第30話 予兆

 翌日。複雑な心のまま僕は目覚めた。


 イブはすでに起きて身支度を済ませていたようで、僕の顔を覗き込んでいる。


「……大丈夫?」

「ああ。だが、無理は出来ない」


 本当に大丈夫なのかと不安だ。

 とは言え、今日は平日である。

 僕も学校をこれ以上休むことが出来ない。

 イブも、もちろん、僕と同行するつもりだ。


「あくまで普通を装え」

「普通を装う、か」


 少し前に聞いたイブの言葉を思い出す。


『突然、仕事や学校に行かなくなったのなら、それは不自然になるからな。どこで何が私達の存在の手掛かりになるかは分からない。奴らは今、必死になって探しているはずだ。私達を』


「あのさ、イブ。」

「なんだ?」


「前言ってた、普通にして無いと僕を狙って探している敵に手掛かりを与えることになる、って話なんだけど、こんな時くらい、家でじっとしてても良いんじゃない? 可能性は低いと思うし」

「そうだな、可能性の話を言えば低いだろう。だが、私は反対だ」


 イブは頑として聞き入れなかった。


「今、敵に見つかれば、その時が終わりだ。僅かだろうが、可能性を上げる理由などあってはならない」


 そこまで言われては反対は出来ず、僕はイブと通学路を歩いていて学校へ向かう。

 が、その途中で、僕は藤森さんのことを思い出した。


「そうだ、イブ。大変なんだ」

「なんだ?」


 僕は藤森さんのことを話す。


「見られていた? 学校で?」

「そうなんだよ。あの、もしかして、イブが弱ってて、気配を消すだとかそう言う能力が弱まっているとか」


 イブは、はっきりと言った。


「良いか、浩介。昨日、私はお前が家を出た後、急いでお前の後を追った。自分の体が上手く動かせないほど消耗していることも知っていたが、それでも常に注意してお前の後をつけていた。その道中、誰かに自分の姿を認識された記憶は無い」


 そう言えば昨日、そんなことを聞いたと思い出す。

 確かに、僕も全然気がつかなかった。


「お前が学校にいる間は学校にいたし、あのカラオケとか言う店舗の中に入ってからは建物のすぐ近くで周囲を警戒していた。自分を隠すのを止めたのは、昨日のあいつが脳波を出して出現したからだったが、それまで私に気づいた者は浩介を含めていなかった」

「あんな状態でいたのに?」

「あんな状態でいたのにだ」


 イブは何かを考えているようだった。


 朝、学校に着いて、とりあえずはいつも通り過ごす。

 藤森さんとは会話することも無く、授業を受け、休み時間に隠れてイブとキスをする。

 そして、イブがいつもとは違う話題を出したのは、昼休みの一つ前の休み時間、校舎の裏側でのことだった。


「例の藤森と言う人間を確認したい」

「分かった。でも、教室まで来るのは流石に難しいよね?」


 もちろんそうだよなと思い、別の言葉を続ける。


「昼休みに呼び出すよ。ここで話をするから、その時に」

「そうだな、それで良い」


 イブはうなずくと近くの茂みに隠れた。

 なるほど、と思う。

 イブが視界から外れた瞬間、完全にいなくなったと認識した。

 イブが自分の能力に自信を持つのも分かる気がする。


「イブ、じゃあ、お昼にここで」

「待っている」


 声が聞こえた瞬間、僅かにイブの気配を感じた気がしたが、またすぐ分からなくなった。

 これなら姿を現すこともなく確認が出来るだろう。

 僕は昼休みを待ち、藤森さんに声をかけた。

 藤森さんはクラスメイトと学食に行くところだったらしい。


「上谷君、どったの?」

「いや、ちょっと、話たいことがあって。悪いんだけど、ちょっと来てもらって良い?」


 藤森さんたちは僕の言葉に驚いていたようだった。

 昨日の、イブを見たという話でもしていたのだろうかと、少しだけ不安になる。

 いや、あれは無かった事にしてくれてるはずだ。


「やったじゃん優子」

「う、うっさいよ、馬鹿」


 藤森さん達が何を話しているのか分からない。

 が、何よりも、一度、しっかりと藤森さんに口止めをしなければと思った。

 そのためにも、急いでイブが待っているあの場所へ行かないと。

 僕は藤森さんの友達に頭を軽く下げると、教室を出た。


「呼び出しってなんか、照れるなぁ」

「ごめんね。これからご飯だったんでしょ?」

「良いよ別に。それより話って何なのさ、上谷君」

「それは、今はちょっと。後で話すよ」


 僕は藤森さんを連れて歩く。

 歩いている最中にイブの話が出来るわけもなく、ひたすら話を濁し続けながら。

 そして僕らは下駄箱に到達した。


「え、外なの?」

「ごめん。大事な話があってさ。とにかく、人のいないところで話したいんだ」

「あ、うん」


 昇降口で靴に履き替え、僕らは校舎の裏へ到着するまで無言で歩く。

 何の話題も思いつかないし、きっと藤森さんもそうだろう。

 間もなく僕らは目的地に到着し、僕がどう切り出そうか迷っていると、藤森さんが先に口を開いた。


「ほんとに人いないや。ちょっと寒いね、ここ」

「そうだね、ごめん」


 僕は深呼吸する。

 ちょっとした時間稼ぎとも言えるかもしれない。

 ……イブはちゃんと藤森さんを見ているのだろうか。


 と、気にして茂みに目をやった瞬間、藤森さんが話しかけてきた。


「あの、さ。昨日の、カラオケでの話かな、もしかして」

「昨日の? あ、うん、そうなんだ」


 イブを見たことの口止めをしなくては。

 変な噂になる前に止めてくれと。

 だが、藤森さんと僕の話は噛み合わない。


「いや、さ。あの時の、聞こえてたんだね、やっぱり、でも、その、さ」

「え?」


 聞こえてた?

 何を言っているのだろう。


「いや、でもさ、ほら、やっぱり、私が言ったことに対する上谷君の答えを知るのが、ちょっと怖いと言うか」

「ごめん、何の話を」


 その時、藤森さんの顔に変化が現れた。


「……あ、あれ。あそこに」

「何?」


 藤森さんが僕の後方を指差す。

 僕は振り返ったが、特に気になるよう物は見つからない。


「どうしたの?」

「いや、あの茂みに、女の子? が、いたような。」


 だが、僕からは何も見えない。

 茂み? 女の子?


 僕の頭に警笛が鳴った。

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