第2章 北へ 2015年 9月

第5話 葬

 東北地方、A県。大火田おおかたまち

 三方を山に囲まれ、一方を海に面した人口約8000人の小さな港町で、特産品はイカ。


 それが祖母の暮らしていた町だった。


 2005年に隣接していたM市と合併したものの、それで何が変わったと言うことも無く、ただただ寂れていく田舎の光景がそこにある。


―――――――――


 祖母の訃報が届いた時、ちょうど僕は待ち合わせしていたカノンと会ったところで、すぐさまその日のデートは中止になった。


 端末を見て、顔色を変えてしまった僕にカノンが気づく。

 それで僕の祖母の死は彼女の知るところとなったのだけれど、事情を知ったカノンはすぐさま僕に言ってくれた。


「行ってあげてください」


 この日のデートは、特別楽しみにしていたのだと思う。

 何しろ、この日観るはずだった映画は、以前、カノンが僕に『一緒に見たい』と言っていた映画なのだ。


 彼女が用意してくれていた映画のチケットは台無しになったし、それは若干の申し訳なさはあるのだけれど、それでも彼女がこう言ってくれたことに、僕は感謝した。


「ありがとう」

「気をつけてね、上谷さん」

「うん。行ってくる」


 電車で家に帰り、父の運転する車に乗る。

 荷物はほとんど無い。

 喪服の代わりになる、学校の制服と、数日分の着替え、それから財布。


 僕と母、それから運転する父を乗せた車はすぐに高速道路を走り、僕は流れる都会の街並みを眺めている。


 父も母も無言で、祖母と言う存在を失ったのは、多大な損失であることがうかがえた。

 もちろん、僕だって悲しい。

 だからか、祖母の夢を見た。

 単調なエンジンの音の中、目を閉じて眠り、過去の思い出を夢に見たのだ。


 M市の繁華街まで、一緒にハンバーガーを食べに行ったこと。

 夜、寝る前に昔話を聞かせてくれたこと。

 商店街を一緒に歩いたこと。


 思い出の中の田舎町は、いつだって色鮮やかで、祖母はどこまで元気だった。


 しかし、夢の中から呼び起こされたエピソードは、次第に祖母以外のことを再生し始めて、僕は夢の中で、海の方角の反対側に在った山のふもと。

 寂れた神社の記憶を呼び起こす。


 小学校5年生の夏休み。

 僕はそこでこっそりと犬を飼っていた。

 とは言っても、ほんの数日間、神社の近くに住んでいた野良にこっそりとエサをあげていただけなので、飼っていると言うのは子供の感覚でしかなかったのかもしれないけれど。


 でも、その町での僕は孤独な少年で、その犬はその町にいる、たった一人の、僕の友達だったのだ。


 そんな時、神社に僕以外の足音が出現した。


 だ。


 初めに何の話をしたのか。

 どうやって仲良くなったかは覚えていない。


 ただ、都会の町に帰る前日まで、毎日、エサをあげにその神社に行って、犬とフリスビーを投げて遊んだりして、それをその女の子が興味深げに眺めていた。


 ……あの日、夏の温かい雨が降り、犬が走って。

 神社からそれを追いかけようとした僕の服を、彼女が掴んでとどまらせ。

 そして、振り向いた僕にそっとキスをした。


『浩介』


 雨の音。

 唇から離れた彼女が僕の名前を呼んで、それから告げる。


『ここでまた会おう。待っている』


 ……都会に帰る前日だったのだと思う。


 その夏から仕事が忙しくなりすぎている父の都合であの町に行く機会が消滅したし、それからの夏は、ずっと都会で過ごすことになった。


 彼女とは、それっきり会っていない。

 まるで、何かに憑りつかれたかのようにして、忘れることのできない記憶。


 今思うと、この日、僕がこれを夢に見て思い出したのは、これから始まる一連の出来事の前触れのようなものだったのかもしれない。


 この、高速道路を走る車の中で眠ったことが、僕の平穏だった最後の眠りとなったのだから。


――――――――――


 僕が起きたのは、車がM市の市街を抜けて、大火田町に入り込んでからだった。


 時刻は深夜で、暗い山道を抜けて、街灯が道路をぽつぽつと照らし始めている。


「浩介、起きたか」

「父さん、今、どこ?」

「あと少しで着くよ」


 言葉と共に実感する。

 見たことのある景色。


 ずっと運転していた父は疲れ切っていて、助手席に座っている母も同様だった。


「大丈夫? トイレにも一回も起きないで」

「うん。夢を見てた。昔の」

「そっか」


 会話は終わる。

 車が、祖母の家に到着したのだ。


 家は夜中だと言うのにまだ起きている親戚達がいて、僕らを迎えてくれた。

 ただ、庭の池に住む鯉だとか、祖父が仕事場にしている小屋だとか、そう言う懐かしい光景の中で、祖母だけがいなかった。


「こっちにいるよ。挨拶、してあげて」


 従兄に案内され、僕らは家の中に入る。

 祖母は棺に入れられて、眠っていた。

 手を伸ばしたのだけれど、肌はしっとりと湿っていて、酷く冷たくて。

 これが死の温度なのだと、酷く実感させてくれる。


 その時、背後で親戚と父の話す声が聞こえた。


「今日中に来れてよかったよ。明日の午前中にはもう、火葬するって言うから」

「なんで通夜の前に火葬しちゃうんだ?」

「なんでか、最近、立て続けて亡くなった人が出たみたいで。向こうの都合みたいなんだけど」


 嫌な予感がする。

 思えば、車を降りた時から、何かに見張られているような感覚を感じていた。


「浩介、明日、葬式になるってさ」


 こんどははっきりと聞いたそれを心に刻み、案内された部屋で布団を敷くと、朝までの僅かな時間を、僕は眠った。


 しかし、葬式の日も、通夜の日も、それからずっと、僕は酷く緊張して過ごすことになった。

 町は、何か変だ。


 どこかから僕を見ている誰かがいて、僕を密かに呼んでいるような、そんな感覚がずっとつきまとっている。


 僕は亡くなった祖母の親族だし、通夜では受付を任されたので、それに気を取られている余裕はなかったのだけれど、それでも気にはなった。


 しかし、何も起きない。

 だからこそ、気持ちが悪かった。

 自然と周囲を警戒してしまい、寝ている時も眠りは浅い。


 そうして、弔いの全てが終わり、再び都会に帰るまでの数日間。

 僕は、町を歩いた。

 部屋でジッとしていることが出来なかったからだ。


 港も、海も、寂れた商店街も、何もかもが夢で見た景色とは違って見えて。

 それでも、僕は気を紛らわせるようにして、あの頃の思い出を探して歩いていた。


 そうして神社にたどり着き、僕はと再会する。

 人ならざる者。

 僕と共生関係となる、あの生き物と。

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