第3話 再会

 7月に電車で助けたこの女の子との再会を話す前に、話しておこうと思う。


 この頃の僕はまだ、9月から先に起きることを知る由もなく、ただの平凡な男子高校生の一人でしかなかった。


 いや、9月に催眠を解かれるまで、女子を避けて、親密になる気配を察知する度に嫌悪感を感じてしまうと言う、少し特殊な男子ではあったのだけれど。


 ともかくこの頃の僕は、自分を追ってくる死についてだとか、命を守るために何をしなければならないかなんて、そんな悩みを抱えることはなく、夏休みの課題をどう片付けようかとぼんやりと思いながら、ただただ時間を浪費する17歳の少年だった。


 そんな2015年。8月の始め。


 夏休みのある日、僕が参加したクラスの勉強会――実態はただの夏休みの宿題の写し合いなのだけれど、冷房の効いた市営図書館で大々的に行われたその勉強会の後、一人のクラスメイトが話しかけてきた。


 女子だ。


「上谷くん。ちょっと頼みごとがあるんだけど、良いかな?」

「頼み事?」


 彼女の名前は藤森ふじもり優子ゆうこ


 正直、戸惑った。

 藤森さんとはそれほど仲が良いわけでもなければ、話もあまりしたことがない。

 と言うより、女子と関わるのを避けている傾向にあった僕とは、言ってしまえばあまり接点がない存在である。


「どうして僕に? 他の人は?」

「まぁ、そう言うなって上谷君よ。たまには困ったクラスメイトのお願いくらいは聞いても良いでしょ? 君にしか頼めないことなんだからさ」

「……僕にしか頼めないって?」

「いや、それはね。ようするに、他の人には断られちゃって。実はこの後、ネットで知り合った友達と始めて会うんだけど、一人じゃ不安なんだ。こう見えても人見知りだからさ、私」


 それは全くの嘘に思えた。


 彼女は、クラスメイトの3分の2が参加しているこの勉強会を発足した人物でもあり、言うなればクラスの中心人物と言える。

 頼みごとをすると言うよりはされるタイプの人で、知らない人とも仲良くなれるような、そんな人のように、僕は感じていたのだ。


「で、さ。上谷君。一緒に来てくれないかな。冷たい飲み物くらいはごちそうするからさ。頼むよ。人助けだと思ってさぁ」


 本当にみんなに断られていたのかをその時に疑えば、また違った展開になったのかもしれない。

 だけれど、僕は彼女ほどの人から頼まれたことを断るのが何か悪い気がして、そこまで考えなかった。


「良いけど。でも、どこで会うの? あんまり遠くには行けないよ」

「すぐ近くだよ。駅前のコーヒーショップ。もう来てるって言うからさ、行こっ」


 そして、図書館から出て、数百メートル。

 藤森さんに連れられた僕が店に到着した時、すでに藤森さんの言う『ネットの友達』は席についていた。


「えっと、失礼します。藤森です。カノンさん、で良かったかな?」


 僕は目を見張る。


「藤森さん。ネットの友達って、この人? カノンって?」

「あ、カノンって言うのはハンドルネームって奴ね。彼女とは、私が……えっと、なんだっけ。うーんと、そうだ、ゲームで知り合った友達」


 藤森さんは僕たちの飲み物が乗ったトレーをテーブルに置くと、有無を言わせずそう説明した。


「びっくりしました。またお会いしましたね、上谷さん」


 カノンと呼ばれた少女は、嬉しそうに笑う。

 一ヶ月も前。それも僅かな時間しか顔を見ていなかったにも関わらず、電車で助けた女の子だとすぐに分かった。

 そして、藤森さんはあらかじめそう言うと決めていたかのように、僕に告げるのだ。


「知り合いなんだ! そっかそっか上谷君。不思議な縁だねぇ! まぁ、座りなよ。とりあえず、アイスコーヒーでも飲もうぜ。あ、今、スマホ持ってるでしょ? RINEルィン、グループ作って呼んどくから。私と上谷君と、カノンさんの三人グループ。せっかくの縁なんだからさ、連絡先くらい交換してあげなよ」


 言葉に違和感があった。

 知り合いと言えど、カノンと僕がお互いの連絡先を知らない間柄だと知っているかのような言葉だったからだ。

 藤森さんが自分のスマホを操作すると、僕のスマートフォンが通知を知らせる。


 RINEルィン

『グループへの招待があります』

 RINEルィンとは連絡先を交換した相手とメッセージやデータのやり取りをするアプリ、僕ら高校生――少なくとも僕の同級生の間では標準装備のごとく端末にインストールしてある、コミュニケーション用の アプリケーションである。


「上谷君、早く参加してよ」


 僕はため息をついて、端末を操作した。


『グループに参加しました。参加メンバー。藤森優子。カノン。上谷浩介』


「へへ、素直で良い子だね、上谷君。お姉さんは感心したよ」

「お姉さんってなんだよ、藤森さん」

「良いから良いから。で、上谷君。悪いんだけど実は私さ、今日、用事があるんだわ。カノンさんと遊んでてくれない? 私の友達だからね。頼んだよん」


 有無を言わさなかった。

 藤森さんは自分のアイスコーヒーを一気に飲み干し、彼女――カノンに向かって「後はがんばってね」と言う。

 そして、藤森さんがさっさと出て行ったあと、顔を赤くしたカノンなる少女は、緊張した面持ちで、僕に言うのだ。


「……あの、上谷さん。怒ってますか? 気づかれましたよね?」

「何が?」

「実は、上谷さんを探して、会えるようにセッティングしてもらったんです。藤森さんは、その、同じ中学だった子の、友達の、友達で」


 友達の友達の友達。

 彼女が僕の着ていた制服から学校を特定したのを想像するのは容易い。

 そして、僕は名前を名乗ってしまった。

 僕を特定するのは、そう難しいことではなかったのだろう。


 しかし、手間はかかる。


 そうまでして僕を探し当てたと言うことに、再びため息をついた。


「怒ってないよ。大丈夫」

「良かった」


 カノンは安堵の表情を浮かべると、切り出す。


「お礼をちゃんと言いたくて。もう一度、どうしても会いたかったんです。私と、お友達になってくれませんか?」


 ……ひどい嫌悪感を感じた。


 それは、10歳の時に人ならざる者から受けた暗示のせいだったのだが、この時はまだ、心の内から出たその感情が何なのかはわからない。

 ただ、それは『彼女とこれ以上、関わってはいけない』と言う不安にも似た強いもので、とたんに僕は、彼女の顔を見るのも避けたくなってしまった。


「いや、悪いんだけど、僕は」

「お願いします」


 断ろうとした僕に対し、カノンは小さな体に似合わない強引さで頭を下げて、言葉を続ける。

 とにかく、必死だった。


「知り合って時間も経ってないって思うかもしれませんけれど、私、上谷さんのこと、その、す……す、すごい、勇気ある方だなって、尊敬してるんです。かっこいいなぁ、なんて……」


 僕は注文したアイスコーヒーを飲む。

 コップはじっとりと汗をかいていて、コーヒーは苦く、冷たかった。

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