第31話 説得

「藤森さん。女の子なんていないよ」

「うーん……気のせいかな? こっちの方を見てたと思うんだけど、ほら! あそこ!」


 彼女が指差した方向には、やはり何もいない。

 だが、藤森さんが何を言っているのかは、はっきりと確信していた。


 イブだ。

 イブを見られてしまったのだ。

 どうしたんだよ、イブ。


「藤森さん、やっぱり、何にも見えないよ」

「んー、実を言うとね、ここに来た時から、なーんか誰かに見られてるような、変な感じがしてるんだよね、あの辺から」


 藤森さんは茂みをジッと見つめている。

 僕は慌てて藤森さんの視線をさえぎる様にして、言った。


「あのさ、昼ご飯、邪魔しちゃったし、奢るよ。学食にでも行かない? ちょっと寒いし」

「え? 話は?」

「それは、今はやっぱり良いや。ごめんね、呼び出して」

「そ、そう? なんだか、安心したような、残念なような」

「残念?」

「あ、いや、なんでも無い。それより女の子がいるとか変な話してごめんね。話の腰折っちゃってさ。その、別に幽霊見たとか、そういうのじゃないんだけど。私、霊感無いし」


 幽霊じゃないことは僕が一番知っている。

 それより、僕の精一杯の話題逸らしはなんとか成功したらしい。


「じゃあ行こっか、上谷君。カレー大盛り頼むよ」


 財布には大ダメージだった。

 けれど、財布なんて些細な問題だった事を、僕は知る。


 藤森さんに認識されたのがイブの不手際だと思っていた僕の考えは、学校の帰り道でのイブの言葉にぶち壊されていた。


「ありえん。なんだ、あの人間のメスは」

「何が?」

「昼でのことだよ。私の気配の消し方は完璧だった。事実、浩介には見つかってはいない。問題はあのメスの方だったんだよ、浩介。昨日、浩介と歩いていた時は気にもしなかったが、ただ見ているのと観察するのでは大違いだ」


 イブはとんでもないことを話し始めた。


「あのメスにだけ、暗示が効かない。それに脳波だ。あの距離まで近づけなければ分からなかったが、あのメスから、微弱だが我々が発するものと同種の脳波を感じた。そもそも、視認される位置ではなかったところから、こちらを気にしていた様子もある。私の発している脳波も僅かながら感じていたかもしれない」

「どういうことだよ? 藤森さんは、人間なんだろ?」

「確かに見た目はな。だが、昨日接触してきた変り種のアイツのように脳波のコントロールが可能な同種の可能性もある。が、それは低いだろう。あの個体は浩介と同じ学生だ。人間としての名前があり、戸籍がある」

「イブ、あまり興奮しないほうが」


 イブの顔色が悪い。

 僕が話の内容に触れずに心配してしまうほどに。


「お前は楽観視しすぎているぞ。たまたま私の同種が近くを通りかかり、脳波を察知して学校に来たとして、あの個体を見たらどう思う? 私の種は基本的に争い合う種族だ。必ず殺されるぞ。当然、近くにいれば、我々も危険になる」


 ぞくりとした。

 今度はイブの顔色の悪さを気にかけている余裕が、まるでなくなってしまった。


「だったら、守ってあげないと」

「守る?」


 イブは、僕の言葉を信じられないと言った風に僕を見る。


「馬鹿なことを言うな。あの個体が近くで生活しているだけで、我々は危険にさらされる。むしろ、私が殺したいくらいだ」

「やめろよ、そう言うの」


 だが、イブは冗談を言っているわけではなかった。


「近づいてきたのが私と同じ種ならばまだ良い。そもそも、可能性自体は稀だろう。私の種は、適合する人間がいないと言うような追い込まれている状況でなければ、わざわざ近づいて来たりはしないからな。問題は、我々の敵が学校に来る可能性があると言うことだ。無論、あの藤森が殺されることに違いは無い。ただし、その場合は私達も一緒だ」


 酷く冷たい風が吹いて、肌が痛い。


「だったら、どうすれば良いって言うんだよ」

「今の私でも、人間の一人くらいは殺せる」


 イブは簡単に言う。


「そんなの、ダメに決まってるだろ!」

「なぜだ?」


 イブはまるで僕の方が冗談を言ってるとでも言いたそうだった。

 言うわけが無い。


「人を殺すなんて、そんな」

「我々が生きるためだ」


 それは、自分達の都合で、本気で人を殺すと言うこと。

 僕の知っている、あの藤森さんの命を奪うと言うことだった。


「絶対にダメだ」


 その言葉を言った後、僅かな沈黙が僕らの間に漂った。

 いったいどうすれば?

 と、思った瞬間にイブがふらつき、僕の腕に捕まる。


「無理するなよイブ。歩くの、もう少しゆっくりで良いから」

「かまわない。このまま歩け」


 イブの身体はすでに限界なのかもしれない。

 もう、何度も、何度も思った。

 だからこそ、イブは必死に生きる術を探している。

 何かを考え、妥協するといった余裕がまるで無い。

 イブを抱けないことに罪悪感があるけれど、イブの提案を飲むわけにはいかないのだ。


 藤森さんを殺すだなんて、そんな。 

 そうして無言で歩き、僕が考え事をしているのと同じようにイブもしばらく考えていたようだった。


 が、やがてイブが口を開く。

 本当に困惑し、これからどうしようかと迷うように。

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