第4話 言ノ葉

『僕』と言う人間について考える。


 上谷浩介。17歳。

 高校生で、女の子と付き合ったことはない。


 恋愛小説は読むし、恋愛映画も見る。

 愛は素晴らしいし、恋も尊いものだと、そう思うこともある。

 だけれど、僕は女の子の存在を身近に感じると、とてつもない不安を感じてしまうのだ。


 それはまるで、蛇の接近を察知したカエルのような切迫感があって、何もかも放り出して逃げ出したくなる。


 でも、この時の僕は逃げなかった。

 自分でも訳が分からずに、そのまま耐えていたのだ。


 本当なら、このコーヒーショップで顔を見た瞬間、まともな言葉を交わすこともせずに『君のことなんて大嫌いだ。つきまとわないでくれ』と、彼女を拒絶していただろう。


 でも、もしそんなことをすれば、僕の生活の場――学校の、クラスの中心人物たる藤森さんが、僕にこう言うだろう。

 もちろん、彼女は他の人に言いふらすなんてことはしないだろうけれど。


『上谷君。君、ひどいんじゃないか? 女の子を泣かすなよ』


 ……いや、これは言い訳だ。

 藤森さんのことは大した問題ではない。

 僕は、カノンの存在に怯えつつも、それでも、彼女を泣かせたくないと、そう思ってしまっているのだ。


「上谷さん。その、迷惑でしたか?」

「何が?」

「その、さっきは大丈夫って言ってくれたけど、不安で。無理に探してしまって、ごめんなさい。でも、私。上谷さんともう一度会えて、嬉しかったです」


 大した問題ではないと思ったが、返す言葉は慎重に選ばなくてはならない。


「……大丈夫。僕もだよ」


 嘘だ。

 だが、カノンはパッと笑顔を浮かばせて、嬉しそうに「良かった」と言った。


「あの、上谷さん。もし良かったら、これからどこかに遊びに行きませんか?」

「ごめん。夕方から用事があって」


 僕は再び嘘をつく。


「そうですか」


 カノンのコロコロと変わる表情の変化は、見ていて面白いと思った。

 同時に、その悲しげな顔に、途方もない罪悪感のようなものも生まれている。


 しかし、それらはすぐに現れた嫌悪感にかき消されてしまい、やはり彼女とはこれ以上、関わりを持ってははいけないのだと、そう思ってしまった。


「……」

「……」


 言葉が途切れる。

 空気が重くなり、耐えきれなくなった僕は、必死に言葉を探していた。

 何かを言わなくてはならない。


「でも、明日なら」

「え?」


 言ってから自分の失敗に気付く。

 ……ダメだ。この言葉の続きを投げてはいけない。


「カノンさん。明日なら良いよ。どこかに遊びに行こう」

「ほ、ほんとですか?」


 心の底から湧き上がってくるネガティブな感情が、僕の中でいっぱいになった。

 何故、僕はこんなことを言ってしまっているのだろう。


「ありがとうございます! その、観たい映画があるんです」

「良いよ。それに行こう」


――――――――――


 拒絶したいと感じる心とは裏腹に、彼女を受け入れてしまったのは何故なのだろうか。

 この時はまだ、分からなかった。


 ただ、僕はこの時に別れを切り出さなかったせいで、夏の間中、ずっとこのカノンと言う少女に迷わされ続けていた。


 理性でものを考えれば、自分の感情に説明がつかないと言う事は、自分でも分かっている。

 彼女を嫌う理由など、何一つとして思い浮かばない。


 容姿は可愛いらしいと思うし、接して分かったのは、彼女がとても素直で優しく、そして心が奇麗だと言う事だ。

 明るくて、本が好きで、映画も好きで、いつもニコニコと笑っている。


 そうした彼女と接して行く度に、彼女が僕の中で、どんどん大きくなっていく。


 彼女が呼ぶ僕の名前。

 彼女の、僕を見る目。

 ふと香る彼女の髪の匂い。


 それら全てが、僕の生活の中に入り込み、彼女と会わない日が続いても、ふとした時に思い出すことがあるのだ。


 例えば、夜寝る前。

 朝起きた時。

 食後のコーヒーを飲んでいる時。


 そして僕は、彼女が送って来るメッセージを気にかけて、スマートフォンの画面を見る。


 ……だが、勘違いしないで欲しい。

 この夏、僕が彼女に感じていたのは、すでにプレッシャーを超えた感情、恐怖に近しいほどネガティブな感覚へと変わっていたのだ。


 彼女の声を思い出しては身を竦ませ、目を思い出しては震えあがり、匂いを思い出しては、勝手に不安定になる呼吸を落ち着かせる。


 それが日常生活を侵食し、メッセージの通知が来る度に、端末を放り投げて破壊したくなっていた。


 でも、それでも。

 何故そうしないのか自分でもよく分からないまま、僕は彼女のメッセージに返信し、彼女の望むがままに、半ばデートのような状況で遊びに行った。

 話すのはほとんど彼女だけで、僕は本心を悟られないようにと注意して偽りの笑顔で過ごすと言う、デートと言うには少し酷い話だったのだけれど。


 ……いつまでそれが続くのかは分からないと思いながら、夏休みが終わり、それから次の休日にまた遊びに行く約束をして眠り、季節は変わる。


 9月。


 そう、9月だ。

 僕の人生が、過酷な状況へと変化してしまった、最初の月。


 始めは、祖母の死だった。

 2015年――その年の春に脳卒中で倒れ、意識不明のまま入院していた、僕の父方のおばあちゃん。


 肉が好きで、住んでいる田舎の家から、車で一時間以上も走らなければたどり着けないハンバーガーショップに通う、元気なおばあちゃん。


 そのおばあちゃんが、病院のベットで死んでしまったのだ。


 いつか来る、約束された訃報。

 それでも信じたくなかった。

 きっと、何かの間違いなのだと。

 祖母が、病気で死ぬわけがないのだ。


 ……そして、その直感は、ズバリ的中したことになる。

 これは、人ならざるものとの邂逅で知ったことになるのだけれど、病死として死を認知された祖母は、病気が原因で死んだわけではなかった。


 祖母は、殺されたのだ。

 それも入院していた病院のある田舎の町から遠く離れた都会に住む、僕と言う一個人を引きずり出すという、それだけのために。

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