第43話 裏切り
「断るか。だが、そうなると、少し、俺もやり方を変えなければならないな」
すでに男は、完全にこちらに向き直っていた。
「そもそもだ。お前の脳波はソラに良く似ている信号を出すよ。俺もずいぶんと長く生きてきた個体だが、今まで知らなかった感情だ。お前達に他の個体と違う何かを感じている。なんなんだ、それは? お前もソラと同様、実に興味深い個体だよ。なぜ、自分に得が無いようなやり方で過ごしてきた?」
「知ったことか」
イブの声は鋭い。
だが、男は全く動じなかった。
「自分のことだ。知っているはずだろう? 是非、教えてもらいたいものだ。さっきから俺の知的好奇心は刺激され続けている。なぜだ? 暗示を含めて丸め込めば、多少の無理はどうにでもなったはずだ。なんなら、今すぐやれよ。ここで。俺は繭を作ったことが無いのでわからないが、もしかすると今のお前のような弱った状態では繭を作るのに失敗するかもしれない。ここで少し回復したらどうだ? ここはそういう施設だったんだろ? なんなら手伝ってやろうか?」
ここ。つまりは、潰れたラブホテルのことを言っているのだと分かったが、僕の心境はそれどころじゃなかった。
あの男もイブも、元々同種の生物で、人間を利用している敵なのだ。
このままでは僕の命は、無い。
しかし、イブは男と対峙したまま、後方の僕にこう言うのだ。
「浩介。逃げろ」
「え?」
「未だに奴の脳波が見えないが、このビリビリとした空気は何度も経験している。攻撃されるぞ」
その瞬間、男の周囲の空気が一変した。
全身の毛が逆立つような感覚。
たった今聞いたイブの声を身体で理解したのだ。
「抗うのか? 無駄なことをするな」
男が、来る。
殺戮に飢えたような表情を見せながら、足を一歩。
「何をしている! 逃げろと言っているだろ! 今の私では時間稼ぎも出来るか分からん! 行け!」
イブの声はもう怒鳴り声だった。
もう、何も考えられない。
僕は、イブの声に従うかのように振り返り、部屋の入り口へと向かった。
ドアへの距離は、僅かだ。
だが、駆け出した瞬間、息が詰まるようなプレッシャーと共に、殺気が追いかけて来た。
ざわりとした空気のブレ。
目に見えない、あの腕だ。
やられる。と、僕は自分の死を覚悟したが、背中に感じたのは、すぐ後ろでぶつかり合った打撃の音のみで、僕の身体はそのまま走ることが出来た。
……打撃音。
「どこにそこまでの力が残っていた?」
「黙れ!」
連続して響いたそれは、イブが男と戦っている音に間違いなかった。
僕を助けるために。
それらは僕の足音と心臓の音でかき消されて遠ざかり、良く聞こえなくなった。
僕はひたすらに前へと走る。
通路を走り、階段を降りて、一階へ。
フロントを過ぎ、玄関を抜けて。
そうして外への脱出に成功していた。
息が苦しい。
気がつくと僕は、ホテルの廃墟からだいぶ離れたところにいた。
喉と肺が酷く痛む。
足もがくがくと震えていた。
それでも休んでいる暇は無いと思いなおし、自分の身体がくたくたになるまで、ひたすらに走り続けた。
ようやく足を止めたのは、周りが真っ暗になってからだった。
僕は座り込み、イブの名前を呼ぶ。
「なんでだよ、イブ。なんで、僕を」
今さらの思考だった。
イブは、あの状況で僕だけを逃がすために、男と戦うことを選んだのだ。
敵と同種。
人間を利用する生き物。
イブが敵の仲間だったと言う事。
それらの真実に僕は混乱し、イブを疑い、敵視さえしてしまった。
だけど、あの時のイブは、ずっと一緒に過ごしてきた、僕の知っているイブだった。
僕は、イブを置き去りにして一人で逃げてしまったのだ。
今、後悔の念が、僕の身体を動かなくさせている。
これからどうするかも、まるで分からない。
そのまま僕は何も考えることが出来ず、道の端で座り込んだままでいた。
と、その時、僕のスマートフォンが着信を告げる。
心臓が跳ね上がったが、端末に表示された名前を見て、僕は落ち着きを取り戻した。
表示された名前は、藤森優子。
なんでこんな時にと、僕は通話のボタンを押した。
「もしもし」
乱れた呼吸を正そうとしながら、返事を待った。
『上谷浩介か?』
端末から、どこかで聞いた事のある声が聞こえて来る。
だが、藤森さんの声ではない。
一瞬、さっきの男の声かとも思ったが、違った。
全く聞き慣れていない声だ。
だが、確かにどこかで聞いた事がある。
『上谷浩介かと聞いている』
「そうだ、けど。……あなた、誰ですか? 藤森さんは?」
くっくっくと言う、笑い声が聞こえてきた。
『藤森? ああ、この人間のメスか。お前の知り合いだったとは驚いたぞ』
こんな喋り方をする奴が、人間であるはずが無い。
「だ、誰だよ、お前は? 藤森さんは?」
『俺のことがわからないか? 俺達が木島洋二を追っていた時に見逃してやっただろう?』
洋二さんと最後に会った時の敵だ、と思い当たった。
少なくとも人間ではない。
「なんで、このスマートフォンを、お前が」
僕の質問に、相手はあっさりと答えた。
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