第44話 絶望

 男の指定した場所は、やはり廃墟だった。


 この工場地帯は僕の住んでいる街の一部ではあるが、僕の生活とは無縁の土地である。

 土地勘はあるようでない。

 住所をスマートフォンで検索し、僕はようやくその場所にたどり着く。


『俺の城で好き勝ってやってくれたそうじゃないか』


 そう言った男の言葉を思いながら、僕は歩いた。

 電話の相手は、やはりあの敵に間違いない。

 群れを形成することを可能とした、特別な個体。

 洋二さんを追い、僕とイブを指して面白い奴らと言って殺さなかった、あの敵だ。


『俺と一緒だ。偶然に発生した、特別な個体だよ。もっとも、俺とはタイプが違うがね』


 先ほどのホテルで攻撃してきた男の声が甦る。

 特別。

 基本的に群れない生物と言うものの概念を変えた個体。


 藤森さんが、そのあいつに捕まった。

 電話での声を再び思い出す。


『変に弱い脳波を感じた。辿ったら驚いたよ。脳波を発していたのが人間だったのでな。実に興味深い存在だ。是非調べたいと思い、連れてきた。身元を確認したくて持ち物を調べたら驚いたよ。端末の待ち受け画面に、知ってる人間が映っていたからな』


 男はそう言って笑った。


『さて、あの時お前らを見逃したのを、少しだけ後悔している。どうやったかは知らないが、仲間がずいぶんと減らされたようだからな。俺達が木島洋二から聞き出した情報以外の秘密があるとでも言うのか?』


 男はそこまで言うと声の調子を変えた。

 些細な変化ではあったが、イブやソラ、他の敵を見てきた僕には十分に感じられる変化だ。


『木島洋二の繭を保管してた場所を襲撃したのがお前とイブだということは、すでに分かっている。イブを捕まえた仲間が連絡を寄越したからな。ソラと言う奴も一枚噛んでいるのだろう。いや、もはやそいつはどうでも良い。木島洋二を失ったからには、すぐに死ぬ。俺たちのテリトリーで適合する人間など簡単に見つかるものか』


