第33話 命の終わり
翌日。
僕らはいつも通り学校に向かった。
通学路をいつものように二人で歩き、いつもよりもずっと手前の場所で別れる。
これは藤森さんに対しての対策だ。
もし、イブと二人で歩いているところを見られでもしたら、きっと弁明することは出来ない。
「おっはよー! 上谷君!」
そして危惧した通り、校門も目前。
藤森さんが僕の背中を叩いてきた。
「いやー、なんだか今日はあったかいですなぁ」
振り返れば、元気はつらつとした様子であっはっはと笑っている。
「いきなりなんだよ、藤森さん」
「いやいや、ただの朝の挨拶ですよ、少年」
藤森さんは顔を赤くして、それからこそりと僕に言う。
「ひひ、上谷君、ちょっと内緒話して良い?」
「あ、うん。何?」
藤森さんは僕の耳に顔を寄せて、そっと言う。
「今日さ、私の家に来ない?」
「……なんで?」
僕は思わず聞き返していた。
「いや、ほら、ちょっと、心の準備できたと言うか、腹くくったと言うか、なんと言うか」
藤森さんは元気にしどろもどろになっていた。
その言葉の意味は良くわからなかったけれども、ちょっとだけ面白いと思ってしまう。
「あ、いや。今日、暇だったらで良いんだけど」
「良いよ」
僕は自然に返事をしていた。
これは藤森さんの家の位置を知っておきたいと思ったからで、何かあった時に助けに行けるようにするための準備だ。
……何かあった時にはもう、助けに行く時間も無いと思うけれど。
「やった」
藤森さんのそんな小さな声が聞こえたが、やはりなぜ喜んでいるのかが良く分からない。
僕らは教室まで歩き、それから授業を受けた。
「馬鹿なことを」
休み時間。
イブは僕の行動に反対の意志を示した。
「ごめん。そう言うのは、分かってた。だけど」
「いや、良い。浩介がそうと決めたのなら、もはや何を言っても無駄だろう」
「ごめん」
僕の謝罪は途中で止まる。
イブが、僕の言葉を遮る様にして唇を奪ったのだ。
無理やり掴まれた僕の顔が、少し痛い。
「これくらいは許せ」
イブは目を細めて、少しだけイタズラな表情を見せた後、言った。
「私も行くぞ。少しでも敵の気配を感じたら、私はお前を連れて逃げる。それで良いな?」
「わかった」
僕は素直にうなずいた。
〇
放課後。
藤森さんの家は、学校の最寄り駅から電車で30分ほど移動しなければならないらしく、僕らは電車に揺られていた。
僕と藤森さんは一緒にいて、イブは別の車両に乗っている。
近くにいすぎると、イブの脳波を感じ取った藤森さんが何かしらのアクションを起こすかもしれないからだった。
かといって、これでは降りる駅で一緒に降りれなければ離れ離れになってしまう。
少しだけ不安だった。
もしイブと完全に離れ離れになった時は、急用が出来たことにして藤森さんの家には行かないことにしている。
その時のためにイブには券売機で切符を買うやり方も教えたし、お金も十分な額を渡していたけれど。
だが、心配は杞憂だった。
「上谷君、座るかい?」
「いや、大丈夫」
幸運なことに電車は空いていたのだ。
イブは、隣の車両ながら、僕の目に届く位置――ちょうど車両と車両の境目の近くに乗っていたので、降りる時は合図を送るだけで全て上手くいった。
僕らは電車を降りる。
藤森さんは駐輪場で自分の自転車にかばんを乗せて、手で押した。
「天気良いですなぁ。もうすぐ夕方だけど、ポカポカしてて」
「そうだね」
そんな他愛の無い会話だけが、僕と藤森さんの間にあった。
そのままどのくらい歩いたのか。
到着した藤森さんの自宅は、一般的な一軒家だった。
「ただいまーっと、上谷君、遠慮しないで上がってね」
藤森さんが玄関で靴を脱いで、上がる。
「お邪魔します」
僕は、今さらになって緊張した。
他人の家と言うのは、僕の体の中に、何か強張るような感覚を与えている。
イブは、打合せ通り、気配を消して外で隠れていると思う。
電車の時のように、藤森さんが脳波を察知しないような、ギリギリの距離にいるのだろう。
もしイブが隣にいたら幾分かは心強いかもしれないな、なんて思ったけれど、もちろん、そんなことは出来ない。
と、その時、視界の隅に何かがいることに気づいた。
よたよたと歩きながら近づいてきて、僕の足元で匂いを嗅いでいる。
小型の、可愛らしい犬だ。
「あ、ごめんね。この子、私のさ、血の繋がって無い義理の妹」
藤森さんは犬の近くまで歩き、そっと頭を撫でる。
鼻がペチャっとつぶれていて、愛嬌のある大きな目をしていた。
「なんて犬なの?」
「ペキニーズ。室内犬でさ、病気なんだ。歳だし。もう、長くないって言われてて」
「そうなんだ」
その犬は見るからに弱っていた。
痩せているのに腹がパンパンに膨れていて、ヒューヒューと言う、苦しそうな呼吸の音も聞こえている気がする。
「とと、ごめんごめん。こんなところで立ち話させちゃって悪いね。私の部屋来る? いや、その、今さ、お父さんもお母さんもいないんだけど、一応」
「そうなんだ」
ふと、藤森さんの体が緊張していることに気づいた。
顔も少し赤くて、微妙に僕と視線をずらしている。
「あの、さ、その、変な意味に取らないでね」
「何が?」
「いや、さ。ほら、部屋に呼んで、お父さんもお母さんもいないとか言ったら、ちょっと妖しい感じになっちゃうじゃない? そう言うつもりじゃないからさ。ほら、まだ上谷君の答え、聞いて無いし。私もちゃんと言えてないから、さ。二人で確かめ合って、そしたら。その」
彼女が何を言っているのかが、良く分からない。
妖しい感じ?
その時、犬が立ち上がった。
「チョコ?」
それが犬の名前らしかった。
チョコは、始めて見た時と同じようにして力なくよたよたと数歩だけ歩き、そこでバタリと倒れた。
倒れたのは横向きで、床に腹をぶつけた音がして、とにかく明らかに普通じゃない様子で。
アッと言う間も無かった。
クゥンと鳴く。
同時に小便と下痢便をその体勢で漏らして、酷い臭気が溢れた。
「え?」
そして、それが最後だった。
「ちょ、チョコ?」
藤森さんがチョコの身体に触れた。
「嘘でしょ? 息、してない」
目の前で、死んだ。
生命の終わりだった。
藤森さんは『血の繋がっていない義理の妹』を触ったまま、目からボロボロと涙をこぼして、僕は彼女の震えている肩を見ていることしか出来ない。
それから、藤森さんは出かけていた藤森さんの母に連絡を取り、僕と藤森さんは話の出来ないまま別れる事になった。
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