第26話 目撃

 思えば、僕はずっとひとがりだったのかもしれない。


 イブに対しても、誰に対しても。

 でも、それでも。


 僕は僕として、自分の望まないことを避けて、自分の好まないことを嫌って、そうやって生きていくことしか出来ない。


 これは、僕が子供だからなのだろうか。

 今の僕には出来ないことが多すぎる。

 例えば、洋二さんのようにイブを抱いて、イブと共に戦うことに向き合ったり。

 カノンとの連絡手段を絶って、カノンのことを全てを忘れてしまったり。


 ……必要なことが何にも出来ていない。


 そうして迎えたイブのいない日常は、不安そのものだった。


 今にも襲われるかもしれない。

 でも、それでも1人でいたかった。



 学校で授業を受け、昼休み。

 その日は、久しぶりに僕の学校生活における数少ない女友達が話しかけてきた。

 と言っても、混み合った学食でたまたま座った席の正面に座っていて、と言うことでもなければゆっくり会話することもない関係の友達なのだけれども。


「よっ! 上谷くんじゃないのさ。どうだい調子は?」

「藤森さん」

「なんだよ、元気なさそうだなぁ」

「別に、普通だよ」

「そうは見えないけど?」


 藤森さんはこう言うことを平気で言う。

 そんなにいつもと変わった顔だったろうか。


「何があったか知らないけど、お姉さんに話してみなよ、少年」

「別に、何も悩んで無いよ。それよりお姉さんって。同い年じゃん」

「まぁ、そう言うなって。精神年齢はずっと上じゃん?」


 思いがけずに僕は笑った。


 藤森さんは楽しい人だと思う。

 あれから、まともに話したのなんて数えるほどだけど、枷が解かれたからか、彼女のこともずいぶん真っ直ぐに見ることが出来た。

 

