第42話 死

 ソラに意識があるのか無いのか、ここからでは分からない。

 だが、男はそれに構うことなく、言葉を続ける。


「俺達は繁殖のために繭を形成させる。だが、俺は一つの可能性を考えたのだ。本来、繁殖のために形成する繭。これを作ると言うのが、お前達にも出来るかもしれないと。お前らと俺たちとでは、擬態している外見こそ違うが出来ることがほとんど一緒だからな。お前達が体液を必要とする以外は、身体の作りはほとんど変わらない」


 男がソラの頭に触れた。


「今から、お前に深い暗示をかける。俺が試して欲しいのは、繭の形成だ。自分も出来るはずだと強くイメージしろ」


 ソラの返事は聞こえない。

 男が、ソラのうつろな目を覗き込んでいる。 


「繭の材料は自分の肉だ。自分の身体を繭に変異させ、人間を閉じ込める。俺達は繭を作る時に自分の命を使うのだ。そのためには自分と言う存在を捨て去らなければならない。体を分解することを考えろ。死に向かうのではなく、新しい何かを生み出すと言うことを」


 肉体を繭に変異させると言うのは、どういうことなのか。

 実際にどう作るかなんて想像もつかないけれど、言葉通りに受け取るなら、繭を作る事と引き換えに自分を犠牲にするのだろう。


 以前、繁殖に興味がないと言った男の言葉を思い出した。

 それは、次の世代のために死ななくてはいけないということを知って、それを避けるための言葉だったのだろう。

 男の言葉がソラに向けて続けられている。


「ソラ。やるんだ。今しかない。すでに変異したとは言え、そこに転がっているのは木島洋二の肉体だったものだ。それを使え。取り戻したかったのだろう? 木島洋二を。今度こそ、お前だけのものだ。もう、誰にも奪われることは無い。安心しろ。さぁ……」


 一定のリズムがある声の音。

 男の声が柔らかくなっていき、空気がサッと変わるのを感じた。

 張り詰めた弓の弦がほつれて切れていくイメージで、どこか優しいものへと変化している。


「よう、じ」


 微かに、洋二さんの名前を呼ぶ声が聞こえた。

 それからフッと笑ったソラの顔が僕の目に映る。


 笑っていた。


 目を僅かに細め、ソラは笑っていたのだ。

 もし、これが人間と一緒なのだとしたら、酷く悲しい笑みに見えた。


 そして、僅かな時間も持たないまま、ソラが死んだ。


 いや、死んだという表現は正しくないのかもしれない。

 ただ、ソラと言う存在が全く違うものへと変わっていくのを見て、それ以外に何と名前をつけたら良いのかわからなかったのだ。


 ソラと言う存在が僕に残したものは、酷く冷たい感情だった。


 洋二さんとの出会い。

 ハンバーガーショップ。

 圧倒的な強さを持っているにもかかわらず、最後に見せた戦いの理由。

 そして、人とは違うこの種族が、人を想って涙を流した。


 たくさんの記憶が浮かんでは、消える。


 僕は、ソラが人間を利用するだけの生物だということが分かっても、ソラと言う存在が失われることに悲しさを感じていた。


 これは、何度も経験した感情に酷く似ている。


 田舎のあの町で触れた、冷たい肌をしたおばあちゃん。

 そして、昨日の藤森さんの声。


『私の、血の繋がってない義理の妹』


 ああ、これは。


 僕は確信を持って思った。

 ソラのこの変化。

 命が、物に変わっていく現象。


 やはり、僕が知っているモノの中で一番近いものが『死』だった。


 もう、ソラと話す事も出来ない。

 こちらの話も聞けないだろう。


 これを死と言わずに、なんと言おうか。


 だが、その光景は神秘的ですらあった。

 ソラの身体が、ほろり、ほろりと崩れていく。

 髪や皮膚の表面がほのかに光り、まるでほつれた糸が剥がれていくように見えた。

 やがて、ソラの姿は空中に、まるで質量を持った雲のようにふわりと広がって行く。


 もう、少女の形をした部分など何も残ってない。

 ソラがいた場所にあるのは、ぐるぐると動き続ける細かい集合体の渦だ。


 青や白の混ざり合った、複雑な模様を持ったそれは、緩やかに回転を続け、やがて一つの物体が形作られていく。


 広がった範囲を狭め、繊維状の何かだったそれは、次第に丸みを帯びたものを形成した。


 繭だ。

 地面に、ソラが着ていた衣服が散らばっている。


「やはりな」


 男が言った。


「俺の推測は正しかった。どちらも繭を形成できる。出来れば、木島洋二がまだ生きていた頃に試してもらいたかったが。これでは失敗だろう。ともかくこれで一つ確かめることが出来た」


 男の声が止まった時にはすでに、この部屋にあった物と同じような繭玉が完成していた。

 大きさが少し小さく、色が白く輝いて見えること以外は、ほぼ一緒に見える。


「さて、イブ。俺はこの続きが知りたい。単純に数が増えるのか、それとも、何か新しいものが見れるのか。是非、試して欲しいのだ。そこの上谷浩介で」

「……断る」


 イブの、はっきりとした声が聞こえた。

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