 怒りに近いような妙な口調。

 面白がっている様でもあったが、どちらにせよ言葉の裏に潜んでいる感情は分かりきっていた。


『上谷浩介。お前が来い。こう言うと人間のような言い方になるが、お前には責任を取ってもらう。イブとか言う個体も連れてきても良いが、奴にはまだ役目があるからな』


 それは、僕へ向けての敵意だ。


「断れ、はしないだろう、な」


 僕が言うと、男は笑った。


『人間のお前には有効的だろう? 人質がどうなっても良いのなら、好きにしろ。だが、その時は』


 男はそこで一気に口調を変えて、言う。


『必ず追い立てて殺す。イブとお前だけでなく、お前らに関わりのある人間の全てを』


 そして今、僕は指定された場所の入り口にいる。

 何かの倉庫として使われていたのだろうか。

 広い駐車場はあるものの、やけにでかい一つの巨大な建造物があるだけだった。


 今の僕にはイブはいないし、策どころか、勝ち目も無い。

 ただ死にに来ただけなのかも知れないけれど、こうすること以外に、僕に道はないのだ。


 怖くないと言えば、それは嘘になる。

 だが、それでも僕は進まなければならなかった。

 敷地の入り口に足を踏み入れると、人影が現れる。


「上谷浩介だな?」

「そうだ」


 返事一つにも、緊張してしまっていた。

 いや、これが緊張なのか、それとも恐怖なのか分からない。


「藤森さんは、無事か?」

「藤森? ああ、あのメスか」


 そいつは目を細めた。


「来れば分かるさ」

「……なんだと?」


 落ち着きを持って向かおうとしたが、無理だった。

 無事じゃないことが、簡単に予想出来てしまう。


「何か、したの、か?」


 声を出した身体が震えている。

 未来への、どうしようもない不安。


「良いから来い」


 男が僕の腕を掴み、まるで連行するかのようにして先に進んだ。

 しばらく歩き、ドアを開けた男は、僕を強引にドアの中へ突き出す。

 僕が思わず転んでしまうほどの乱暴さだった。


 顔を上げると男が見える。

 全部で三人。僕を連れてきた奴を含めると、四人。

 全員人間では無さそうだ。


「ようこそ、上谷浩介」


 正面にいた男の顔を見て、確信する。

 いや、分かりきっていたことだが、疑いの余地はもう無い。

 やはりあいつだった。

 群れを作っていた、敵のリーダーだ。


「どう説得したかは知らないが、脳波は感じない。イブとか言う奴は連れてこなかったようだな。賢明な判断だ」


 男はスッと立ち上がるとこちらに歩いてきた。


「さて、上谷浩介。人間のようなことを度々言ってしまうが、俺はかなり頭に来ている。今、俺の仲間が何人いるか分かるか? ここにいるので全部だ」


 男は僕の襟を掴んで無理やり立たせた。


「木島洋二を捕まえるのに、かなり苦労させられたよ。ソラとか言うやつがあんなに戦闘に長けた個体だとは思っていなかったからな。それで半分が死んだ。で、今日、先ほどだ。様子を見に行った奴の話じゃ、脳波の信号が一つしかなかったとか言っていた。イブとか言う奴を捕まえた連中がみんな死んだことを意味しているよなぁ。これは。」


 僕はそれを聞かされた後、部屋の中央に投げ飛ばされた。

 胴をしたたかに打ち、息が詰まる。


「お前など道端の石ころにも劣る存在だ。いずれ適合する仲間が出来た時の、仲間を増やすための餌の予備だ。だが、気が変わったよ」


 僕はまだ、立ち上がれない。


「お前は殺す。ここでな」


 僕の心臓がドッと血液を全身に巡らせた。

 死ぬ。ここで。


「殺すなら、それでもいい」


 もう、その一瞬で、僕は死んでしまうのだと諦めた。

 どれだけ嫌でも、もう変えられそうも無い。

 僕はちっぽけな、ただの人間だ。


 でも、それでも僕は、何のためにここに来たのか忘れるわけにはいかない。

 僕はフラフラと立ち上がって、言った。


「僕はどうなっても良い。でも、人質は――藤森さんは、助けろ! 彼女は無事だろうな?」


 男はそれを聞くと、部屋の隅をアゴで指す。


「あのメスは少し興味深かったので、調べさせてもらった。最初はまさか人間だとは思わなかったが、脳波が弱すぎたので、近づいて見てみた。そこで驚いたよ。まぁ、あちらもこちらの脳波を感じているようだったからな。そのまま放置することも出来なかった」

「あの子は、関係ない! 本当にただの、何も知らない人間なんだぞ……!」

「そんなことは知っている。だが、だからこそ、俺たちの正体を選別できると言う人間は見過ごすことなど出来ない。だから、ここに連れて来て、ついでに調べさてもらった」


 何を、したんだ?

 そう聞きたかったけど、声が上手く出てこない。


「いろいろと調べさせてもらっていたと言っているだろう? やらせてもらったよ。この際、人間の身体の構造を含めて、徹底的にな。おい、誰でも良い、ここに運んで来てくれ」


 男が目を細める。

 今度は笑った。笑っていた。


「まず、痛めつけた。苦痛を与えたときの脳波の信号がどう言う物なのか。俺らとは似ているようでいて、全く違った信号を出したよ」

「なっ……!」

「それから生殖器だ。いろいろ弄って突っ込んだら、ずいぶんと泣いて叫んではいたが、これも俺たちが知ることの出来ない無い信号だった。最終的にはオルガズムと言う奴にも達したんだろうな。あの瞬間の信号は、我々が繭玉を作る時と同じだったのには驚いた」


 その瞬間、僕の目の前にどさりと藤森さんが置かれた。

 あまりにも酷い状態で。


 半裸と言うには、あまりにも肌をさらけ出している少女の身体。

 青痣だらけの皮膚。

 切り傷に、火傷の跡。

 全身が傷だらけの藤森さんはもう、息も絶え絶えの状態だった。


「こちらの信号にもいちいち反応していた。次に何をされるか予想していたらしい。痛めつけるために持ち込んだ道具を見た時の、あの信号も実に興味深かったよ。あれは人間で言うところの恐怖と言う奴なんだろ?」

「藤森さん!」


 僕は急いで藤森さんに歩み寄り、身体に手を伸ばした。

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