「上谷君。あのさ、もしかして、カノンちゃんのこと? 上手く行ってないの?」

「え?」


 つい先日も同じようなことを聞かれた気がする。


「恋愛がらみだと、お姉さん、ちょっと自信ないけどさ。まぁ、話してみなよ」

「いや、別にそういうわけじゃないよ。カノンさんとは、別に友達だし」


 今の状況では、ますます会う分けにはいかない。

 藤森さんは僕の隠れた葛藤なんて気にせず、フンフンと鼻を鳴らしながら僕に言う。


「そっかそっか。カノンちゃんとは、お友達なんだ。そっか。でもさ、じゃあ、どうしたの? その暗い顔は。何かあったんだろ?」

「いや、何もないわけじゃないんだけど。普通じゃないんだ。とてもじゃないけど、話せないよ」


 学食は騒がしい。

 隣の席の人が食事を終え、ちらりと僕を見てから去っていく。


「あー、じゃあ、あのことかな。実はさ。見ちゃったんだよね」


 藤森さんが、スプーンを指先で弄りながら、言った。

 その丸い切っ先が僕を指している。


「……何を?」

「んーと、ここじゃちょっと。ね、放課後、付き合える? どっかで、話しない?」


 イブの顔が浮かぶ。

 あの状態で放っておいても良いのだろうか。

 ……良いさ。少しくらい。


「別に良いよ」

「ん。と、上谷君は部活やってなかったよね。じゃあ、放課後、駅前のコンビニで待ち合わせね」


 分かった、と僕らは言って、カレーを食べた。

 そして授業が終わり、放課後。


 僕は藤森さんと駅前のカラオケボックスにいた。


「……なんでカラオケなの?」

「個室でさ、誰にも気兼ねしないで、ゆっくり話し出来るでしょ?」


 そうかも、と思う。

 それにしても、待ち合わせ場所に女の子がいてどこかに出かけると言うのは、カノンと町で会って、遊んだ夏を思い出して、少しだけ複雑な気持ちになった。


「で、だ。上谷君。本題なんだけど」


 藤森さんが改まって言う。


「学校で、隠れて女の子とキスしてなかった? それも、すごい年下の」

「知らないよ」


 もしやと思ったが、最悪だった。

 イブとキスしているところを見られていたのだ。


「別に隠さなくても良いじゃん。カノンちゃんとは友達だって言うなら、ちょっと安心したし、さ。まぁ、カノンちゃんには悪いけど、仕方ないよね」


 藤森さんは、あっはっはと笑った。


「いや、ほら、年の差カップル、良いと思うよ。だけどさ、ほら、ちょっと心配じゃん。上谷君って、どこかミステリアスって言うかさ」


 藤森さんは必死に言葉を捜して、それから続ける。


「私は感じてたんだよ。俺は何か秘密を持ってるぞって雰囲気をさ。特に、ここ最近ね。で、だ。とりあえず、私は上谷君の秘密を握ってしまったわけなのだよ」


 ……いったい何が言いたいのだろうか。


「ねぇ、詳しく話を聞かせて欲しいな。良いだろう? お姉さんに話してみなよ。制服も着てないから学校の子じゃないし、あの子は誰なんだい?」

「知らない」


 僕はきっぱりと言った。


「なんのことだか分からないよ。藤森さん」


 藤森さんは、僕の吐いた嘘を聞いた後、少しだけ困ったような表情を作って、自分の頬を指で触った。


「あー、うん。そっか。そうだよね。ごめん。なんか、デリカシー無かったよね。でも、ほら、私さ。上谷君のことすごい気になるって言うか、なんだか、普通じゃないことしてるのが、すごい興味あったというか。あ、でも、とりあえず、私の見間違いかな。うん、見間違いだったかも。そんなことは無かったのね。安心したよ。ただ、さ」


 あわただしく口から言葉が出て、必死に僕にぶつけてくる。

 早口でまくし立てていたと言っても良いが、まるで支離滅裂だった。


 いったい何のつもりなんだろう。

 藤森さんとは、夏のあの一件以来、少し話をするようになったが、そんなに仲が良いわけでも無い。

 たまに顔を合わせれば、挨拶する程度だ。


 と、ふと気がつくと、藤森さんは何も喋ってなかった。

 顔をうつむかせてジッとしている。


「藤森さん?」

「怒ってるよね。ごめん」


 藤森さんは寂しそうに笑って、それから言った。


「ごめんね、実は、その、前から……んの……と……なの。だから、気になって」


 ずいぶんと小声だった。

 隣の部屋から聞こえてきた重い演奏の反響と、熱唱の叫びが言葉をかき消して、余計に話がしづらい。


「何? 良く、聞こえなかった」


 思わず聞き返す。

 藤森さんはそのまま固まっていて、思い出したかのように顔を上げると、それから音量を少し大きめにして言った。


「なんでも無いよ! ごめんごめん! それより、せっかくカラオケに来てるんだし、一発歌っとく?」


 その声はあからさまに明るかった。


「ごめん、実は、ちょっと早く帰りたくて」


 その提案を断ったのはもちろん、イブの顔が浮かんでいたからだった。

 藤森さんに見られていた事をイブに相談しなければいけない。

 藤森さんに見られたのは、単純にイブが弱っているせいなのかもしれない。

 胸に生じた罪悪感が辛い。


「そっか。じゃあ、出る?」

「うん。ごめん」


 僕と藤森さんは会計を済ませると外に出た。

 空気が冷たい。


「ごめんね。急に、変な話して」

「ううん。こっちこそごめん。嬉しかったよ。藤森さんが色々気にかけてくれてるってわかって。ありがとう」


 外はもう薄暗かった。

 冬が近いのだ。

 僕らは駅まで歩いて、それから別れの言葉を口にする。


「じゃあ、また。明日学校でね」

「うん。じゃあね」


 僕と藤森さんはそうして別れた。

 が、僕はすぐに帰ることは出来なかった。


「上谷さん?」


 背後からの声に驚き、僕は振り向く。

 ……今日はなんて日なのだろうか。


「あ、やっぱり上谷さん」


 カノンだった。

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