第32話 触れ合い
「人間の心理は謎だ。なぜ、自分に利益の無いもの、不都合なものを排除するのを嫌がる? 対象が同じ種族だからか? 私には、どうしても理解することが出来ない」
「それが人間なんだよ」
僕は言った。
「人間だから、他の、誰かの命が大事だって思うんだ。何も人間だけじゃない。僕は道端で会った犬だって、塀の上を歩いている猫にだって死んで欲しくないんだ。」
「浩介と、何の関係も無い生物にもか?」
「そうだよ。人間なら、普通は」
もちろん、人間のすべてがそう思っているわけじゃないことくらい知っている。
他人を殺す人間だってテレビを見れば簡単に見つけられるだろう。
犬や猫をいたぶって殺す奴だって、この世界にいないわけじゃない。
それより、僕の言葉を聞いたイブの足取りに混乱が見られる。
心配だ。
さっきよりもふらつきは大きい。
「イブ、大丈夫か?」
「私に構うな。思えば私も短絡的だった。人が1人死ぬと言うことが、人間社会でどれだけの情報を拡散するかを思い出したのだ。目立つのはダメだな。殺すのは止めよう。それに、お前のとことん反対すると言う意思も十分に理解した。お前が嫌がることをするつもりは無い」
それが人間無しでは生きられない種族の答えだった。
僕がいなければ生きられない、彼女の。
もちろん、僕だって彼女がいないと生きられないと言うのを忘れてはいない。
完全に僕の都合だと言う事は分っている。
「確認するぞ、浩介。お前の考えを」
僕ははっきりと口にした。
「イブが言うように、藤森さんが危険だと言うのなら。藤森さんを守りたい。あんな良い子が死ぬなんて、僕はとてもじゃないけれど。嫌なんだよ」
僕の言葉は、自分勝手な言い草だ。
イブに、僕の我が侭のために戦えと言っているのだ。
敵に出遭ったとして、自分では何も出来ないと言うのに。
……イブは何かを言おうとしていたが、酷く躊躇しているようだ。
「イブ?」
「いや、良い。お前の意思を尊重する」
イブが顔を伏せて、続けた。
「お前と一緒にいると、私はおかしくなる」
その言葉が最後だった。
後は無言で家まで歩いて、そのまま家に着き、キッチンにいる母に向けてただいまと叫ぶと、自室で包帯を新しいものに交換した。
イブに血を与えた時に出来た傷はまだ痛む。
「そう言えば、誰も包帯のことに触れてこないな」
ぐったりとしているイブをちらりと見るが、彼女は黙って目を閉じて、静かに呼吸していた。
眠っているのだろうかと思い、声をかけるのをやめる。
きっと、彼女が暗示やら何やらで色々してくれたのだろう。目立つのはダメと言っていたので、おそらくは。
それ以外には想像もつかないから、きっとそうなのだろう
思えば、大火田町から帰って以来、絆創膏だらけだった指も、誰にも突っ込まれて聞かれたことは無い。
僕は、包帯を代え終わると傷の無い方の手で、イブの髪に触れた。
「なんだ?」
「起こしちゃったかな」
「別に良い。それより、何か用なのか?」
「いや、なんとなく。綺麗だなと思って」
口から無意識に出た言葉に、イブは微笑む。
「私を抱く気にでもなったか?」
「そういうわけじゃないよ」
僕はそっとイブに口づけした。
二人の息が漏れて、柔らかくて生暖かい感触が、僕の口の中に入って来る。
唇を放してしばらくしてから、イブが言った。
「ずっと、考えている」
「何を?」
「お前と言う個体を失わずにすむ方法を」
失う。
死ぬ、と言う意味以上の想いを感じた。
嫌われたくないと言ったイブの言葉を思い出す。
「嫌いになんかならないよ。イブ」
「……私は、自分でも良く分からないのだ。お前の言葉には、完全に拒絶しなければならない言葉がある。否定しなければ生きることが出来ないとも思う。だが、私はお前を理解したいと時々思ってしまう」
イブの言葉を聞きながら、僕は再びイブの髪を撫でた。
僕たちは分かり合えない。
分かり合うことなんて出来そうに無いと、何度も思った。
でも、僕はイブの名前を呼ぶたびに、イブの迷いを感じる度に期待してしまう。
今の僕は、イブに対して酷く自分の都合だけで接してしまって、それでも受け入れてもらっている。
でも、それを変えようとは思わない。
誰かを見殺しにしたり、ましてや藤森さんを見捨てるだなんて、僕には出来ないのだ。
洋二さんやソラだって助けたい。
それなのに、僕は彼女の欲求をまるで無視している。
僕の身体はずっと反応していて、心臓の爆発しそうな音も、何もかもがイブにはばれてしまっている様な気がするけれど。
それでも。
僕はイブに再びキスをする事しかできないのだ。
もっとたくさんの言葉が必要だと思う。
もっとたくさんの時間が必要なのだと、僕は思っている。
一緒に何かを見たり、考えたり。
僕だってまだ子供で、知らないこともたくさんあって。
卑怯で、自分勝手で、真っ直ぐに正しい人間では無いかもしれないけれど。
それでも、イブには人間のことを知ってもらいたい。
他人を想う事の素晴らしさ。
命を大切だと思う、美しい心を。
僕はイブのことだって知りたい。
イブは現実主義で、冷たくて、人間じゃないんだと時々思い知らされるけれど、それはきっと、僕たちが生きていくためには必要なことなのだ。
もちろん、その全てを肯定するわけにはいかない。
僕は、人間だ。
人間らしさを捨てるわけにはいかないのだ。
だから、せめて中間で生きていきたい。
僕らは理解し合って、妥協しあって、そうして二人の間にあるギリギリのラインで生きていたいと、そう思う。
「イブ。嫌いになんてならないから」
僕はもう一度そう言って、イブの額に自分の額を触れさせた。
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