最 終 話  共に生きる

 〇


 カノンが目覚めるより先に、僕らのいる部屋に訪れた生物がいた。


 脳波を消せる、あの男だ。


「お前が勝ったか」

「ああ。僕が勝った。それより、良くここが分かったな」


 男は目を細める。


「一番近い場所を選んだ。奴らの拠点はだいたい把握していたからな」

「……ここへは何のために?」

「どちらも危険な存在と言えたからな。潰し合わせて、勝った方は隙を見つけて殺すつもりだった」

「そうか」


 僕は平然と返した。

 もう、こうなれば何匹殺しても同じだ。

 必要なら、こいつも殺す。


「やる気なら、すぐにでも戦う」

「いや。その必要はない。気が変わったのだ。やり合うつもりならこうして宣告したりはしない。お前とやり合うと、俺もただではすまないだろう。関わりあうのも危険だ」


 その言葉を信じて良いのだろうか。

 彼が何を感じているのかが全く分からない。

 彼の種は、脳波信号を出さないと、ほとんど感情が読めないのだ。


 その時、突然に脳波信号が現れた。

 目の前の男の脳波。


「なるほど、信じよう」

「簡単に言ってくれるな。俺がどこまで脳波をコントロールできるのかを、疑ってもかまわないのだぞ」

「いや、信じる。貴様もだいぶ変わった個体のようだからな」


 今の彼の脳波に敵意はかけらも無い。

 僕だって本当は戦いたくないのだ。

 今後、彼の気がまた変わって、危険が増えようが知ったことか。


 今はもう、血を見たくない。

 信じよう。いまはそれだけだ。

 男は僕の言葉をしばらく待っていたが、僕にはそれ以外に伝えたい言葉が無かった。


「まぁいい。俺も本当なら、何も言わずに消えるつもりだったが、伝えておくことがあったのでこうしてやって来た。藤森優子の遺体はこちらで隠しておいたぞ。あれが見つかって、我々の種族が人間に知られるのは面白くないからな。この後、再び出向いて痕跡をほぼ無くす」


 藤森さんの死は、誰にも知られることの無い死になるようだ。

 弔ってやりたかったが、それももう、不可能だろう。

 目の前の生物には、死者に敬意を払うという神経がまるでないし、理解も無いのだから。


「俺はそれが済んだらこの街を出る。この街で知りたいことは全て知れた。その後は、この国で生まれ続けている変り種を探しに行く。最近増えているのだ。俺や、奴のような特殊な能力を持つ個体がな」

