンはひとつも手を付けずに残っていました。ですから今日に限っては、かけらではなくそのまま一つ頂きました。


 それからカティを見ることは、数日間ありませんでした。フランカはその間、ティータイムの用意はするものの飲まずに午後を過ごしているようでした。




 「久しぶりだね、リーゼロッテ」

 「あら、アドルファ!」


 アドルファは私の古くからの友人でした。幼い頃は隣の家同士で、毎日のように遊んでいました。蝶々が秘密にしている甘いミツを探したり、昼寝をしているテントウムシの丸の数を数えたり、花の迷路で迷ったりもしました。私がベルツ家に引っ越してからは、頻繁に会うことは出来なくなってしまいました。それでもたまにお茶をして、隠し事など無く何でも話せる仲でした。

 アドルファと私は半年ぶりの再開を喜びました。抱き合った後、彼は手土産のハーブを渡してくれました。包みの中に入っていたのはミントの葉です。



 「アドルファ、遠慮せずに食べてちょうだい」

 「これは立派なスコーンだね。とても美味しそうだ」


 私は小さく切り分けて、アドルファの前の皿に乗せました。


 「ふふ、そうでしょう。ベルツ家から頂いたの」

 「この部屋に住んでいるのはベルツさんと言うのか」

 「半分正解で、半分間違いね」

 「それは、どういうことだい」


 彼は首を傾げながらも、スコーンにバターを塗っていました。あいにく、ジャムは切らしていて手元にはありません。


 「確かにベルツだけれど、ここは屋敷の一人娘であるフランカと言う女の子の部屋よ。フランカ・ベルツ。それが彼女の名前よ」

 「ベルツというのはファミリーネームということだね」

 「ええそうよ。使用人以外は皆ベルツになってしまうもの」

 「はは、そうだね」


 アドルファと私はくすくすと笑いました。二人で食べるスコーンはとても美味しく感じます。


 「フランカはどんな子かな」


 アドルファに聞かれて、私はフランカのことを話しました。とても優しくて、愛らしい子であること。フランカにはカティという友人がいて、数日前に些細なことで喧嘩をしてしまったこと。カティはあれから家に遊びに来ていないということ。全てです。


 「私はフランカの力になりたいと思っているの」

 「そうだね」

 「カティと仲直り出来ればいいのだけれど」

 「リーゼロッテは優しいね」

 「あなたを見習っているだけよ」


 それから、アドルファと私はフランカとカティがどうしたら仲直り出来るのかを考えました。私たちと人間の生活は大きく異なると思われがちですが、大まかには変わりません。ねずみだってご近所付き合いはありますし、朝起きて顔を洗ってから花瓶の水を新しいものに取り換えます。ご飯を食べれば歯磨きもしますし、学校にだって行きます。もちろん、喧嘩だってしますから仲直りだってする訳です。しかしながら、やはりねずみと人間では少しずつ違うこともあります。仕方のないことです。人間の生活を全て知っている訳ではありませんから、仲直りの方法がぱっと思いつくことが出来なかったのです。

 アドルファも私も頭を悩ませました。考えすぎて冷めてしまったハーブティーを入れ直すと、ミントの香りでもやもやとした頭もすっきりとする気がしました。


 「あなたが持って来てくれたミントの葉、とてもいい香りね」

 「それは良かった。気に入ってくれたかい」

 「ええ、とっても」


 ミントティーは私もアドルファも大好物でした。カモミールティーもアップルティーも好きでしたが、ミントティーは何度飲んでも飽きずに二人のお気に入りです。


 私は、はっとしました。そうです。フランカとカティを仲直りさせるいい案があるではありませんか。


 「アドルファ、これよ!」

 「何か思いついたのかな」

 「ええ、あなたのお陰よ」

 「それは光栄だね」

 「あなたには何度も助けて貰っているわね」

 「そうかな」

 

 アドルファは私にヒントをくれます。今回、フランカとカティの話は知らなかった訳ですし、アドルファが持って来たミントの葉は偶然でした。しかし、その偶然さえも私にヒントを与えてくれたのです。


 「それで、何を思いついたのかな」


 僕にも教えてくれるかいとアドルファは言いました。私は嬉しくなって話し始めます。


 「ミントの葉にヒントを貰ったの」

 「僕が持って来たミントかい?」

 「ええ。ミントティーは私もあなたも好きなものでしょう」

 「そうだね。なるほど、そういうことか」


 アドルファは私が全てを言わずとも気付いたようでした。そうです。フランカはストロベリージャム、カティはブルーベリージャムが好きですが二人が揃って好きなジャムだってあるはずです。


