優雅な猫の話


 ティーカップがことん、と鳴った。揺られて中で小さな波紋が広がっていく。私は前に座るお客様の方を覗き見て、やれやれと溜息をついた。


 「全く、空っぽじゃないか」


 底の見えるティーカップを指させば、もてなしがなっていないとリアに指摘する。話に花が咲くのはいいことだが、気遣うのを忘れていいとは教えていない筈だ。


 「あらあら、本当。楽しくて、つい」

 「あらあらなんて言っている場合じゃないだろう」

 「ごめんなさい」


 そうしてこの子は肩をすぼめて見せる。しかし、そんな仕草全く可愛らしくない。もう十と六つを数える年齢にもなって子供が抜けないのはどうしたものか。心配に思いながらも多くは口出ししないようにしているつもりだが、こうやって言ってしまうあたり自分も中々にお節介な性格をしているようだ。この子がいつまで経っても子供が抜けないのと同じように、自分も子離れが出来ていないとしみじみ思う。


 「もう一杯いかがかしら」

 「では、お言葉に甘えて」

 「ええ是非に」


 私が少し退いてやればリアは立ち上がった。ティーポットを両手で包み込むように持つと、お湯を入れるためにキッチンの方へと歩いて行く。


 「申し訳ない、気の利かない子で」

 「そんなことないわ」

 「とても優しい子ではあるのだ。分かってあげて欲しい」

 「よく知っていますわ。長い付き合いですもの」


 客人である彼女は口元を隠して小さく微笑む。長い睫毛が綺麗な三日月を描き、まるで人形のようだ。彼女と内緒の話をしていれば、クルミ色の髪の毛をふわふわと揺らしてリアが戻ってきた。


 「見て頂戴」


 そう言って、一度温めたポットに紅茶を入れお湯を注いでいく。テーブルに置かれた透明なティーポットの中で茶葉が小さく跳ねた。まるで踊っているようだ。私たちは次第に色付いていくその様子をうっとりと眺めていた。何を話すでもなく、吸い込まれるように。やがてリアはこぼさぬようにと気遣いながらそれを傾ける。空っぽのティーカップが透き通った赤につやつやと染められていき、紅茶の香りが一層強くなった。部屋中全てを包み込む。

 ゆっくりとそれに口をつけた。コクと甘みが口いっぱいに広がる。渋みが無く、フルーティーな味わいで飲みやすい。木苺の甘酸っぱい香りが心まで満たしてくれるようだ。


 「まあ、美味しい」

 「私のお気に入りですの。この紅茶」


 リアが自慢げに紅茶を飲んだ。とても、似ている。私の良く知った彼女に。



 ***


 「ねえ、ミネット。この紅茶素敵でしょう」

 「ああ。とても良い香りだ」

 「そうでしょう。私のお気に入りなの」


 貴方にも飲んで貰えたらいいのに、と彼女はよく口にしていた。その度に、この香りだけでも十分だと彼女の隣に座っては身を寄せる。彼女は嬉しそうに目を細め、休日になると私にその香りを分けてくれた。穏やかな休日。二人で過ごす幸せな時間だった。そのうちリアが混ざって、三人で。君が居なくなるまではそうだったね。

 そうだ、サラ。知っているだろうか。君が居なくなって初めて迎えた休日のこと。リアが君の大好きな紅茶を抱えて私の所にやって来たんだ。涙を溢しながらね。でも私にはどうすることも出来なくて、一緒にないた。私は無力だった。その紅茶をリアに淹れてあげることさえも出来ないのだから。その代わり、リアは茶葉の入った瓶の蓋を開けてくれた。僅かに香るその匂いを二人で分けて、庭の木苺をを摘んで君に添えた。とても泣き虫で、とても優しい子だった。


 「幸せはね、みんなで分けるの」



 そんな小さかったリアが今では君にそっくりなんだ。不思議なものだ。面影を見ることがあるよ。ああ、そうは言っても君にはまだまだ届かないから安心してくれ。


 ***


 「とても素敵なお紅茶ね」


 ティーカップの滑らかな曲線が一層優雅さを醸し出してくれる。


 「みゃおん」


 ああ、そうだろうとも。そんな風に返事をする。


 「ふふ、ミネットったら。貴方もこの紅茶が好きなのよね」

 「みゃあ」

 「可愛らしい猫さんだこと」

 「ええ、可愛いでしょう。母と仲良しだったの」


 私のお母様代わりなのよ、とリアは言った。母代わり、か。れっきとした男なのだが、まあいいだろう。細かいことを気にしていては、リアの親代わりは務まらない。親である君が出来なかったことを私は代理でしているのだから。

 一人で納得していれば、リアが私の頭を撫でた。懐かしい。君に撫でられていたあの頃に戻った様であった。手の温もりを感じていると、窓から優しい陽射しが差し込んで来る。


 なあ、サラ。今日はとても良い天気だ。君が大好きだった紅茶の香りで満たされるなんて、とても素敵な休日だとは思わないかい。君が居る場所にもこの香りは届いているのだろうか。ああ、あと少し。もう少ししたら私も君の居る場所に行くから待っていて欲しい。その時が来たらまた君の淹れた紅茶の香りを私にも分けてくれるんだろう。ほら、君はとても優しいから。

 それまではこの子を見守っていようと思う。安心して欲しい。


 「みゃおん」


 幸福感に満ちた声が砂糖のように溶けて静かに消えていった。


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