「探してどうする?」

「観測だ。俺の知的好奇心を満たす。種を危険に晒すようなら、殺す」


 男はそれを言うと、ドアに向き直った。

 僕はその背中に声を投げかける。


「最後に聞きたい」

「なんだ?」

「僕は、一体、何者なんだと思う?」

「なんだその質問は? 自分が何者であるかと言う問いに答えがあったとして、それを知って何か得があるのか?」

「そうだな。そういう生物だったな、君たちは」


 僕は自嘲するようにして笑った。

 男は、あからさまな脳波を出して、笑った。

 愉快であると、それは教えている。


 男は言った。


「お前は人間よりもこちら側の生物だ。だが、どちらかと言うと人間の味方なのだろう?」

「ああ」

「だが、人を利用して生きている俺達を敵視しようとは思っていない」

「身近な人が襲われたら戦うけども」


 これ以上会話を続けても、僕らが違う種族だと言うことを認識し合うだけだ。

 いがみ合う可能性もある。

 男はそれを察したのか、部屋の外へ向かった。


「人間ならこう言う時、何と言うのだったか」

だよ」

「そうか」


 男は最後にこちらを少しだけ見た。


「さようなら」

「ああ。さようなら」


 男はそうして去って行った。

 僕は男の残して言った足音の余韻の中、眠っているカノンの髪を撫でる。


 ……カノン。僕はこれからどう生きて行けば良いのだろう。


 彼が言うように、僕の意識は人間に近い。

 だけど、純粋に人間であるとは言い難いのだ。


 上谷浩介とイブ。

 二人の記憶は、同一化されて僕の中にある。

 ここ数週間だけでも、様々な事があった。


 二人の時間。

 エピソードを思い出すたびに、ゆっくりと、僕の中にいるイブが目を覚ますのを感じる。


 僕と再会したイブがどんな感情だったのか。

 僕を守るために戦ったイブが、どんな想いを持って戦っていたのか。

 イブを取り巻いていた様々な人々。


 同種であるソラを興味深い対象と見ていたイブの気持ちは、友達を求めるような人の心に似ていた事。

 僕と分かり合えずに、いがみあった時に感じていたのは悲しみに似ていた。


 そして、藤森さんやカノンを見ていた時、イブが感じていたのは、人で言うところの嫉妬だった。

 人ではない自分が、人である上谷浩介と、深く繋がることが出来ないと言う、暗い絶望。


 イブが僕に対して感じていたのは、人間の恋に似ていたのだ。

 もう、触れることの出来ないイブを思うと、胸が苦しい。


 イブは、僕を失わないために自分の全てを捨て去った。

 自我も、心も、肉体も。

 叶うことなら、もう一度。ゆっくりと語り合って、一緒にアイスクリームが食べたいと思う。


 でも、それは……


 ……


 僕の目から、いつの間にか涙が流れている。

 それらは流れて、床に染みを作った。


「なんだ、まだ泣けるじゃないか。僕は」


 藤森優子の死を淡々と想ってしまい、涙なんてもう、出ることは無いとすら思っていたが、しっかりと出る。

 そして僕は、藤森さんの死を思い出し、再び湧き出る涙を止められなかった。

 ソラや、洋二さんのことを思い出し、体を震わせ、声を上げて泣いた。


 僕だけの感情ではない。

 僕の中にいるイブも、悲しんでいる。


「……」


 視線に気づく。

 いつの間にか目を覚ましていたカノンが、僕を見上げていた。


「カノンさん。目を覚ましたんだね。良かった」

「なんで、そんな泣いて……」


 僕は言う。


「大切な人達が死んだんだ。もう、心の中にしか存在してない」

「……」


 カノンは悲しげな目を僕に見せた後、ゆっくりと上体を起こした。


「大丈夫?」

「ん。なんだか、ちょっと、頭が痛いかも。なんだか、悪い夢見たみたいで」


 悪い夢。

 本当にそうなら、どれだけ良かっただろうか。

 だが、僕はカノンの言葉と表情に、怯えと、それから恐れがあることを見抜いてしまった。


「もしかして、起きていた?」


 カノンは答えない。

 それは、寝たふりをしていたと暗に示している。

 いつから?

 僕と男の会話から?

 それとも、隣の部屋で、僕と奴らが戦ったことも、カノンは知っていたのだろうか。

 その会話の全ても。


「カノンさん。いつから?」


 聞かなければ良かったと思う。

 だが、それでも僕は聞いた。

 聞かないと不安だった。


「……それは」


 カノンは言葉を濁して、それから言う。


「ごめんなさい。わたし、聞いてた。全部。隣の部屋の声も。でも、意味が、ほとんど分からないし。そんな、上谷さんが、人間じゃないとか、そんなの」

「そうか」


 知られた。

 いや、いつかは知られていたとも思うけれど。


「ねぇ、あなたは、上谷さんなんでしょ?」

「違う」


 僕は言う。


「そう見えるだけだよ。僕はもう、上谷浩介じゃない。彼は死んだんだ」


 カノンは立ち上がった。

 小さな背丈だけれど、座っている僕の座高よりは大きい。

 その顔には、恐れも悲しみも無い。


 優しさだけがそこにある。


「上谷さんだよ。誰かのために傷ついて、戦って、いなくなった誰かのために泣いてる。私の知ってる、優しい上谷さんなんだよ。私、分かるもん」

「彼は優しくなんかない。ずるくて、弱かっただけだ。誰に対しても、君に対しても」


 カノンが、そっと僕の頬に触れた。


「上谷さんだよ。絶対。だって、私のこと、カノンさんって呼ぶの、上谷さんしかいないもん。何が起きたなんて知らない。わかんない。でも、私には分かるの。あなたが誰なのか」


 カノンが僕の隣に腰を下ろし、そっと僕の手を取った。


 その体温を、愛おしいと僕は思う。


 だが、僕はもう人間ではない。

 違う種族同士では、分かりあうことなんて出来ないのだ。

 かつての、僕とイブのように。


『浩介。迷う必要がどこにある。知ったことかと笑い飛ばせ』


 ふと、イブの言葉が聞こえた気がした。


『安心しろ。お前は人間だ。私がそうでありたいと思ったように、自分以外の命と心のことを想える、美しい心を持っている生物だ』


 自分以外の命と心を想う。

 自分が生きていくこと。一緒に生きている誰かのこと。


 大切な、他人。

 イブの声は不思議な余韻を持たせたまま、消える。


 きっと、僕の中のイブが、いつも悩んでいる僕を見かねて声を聞かせたのだと思った。

 僕の頭に響いただけで、幻聴に近いのかもしれないけれど。

 でも、それでも。


 イブ。


 君は、僕の心に生きている。

 僕達は一つだ。

 恋よりも、愛よりも、ずっと深いところで繋がっている。


 これからもずっと、共に生き続けて行く。


「カノンさん。今までごめん。全部は話せないけど、説明するよ。色々」

「ありがとう。でも、無理しないで良いから」


 カノンはいつのまにか泣いていた。

 きっと、洋二さんが死んでしまったことも知ってしまったのだろう。


 奴らに聞かされたのかもしれない。


 ……カノン。


 君の悲しみを全て僕のものにしたい。

 こんな小さな身体で洋二さんを探して、僕を想って泣いてくれる、優しい君を。


 たくさんの悲しいことがあった。


 失ったものは大きすぎて、戻ってもこない。

 僕も人間じゃなくなった。


 でも、それでも。

 僕は、変わらずに君が好きなんだと思う。


 君の本当の名前を呼びたい。

 君が、もう一度、僕の名前を呼んでくれたら。


「カノンさん。僕の名前を呼んでくれる?」

「上谷浩介くん」


 カノンが名前を呼んで、僕はそれに答える。

 そして、小さいけれど温かい、愛しい人の手を、そっと握り返した。


 共生のイブ <了>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

共生のイブ 秋田川緑 @Midoriakitagawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