 「リーゼロッテ」

 「何かしら」

 「二人の好きな果物は何か知っているのかな」

 「ええ、りんごよ。庭にもあるけれど、ここの家のアップルジャムはとても美味しいのよ」


 これでフランカとカティは仲直り出来ると思いました。


 「ねえアドルファ」

 「何かな、リーゼロッテ」

 「あなた文字は書ける?」

 「いや、人間の文字は読むだけだ」

 「……そう」


 アップルジャムを一緒に食べて仲直りをすればいいと、フランカにどうやって伝えればいいのでしょう。私も文字は書けませんし、手紙を書くことは出来ません。


 「リーゼロッテ。僕に良い考えがあるよ」

 「本当?」

 「君、編み物が得意だっただろう」

 「得意という訳ではないけれど……」

 「そんなに謙遜する必要はないよ。リーゼロッテの作る物はいつも素敵だよ。ほら、これも君が編んでくれたものだろう」


 アドルファはベストを私に見せました。これは彼の誕生日に私が編んで贈ったものです。アドルファは今でも大切に着てくれています。

 確かに、私は編み物をするのが趣味でした。ベルツ家の奥様は裁縫などが好きなようで、ほつれかかった布生地や糸の調達は簡単に出来て困ったことは一度もありません。私はそれをいただいて、糸に戻したりしながら編み物をするのでした。


 「編み物がどうしたの?」

 「これでりんごの花を編んだらどうだろう」


 アドルファはやはり頭の良い人でした。


 彼が帰ってから、私は裁縫箱に忍び込みました。薄桃色の綺麗な糸があります。これでりんごの花を編んだらどれほど綺麗でしょう。私はその糸を必要な分だけハサミで切って、持って行った芯に巻き付けて帰りました。


 私は出来るだけ手早く編みました。それでいて綺麗に、フランカとカティの仲が戻るようにとひと編みひと編み祈りました。二日間かけて、私はりんごの花をフランカとカティへひとつずつ作りました。お揃いの花です。出来上がったものはすぐにドレッサーの二段目の目立つ場所に置きました。見つけてくれるといいのですが。



 「これは、何かしら」


 その日の夜、フランカは二段目を開けました。私が編んだりんごの花を見つけたようです。フランカはその花を手のひらに置いてじっと見つめます。


 「りんごの花……お母様!ねえ、お母様!アップルジャムはあるかしら」


 フランカは私とアドルファの言いたいことを、ちゃんと分かってくれたようでした。階段を慌てて降りる音がします。私のやるべきことは終わりです。

 寝ずに編んでいたので、私は疲れていました。ベッドに横たわると周りの音が遠のいて行きます。フランカと奥様の話し声が聞こえる気がしますが、何を話しているかまでは分かりません。私はうとうととするうちに、眠りに落ちてしまいました。




 次の日、私は話し声で目覚めました。昼は随分前に過ぎています。


 「あらあら……こんなに寝てしまうなんて」


 私はベッドから起き上がり、顔を洗いました。ドレッサーの向こう側から二人の声が聞こえて来ます。


 「フランカのお母様が作ってくれたアップルジャムはとても美味しいわね」

 「私の一番なのよ」

 「こんなに美味しいジャムは他に無いわ」


 フランカとカティです。二人は一緒にティータイムを楽しんでいるようでした。鍵穴からその様子を伺います。もう少し二人のことをよく見ようと近付くと、足に何かが当たりました。


 「……?」


 小さな紙には何やら文字が書かれています。




 アドルファが持って来てくれたミントの葉が残っていたので、私もハーブティーの時間にすることにしました。椅子に腰かけて、ティーカップに口をつけます。起きたばかりの私をすっきりとさせてくれました。

 朝食を食べていなかったのでお腹も空きます。戸棚から残りのスコーンを取り出します。今日は全て食べてしまってもいいでしょう。たまには贅沢も必要です。私もアップルジャムをたっぷりつけてスコーンを食べました。ドレッサーの二段目に小さな瓶に入ったアップルジャムが置かれていたのです。

 きっと、フランカが入れてくれたのでしょう。それにしても、私がここに住んでいることをフランカはいつから知っていたのでしょうか。もしかしたらずっと知っていて、私にハーブやお菓子を分けてくれていたのかもしれません。



 『 小さな家族であるリーゼロッテへ 娘に素敵な花をありがとう 』



 あの紙には何と書いてあったのでしょうか。私は人間の文字を読むことは出来ません。次にアドルファが来た時に読んで貰うことにしましょうか。


 何にせよ、今日のティータイムはとても幸せな時間だったと思うのです。



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