第29話 後悔
「説明、してよ。何が起きてるの? さっきの怖い人は、何? その子は誰?」
だが、なんと説明すれば良いのだろうか。
「イブって呼んでるけど、その子のハンドルネーム?」
続けられた質問になんと言おうかと一瞬迷ったが、無意識に口から嘘がベラベラと吐き出された。
「違うよ。遠い親戚で、今、一緒の家に住んでて」
そこまで言った僕は、カノンの怒りと悲しみが混ざったような、複雑な表情の顔を見た。
事情が不自然だと言うことは、言った僕も分かっている。
だが、履いた言葉を取り戻すことなんて、出来るはずもない。
「一緒の家に住んでるって」
カノンの声はそこで止まる。
カノンも、自分が何を言いたいのか分からないようだった。
カノンはうつむいて黙り、僕は急いで言葉を探す。
「あの」
先に何かを言おうとしたカノンの言葉を遮り、僕は言った。
「カノンさん、また連絡するよ。洋二さんがどこに行ったかは僕にも分からないけど、でも、後で知ってることはちゃんと全部説明する。だから、今日は、ごめん」
結局は何の弁明も出来ない。
カノンはそんな僕をジッと見て、それから次にイブを見た。
「良く分からないけど、でも、分かった。ちゃんと説明してくれるなら、それでも良いです。……その子、大丈夫? 顔色、すごく悪いみたいだけど」
「大丈夫だ」
イブが力の無い声で言って、そこで僕らは別れることになった。
「早めに連絡ください」とカノンは改札の中に消え、僕らは徒歩で自宅に向かう。
「イブ、大丈夫かよ」
「大丈夫だと言ってるだろう」
だが、イブは大丈夫では無かった。
イブは僕の部屋に着くなり倒れこんで、そのまま動かなくなった。
どうして道の途中で、僕は何もしなかったのだろう。
帰り道でも、キスくらいは出来たはずなのに。
イブは浅い呼吸だけを繰り返す。
倒れてはいたが意識はあるようで、それでも酷くうつろな目をしていた。
粘度を感じるような汗が額に浮いている。
顔は朝よりももっと青白くて、生気が無いのが丸分かりだった。
「イブ、ごめん。こんなになるまで放っておいて」
「謝罪などいらん。浩介、早く、何でも良い。お前の体液をくれ」
僕は急いで刃物を用意し、指に傷をつけて、イブの口元に運んだ。
焦りもあったせいか、大げさに傷が出来てしまい、自分でも驚くほどの量で血が流れたし、指は痛かった。
だが、そんなものよりも、イブをここまで追い込んでしまった自分の身勝手さで胸が痛い。
考えてみれば、朝の話はどうしようもない話だった。
イブが、おばあちゃんが殺されるのを黙って待っていたのだとしても、それをどうして責められるのだろうか。
生きるための選択だったと言うことを理解しながら、僕はイブを責めて、追い詰めてしまった。
「イブ、ごめん。その、朝は、僕が悪かった」
イブはそれに対して答えない。
血を吸うのに夢中になっているようだった。
イブは、僕の血を、まるで病人のようにゆっくりと飲み込む。
こくり、こくりと。
そうして僅かな時間が流れた。
イブは僕の指を吸っていたが、しばらくして、口を離すと、言う。
「血はくれるが、やはり抱いてはくれないのだろう?」
「……ごめん」
それは、心からの謝罪だった。
全て僕の勝手な心が招いている。
それなのに、僕は今以上のことをしてあげることが出来ない。
「いや、良い。今日、分かった。浩介が私を抱かないのは、あのメスが原因だな。カノン、とか呼んでいたか?」
僕の背筋が凍った。
カノンのことが、ばれた?
「違う。あの子は、関係ない」
「否定するな。そして安心しろ。そうだとしても、浩介を無理やり犯すつもりも、あのメスに危害を加えるつもりも無い。前に話した、私が無理やり犯した男もそうだった。あいつには、つがいのメスがいたんだよ。それなのに、私は力づくで無理やり犯した。そして、そのつがいのメスを邪魔だと思った私は、短絡的にその障害を排除することを選んだ」
イブは、罪の告白のように、淡々と言葉を続ける。
「つがいのメスがいなくなれば私を抱くことを否定しないだろうと、そう思っていたからだった。だが、結果は……話した通りだよ。これは、私がまだ若い個体だった時の話だ。同じ失敗はしたくない」
心が痛い。
『障害を排除』と聞き、あの神社で襲ってきた犬のことを思い出している。
以前想像した通り、イブは『生きるためだ』と言いながら人を殺したことがあるのだ。
イブを、人間の言う道徳心の眼鏡で見ることは間違いなのかもしれない。
彼女は人間ではないのだ。
だけれど、それでも、人間の女の子の姿で言葉を理解し、アイスクリームを美味しそうに食べていたイブが、淡々と人を殺したことがあるだなんて告白したことは、僕にとってはショッキングな出来事だった。
「私は、こうなりたくなかったから、お前に暗示をかけたはずだった。生殖適齢期になる前の段階で、早めに手を打ったはずだった。だが、お前は、私と再会したあの時でさえ、私を拒んだ。……分からない。異性に特別な感情を持たせないと言う暗示は、完全だったはずなのだ。どこで、何が狂ってしまったのか……いや、私も、どうかしている。こんな状態でも、私はお前を無理やり犯そうと思うことが出来ない」
イブの声に、段々と力が無くなっていく。
眠いのだろうか。
イブが眠って、このまま目覚めなかったらどうしようかと、少し不安になる。
「浩介」
イブがぽつりと言う。
「私は、お前に嫌われたくない」
原因不明の涙が、僕の目から流れて落ちた。
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