第36話 決裂


「上谷君?」

「ごめん、藤森さん。ちょっと、用事出来た。今すぐ、行かないと」

「ど、どうしたの? なんだか、顔、すごい怖い顔に」


 僕はスマートフォンから視線を外す。

 怖い顔?

 いや、自分で分かっていないだけで、そうなのかもしれない。

 藤森さんを安心させたくて、僕は言った。


「なんでもないよ。心配しないで」

「本当? なんだか、普通じゃないって感じがするよ?」


 藤森さんは僕の目をしっかりと見つめている。


「ねぇ、私さ、その、昨日、辛い時に一緒にいてもらったし」


 藤森さんはそこで言葉を溜め、それから一気に吐き出すようにして、言った。


「上谷君が大変な時に、何にも力になれないって、辛いんだよ?」

「ごめん。でも、巻き込むわけにはいかないから。本当に、ごめん」


 僕は藤森さんを置いて、走る。

 端末に文字を打ち込みながら。


『大丈夫ですか? どこにいますか?』

『君達と別れた、町境の川の近くにある、潰れたラブホテルだ』

『分かりました。今からイブと向かいます』


 僕は呼んだ。


「イブ!」

「ここにいるぞ、浩介」

「洋二さん達が捕まった。助けに行こう」


「……そうか、捕まったか」


 イブは動揺しない。


「イブ?」

「助けに行くのは断るぞ。例え出向いたとして、私には戦う力が残っていない。勝ち目が無いと言うレベルではないぞ。今の私では、一方的に、何の抵抗も力にならずに簡単に殺されてしまう。私はもう、それほどに弱っている」


 イブは肩で息をしていた。

 僕が走ったから、一緒に走ったのだろう。


「じゃあ、戦わないでも助けられる方法を」

「隠密行動は無理だ。私はこの間の夜に会った変り種のアイツのように、脳波のコントロールなんて出来ないのだからな」


 瞬間、僕の頭に一つの案が浮かび上がった。


「……変り種の、アイツ」


 そうだ。

 脳波をコントロールできると言うあいつなら、この状況をどうにか出来るのかもしれない。


「浩介、お前が何を考えているのかわかるぞ。私は反対だ」

「でも、それしか方法が」

「得体の知れない奴の手を借りるのか? そこまでして助けたいとは、私は思わない。あいつらは私達を見捨てて逃げた。そして失敗した。それだけのことだ。我々が危険を犯す必要など、どこにも無い」


 イブは、相変わらずイブだった。


「そうかよ。反対なんだよな、助けに行くこと自体。良いさ、それなら僕だけでも」

「……」

「脳波を発しないという点なら、僕も一緒だろ? だったら」

「断固阻止する」


 瞬時に僕の身体は拘束された。

 目に見えない力。

 感触は硬くて少し冷たかったが、不思議とどこか温かみを持っている質量の塊。


 この感触は始めてだったが、イブが敵と殺し合う時に出す見えない腕だとすぐに分かった。


「浩介。あいつらのことは見殺しにするぞ。お前を危険に晒すわけにはいかない」


 拘束はがっしりとしていた。

 でも、捕まれている部分が痛いとかは無い。

 イブが弱っているからなのか、それとも意図的に力を弱めているのかは分からないけれど。

 ただ、とてもじゃないが、人間の――僕の力では振りほどくことは出来そうになかった。


 僕は言葉で反抗する。


「……見殺しにするだと? 僕の、おばあちゃんのようにかよ」

「黙れ。次に肯定以外の返事をしたらお前の左の腕を折る。あいつらを見捨てて家に帰るんだ。我々には関係ない」


 目の光が、鋭い。

 まるで、僕を殺そうとしているかのような表情だった。

 でも、それでも僕はイブの名前を呼んだ。


「イブ。僕は、人間だ。人間なんだ。知ってる人が死ぬかもしれないって分かったなら、ジッとなんてしていられない」

「黙れと言っただろう! 良いか? 行ったところで、待っているのは確実な死だ。助けられる可能性も低い。許すことなど決してできない!」

「僕は洋二さん達を助けたい!」


 身体を掴んでいる力が強くなる。


「喋るのを止めろと言っている……! 脅しではないぞ!」

「僕を止めたいならやれよ! 腕を折るんだろ!」


 自暴自棄にも似た感情が僕の心に生まれていた。

 イブは、そんな僕を見て苦々しく唇を噛んだ。

 緊張感のある沈黙が僕らの間に訪れる。

 ……5秒、6秒。

 7秒。


「もう、知らん」


 イブは、そう言うと僕の拘束を解いた。


「イブ?」

「何も言うな」


 イブは僕に背を向けた。


「私はもう、お前とは生きていけない。もうたくさんだ。他の個体を探す。これだけの人間がいる街だ。なんとか探してみせる。すぐにでも私を抱いてくれる個体を」


 そして、僕の視覚はイブを見失った。

 ハッと僕がイブの姿を追った瞬間に、見つけられなくなってしまった。


 気配を消す能力だと思い当たる。

 恐らく、目には映っているのだろうけれど、決して彼女の存在は僕に認識されない。


 そうして僕は一人になっていた。


 通学路の途中のその場所で。


 ……何度も、何度も意見を対立させて来た僕達だった。


 でも、もう、終わりなのだろう。

 イブの去り方を思い出し、自分が間違っているような気さえしているけれど、それでも洋二さんを見捨てるだなんて、そんなことは出来ない。


 冷たい風が吹く。

 ジッともしていられない。

 早く、助けに行かなければならないのだ。


 僕が好きな女の子の……カノンの従兄のお兄さん。

 そして、この世界で唯一の、僕と同じ境遇の仲間。


 僕は洋二さんからのメッセージを確認し、再び歩き始める。


『君達と別れた、町境の川の近くにある、潰れたラブホテルだ』


 思い当たる場所がある。


 工業地帯と隣接している寂れた場所だ。

 空き地や工場が乱立する土地の隅に、確かそんな場所があった。


 国道沿いに歩き、川に到着すると、今度はその流れに沿って進む。


 ……足が重い。

 自分が死ぬかもしれないという感覚が、今さらになって襲ってきている。

 僕一人では助けるなんて無理かもしれない。


 生き残れる可能性もとても低い。


 いつか、イブとまた話をすることが出来るだろうか。


 生き残ることが出来たなら。

 そう思ったその時、風が僕の頬を撫でて、視界に違和感が現れる。

 フッと、景色を変える何かが。


「遅かったな」


 洋二さんの共生相手、ソラがそこに姿を現していた。

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