重ねる


 目覚まし代わりのアラームが鳴る前にカーテンを開けることが出来た朝は、私の勝ち。そんな勝負もこの季節になると負けが多くなる。スヌーズ機能を使わずに一度目で起きたら引き分け。今日は引き分けの日だった。まだ薄暗さの残る明かりが目に優しい。冬の早朝は、妙に落ち着いている気がする。私は外がどれほど寒いのかを確かめたくて、カーテンの向こうの窓を開けた。途端に頭が痛くなるような冷たい空気が押し寄せ、部屋の中へと入って来たため慌てて窓の鍵まで閉めた。テレビでは丁度天気予報が流れている。どうやら今日は冷え込むらしい。

 先程窓を閉めた手が濡れていた。見ると、夜の間に降ったであろう雨が窓の内側に張り付いている。起き抜けの頭が一気に冴えたような気がすると共に、このままではカビが生えるなどと考える変に冷静な自分がいた。


 「寒い」

 パジャマの上から袖なしの上着を一枚羽織る。軽く顔を洗って、歯を磨いてからマグカップ一杯分のお湯を沸かすためにコンロに火をつけた。沸騰するまでに少し時間がかかるので、隣に小さなフライパンを置く。家の小さなコンロはそれでいっぱいになる。私は冷蔵庫から卵を取り出すと少し油をひいてから割り入れた。


 じゅ。


 みるみるうちに周りは白くなり、目玉焼きが焼けていく。中心部は未だ柔らかそうで、箸で触ったら流れ出そうな予感がしてやめておいた。ぴいぴいとお湯が泣き叫んでいる。「はいはい、分かってますよ」そう言って火を止めてやれば、部屋にはまた静けさが戻る。コーヒーメーカーに豆を入れ、勝手に引かれていく音を片方の耳で聞きながら、私は目玉焼きを裏返した。見た目はあまり良くないが、黄身までしっかりと焼くのが決まりだ。返してからは余熱で火が通るから、フライパンの上にもう少し居て貰う。


 六枚切りの食パンを三日置きで買うことも、数年繰り返せば習慣となる。

 「毎日同じで飽きないの」とか「本当パン好きだよね」などという言葉はクラスやバイト先が変わる度に言われてきた。今の職場ではもう、そんなことを言う人はいなくなったけれど。

 パンが大好物という訳ではない。それに、サンドイッチ以外作れない料理下手な訳でも決してない。理由は誰にも話したことは無いが、それは今まで誰からも聞かれることが無かったからに過ぎない。飽きないのかと尋ねられれば物足りなさを感じると答えるだろう。


 透明なラップの上に一枚食パンを置く。バターの代わりにマヨネーズを表面に塗った。水気を切っておいたレタスをキッチンペーパーの上から移動させ、ハムを二枚重ねたままレタスの上に乗せた後フライ返しを手に取った。お待たせしました、目玉焼きさん。目を合わせようともう一度裏返しついでに重ねると、今日は少し焦げていた。


 「あ、……まあいいか」


 焦げてしまった部分を隠すようにケチャップをたらし、こしょうも二、三振る。スプーンの裏で円を描くようにして赤色をのばし、念を押すようにスライスチーズで蓋をした。そして残ったレタスをもう一度しき、食パンを重ねる。少しきつめにラップを巻き、それを袋へ入れてから鞄に無造作に放り込んだ。

 私も着替えなければ。優雅にコーヒーを飲んでいる時間などいつもない。少し早く起きても、その分重ねるのが丁寧になるだけだ。重ねるのは、いくら丁寧にしても良い気がする。食パンを置くのにこだわりはないし、ゆっくり置いているつもりもないが、それでも普段の時間になってしまうのだから無意識的に調整しているのだろう。


 六時十二分。今日も無事、過ぎました。


 「お母さん、おはよう。仕事行ってくる」


 写真の母に手を合わせ、鐘をりんと鳴らす。空気が震え、あれから何年も経ったというのに今日は何故だか泣きそうになった。

 散らばった食パン、レタス、チーズ、目玉焼き。母が作ってくれた最後のお弁当は、私の口に入る前に雨に流れた。あの時、落ちていたサンドイッチを口に運べば私はこんなにも執着していなかっただろうか。噛みしめる度に音を立てる砂利を想像して愛おしく感じてしまう私は、おかしいのだと思う。

 母があの日作ったのがサンドイッチではなく、おにぎりだとしたら。私は毎日おにぎりを作ることはしていなかったと思う。散らばった色が脳裏から消えない。きっと、母が重ねた物だからだ。


 「いつもより早く帰って来るから」


 熊のようにのそりと起きて来た父へ声をかけ、コートのボタンを閉じる。指先がかじかんで、うまくいかなかった。


 「そうか、お前も一緒に墓参り行くか」

 「うん、そうする。……お父さんの分も作っておいた。テーブルの上にある。いらなかったら冷蔵庫の中に入れておいて」


 返事を聞く前に家を出た。しかし、冷蔵庫にサンドイッチが入ることはおそらくない。年に一度くらいは家族揃って同じお弁当を食べてもいいような気がして、今日は父の分も重ねた。

 もう七年目か。時間が過ぎるのはあっという間である。


 仕事が終わったらスーパーへ寄ろう。明日の食パンを買わなければ。

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