第4章 変種偶発 2015年 10月

第25話 疑念

 危機は脱出した。


 しかし、僕は、この日に起きたことで疲れてしまったらしい。


 家に着き、すぐに感じた鈍い頭痛とふらつき。寒気。

 体温計を見て、愕然とする。

 38度6分。


 事態はずっと深刻になっている。

 そして、今の僕の状態は、この事態にさらに拍車をかけてしまっていた。


「この際、仕方が無い」


 イブは僕の部屋で目を閉じてジッとしている。


「ごめん」

「気にするな。とりあえず寝ろ。人間の病は私の種に感染することもある。唾液の摂取も危険だ。お前に出来ることは何も無いし、私は今のままでもしばらくは平気だ」


 平気? その言葉は嘘だ。

 今の僕は、イブに体液を供給することが出来なくなっているのだ。

 平気であるはずがない。


 朦朧としていた意識の中で見たイブはどこか苦しそうで、それでも周囲をずっと警戒して気を張っているように見えた。

 イブはもう、限界なのかもしれない。


「ごめん、イブ。ありがとう」


 今は、それしか言えなかった。

 僕は目を閉じる。

 ふと、誰かが、僕の手を握ったのを感じた。

 他人の、イブの体温だ。


 ……意識が沈んでいく。

 暗示でもかけられたのだろうかと思うほどのスピードで落ちていく。


 夢を見ていた。

 走馬灯のように、過去の出来事が走り抜けていく。

 子供の頃の夢。神社での再会。サービスエリア。工場跡。

 イブとの生活は危険に満ちてはいたが、それでも一緒に暮らしていくうちに彼女のことを知りたいと思っていた。


 僕はイブがわからない。人間では無いと言うことが分かっていながら、どこかそれを疑問にさえ感じている。


 アイスクリームをもう一つ買ってくれといったイブの、手を握って温め合った温度。

 本当に人間のように感じた瞬間があった。

 イブ。僕は、君のことがますます分からない。


 〇


 翌朝も熱は下がっておらず、イブはずっと僕の部屋で座っていた。


 今、僕らを狙う敵がやってきたらアウトだ。

 僕は動けないし、イブは戦えない。

 それでも、僕が完治するまでの二日間、敵が現れなかったのは幸運だった。

 熱が平熱に戻った日の朝、部屋の隅でジッと僕を見ていたイブを見て、僕は言った。


「ありがとう、イブ」

「なぜ礼を言う」

「手、握ってくれただろ? なんだか、いろんなことがあって、不安だったから。嬉しかった」

「……気にするな」


 イブの顔が青い。

 もともと白かった肌が、ますます白く見える。


「私は人間のやまいのことは知らん。だから、浩介がこのまま死んでしまう可能性も考えてしまっていた。お前の祖母のように眠っていたからな」

「僕の、おばあちゃん?」


 突然、酷くざらついたものが僕の心に現れた。

 脳梗塞で倒れてから、2年近く入院していた僕のおばあちゃん。

 その祖母のようだと、イブは言ったのだ。


「イブ。僕のばあちゃん、どこで見たんだ?」

「病院だ」


 イブは当然のことのように言う。


「病院で?」


 疑問が湧き上がる。

 人間じゃないイブは、無駄なことなんてあまりしないイメージがある。


「イブ、どうして病院に? いつ?」


『恐らくは適齢期になったであろう君をおびき出すために、君の祖母を殺した』


 ……なぁイブ。

 僕を呼ぶためにおばあちゃんを殺したのは、本当に敵なのか?


「浩介。私を疑うのは止めろ」


 イブが僕の考えていることを見透かしているかのように、言った。


「浩介と再会する前、私と一緒にいた人間のオスが連れ去られ、私は浩介の情報を少しでも手に入れる必要があった。だから、お前の祖母が眠っていた病院にも行った。それだけのことだ」


 本当に?

 本当にそうなのだろうか。


『私達の種は、生き残るためならなんでもする』


「イブ。本当のことを言ってくれ」

「本当のこと? 何を言っている?」


 可能性の話をするならきりが無い。

 でも、生きる糧を失ったイブが僕と再会するためには何を選択すれば一番効率が良いのか。


 敵だって同じだろうとは思う。

 ……だけど。


「イブじゃ、ないよな? ちゃんと、違うって言ってくれ」


 それはもはや願いだった。

 ただの、僕の思い過ごしでいて欲しい。

 だが、イブは黙った。

 黙ってしまった。


「何で何も言わないんだよ」

「私にも、言いたくないことが一つや二つ、存在する」


 イブは浅く呼吸を繰り返して、それから言葉を続けた。


「今、浩介が何を疑っているのかは分かる。お前の祖母を殺したのが私なのかと言うことだろう? ただ、これだけは言っておく。殺したのは私ではない」


 殺したのは私ではない。

 ……違う。

 僕はまだイブを、疑っている。


 正直、問いただしたくはない。

 だけど、確かめずにいられなかった。


「言いたく無いってなんだよ。じゃあ、聞くけど、知ってたんだろ? イブは、僕のばあちゃんが、もしかしたらあいつらに殺されるかもってこと」

「知っていた。そのくらいは考えていた」

「見殺しにしたんだな」


 自分でも、こんなに恐ろしいほどの冷たい声が出るのかと、驚く。


「そうだ」


 イブは動じない。


「なんで、守ってくれなかったんだよ?」

「なぜ守らなければいけなかったんだ? 守る理由はどこにも無かった。むしろ、浩介とまた会うためには必要だったことでもある」


 それでは敵と共犯なのではないかと言う意見が心に生まれて、僕の心を黒く染めていく。

 ああ、そうだよな。

 敵がそうであるように、イブも人間じゃないんだ。


「イブ。一緒に何日か過ごして、それで僕は、イブが人間だったらって、そう思ってた。もしかしたら分かり合えるんじゃないかって。でも、全部、僕の思い過ごしだったんだ。こんなの、こんなこと、人間は思いつかないよ。殺されると思ってもそのまま見過ごすなんて、こんなの」

「私は人間では無い」


 イブが僕の言葉を遮った。


「どちらにせよ浩介の祖母を守るなんてことは、私には出来なかった。私は選ばなくてはならなかったのだ。他の適合する人間を探して旅に出るか。浩介の住んでいるこの街へ向かうか。もしくは、あの町で浩介を待つのかをだ。他の人間を探すあてなど無く、この街は遠すぎて私の足では到着するまで時間がかかりすぎる。その場合、どちらを選んでも私は体液を補充できずに死んでいた。その間に、奴等が浩介の祖母を放っておくと思うか?」


 言っていることは分かるが、納得はできない。

 イブは必死に言葉を続けた。


「私がお前の祖母を守るためだけに戦っていたら、その場合も私は死んでいた。私は浩介が来るような状況をただ望んだのだ。それだけだ」


 考えてみれば、それは仕方がなかったことなのかもしれない。

 実に『生きるためならなんでもする』と言う生き物らしい物の考え方だ。

 でも、それで僕自身が納得出来るかと言うと、それは別の話で、イブに対して持ってしまった不信感もぬぐいきれるものでは無い。


「少し、1人で、考えさせてよ」


 僕はそう言うと、制服に袖を通した。


「学校に行って来るから」

「私も行く」


 イブは立ち上がるが、僕は言う。


「一人にさせてくれよ。頼むから」

「それは出来ない」


 しかし、そう言った直後、イブはふらついて床に膝をつけた。


「……浩介。すまないが、頼む。体液を」

「ごめん」


 僕はイブを置いて、そのまま階下に向かった。

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