第5章 終焉 2015年 10月

第35話 告白

 いつもと変わらない朝が来ていた。


 予兆なんてものはまるで無く、いつも通り朝ごはんを食べて、学校へ向かう。

 イブとは昨日と同じ場所で別れて、また藤森さんと校門前で鉢合わせた。


 昨日と違うのは、少しだけ気まずいと言う事だろう。

 藤森さんも気恥ずかしいと言ったような、普段と少し違う雰囲気で学校に入った。


 それからもいつも通りで、授業の合間の休み時間は教室を抜け出して、イブとキスをする。

 だが、問題は放課後だった。


「上谷君。今日は何か用事ある? あ、話は歩きながらで良いよ」


 藤森さんが、下駄箱で靴を履いていた僕に話しかけてきたのが始まりだった。

 どうしようかと思案している内に、今日は断ろうかと決める。

 が、藤森さんはさりげない必死さを僕に見せるのだ。


「あ、ちょっとだけだよ。新作のコーヒー飲んでみたくて。付き合ってくれない?」

「新作のコーヒー?」

「ほら、夏に行ったコーヒーショップ。上谷君のこと連れだして、カノンちゃんと会わせた」


 そこまで言って、藤森さんは一度、言葉を切った。

 気まずそうな表情へとその顔は変わる。


「……上谷君は、カノンちゃんと連絡とったりしてるの?」

「いや、最近はあんまり」


 事実、連絡は途絶えていた。

 洋二さんのことに関して、ちゃんと説明すると言った後、まるっきり何も連絡していない。


「そっか」


 藤森さんは、見るからに複雑そうな顔を見せて、それから言った。


「あのね。私、カノンちゃんには、本当に悪いと思ってるんだ。でも、さ。もう、自分の気持ち、隠さないことに決めたんだ」


 それはもう、告白だった。

 その時、すでに通学路の途中で、道の途中ではあったのだけれど、僕らは立ち止まって、お互いの顔を見合う。


「いつから?」

「……ずっと前だよ。私たちが一年生だった時の運動会の時」

「運動会?」


 そんな昔から、と思う。

 同時に、そんな昔に何があったのだろうかと言う疑問も。


「ほら、クラス一緒だったでしょ? その時さ、プログラム全部終わって、閉会式の後、みんな片付け参加しないで帰っちゃったじゃん。学級委員だった私が、連絡しそびれてて」

「そんなことあったっけ」

「あったじゃん。でね、その時に、私、おろおろする事しか出来なくてさ。何人かだけ、連絡先だけ知ってる仲良い子だけしか集められなかったんだけど、それでも急いで片付けしようって戻ったんだ。そしたら上谷君が片付けしてたの。たった一人で」


 ああ、と思い出した。

 他のクラスが片付けしているのに、そのまま帰ると言うのが気持ち悪くて、それで誰もいない、手付かずだった道具を運んでいた気がする。


「後で聞いたら、他の人達も『気にはなったけど、何も聞いてないし、疲れてたから帰った』とか言っててさ。多分、帰った人、みんなそうだったと思う。私も、正直、炎天下の運動会で疲れてたし。でも、それなのに、誰にも何も言われてないのに片付けしてる上谷君見て、こんな人いたんだなぁって、思って」

「ああ、思い出したよ。次の日、担任がめちゃくちゃ怒ってたよな」

「そうそう! 私も怒られたけど、それは自業自得だし。でも、上谷君も『自分は手伝ってた』とか言わないで、一緒に怒られてたよね」


 懐かしい昔話だと記憶を呼び起こす。

 確かその時の僕が黙っていたのは、教室の中で怒る大人の説教を遮って説明をすること自体が不可能だと考えていたからだ。

 とは言え、内容は不確かで、おぼろげだった。

 僕は、藤森さんが一年の時に一緒のクラスだったことも忘れている。


「私ね」


 藤森さんは言った。


「その時まで、ちょっと暗くて、学級委員も人に押し付けられてなってた感じだったでしょ?」

「そうだっけ?」


 藤森さんは言葉に詰まったみたいだったが、思い切ったようにして、言う。


「そうだったんだよ。だから私、そんな自分を変えたくて、頑張ったんだ。眼鏡もコンタクトにしたし、運動とかもしないとって毎日走ったし、明るくならなきゃって、笑う練習とかもして、大きな声出せるようにもなって、それで、男子も女子も出来るだけ話出来る友達とか増やして、化粧とか、おしゃれとかも、がんばって」


 それは、今の藤森さんからは、まるで考えられない努力だった。

 彼女は明るくて、クラスのまとめ役で、誰からも頼られてて。

 そんな藤森さんは昔からこの性格だと思っていたのに、それらの全てが『努力のたまもの』だったと言うことが、ここで語られている。


「でも、なんで、そこまでして自分を変えたの?」

「全部、上谷君のためだった」


 藤森さんは、寂しげに笑う。


「私ね、私がしっかりして、それで上谷君が怒られないようにしたかったの。こっそり頑張ってるのに、怒られるなんて理不尽じゃん。そしたら、いつの間にか、上谷君のことばっかり考えてた。あんまり私からは話しかけたりはしなかったけど」

「……」


 なんと言えば良いのだろうか。

 何かを答えなければならないのは分る。

 けれど、やはり言葉は浮かばない。


「ごめん。気持ち悪いよね。こんな、一方的に」

「違うよ。その、ありがとう。嬉しいよ」


 感謝は心からの言葉ではないのかもしれない。

 だけれど、それ以外の感情が出てこなかった。


「……なんだか、打ち明けたらすっきりしちゃった」


 藤森さんの好意に全く気が付かなかったのは、僕が枷をかけられていたせいで、女子に無関心だったからなのだろうか。

 本当なら、もっと早く、カノンと出会う前に藤森さんの変化に気づいていたかもしれない。

 毎日、彼女とこうして一緒に歩いていたのかもしれない。


 ふと見ると、藤森さんはとびきりの良い笑顔で、にっこりと笑った。

 魅力的だと思ってしまったけれど、それでも僕は思う。

 僕は、藤森さんではなく、カノンが好きなのだ。

 これ以上親身になってはいけないと気を取り直す。


 ……が、僕の目を見つめて来た藤森さんは、それでも可愛かった。


「それで、さ。上谷君。今日は一緒に」


 しかし、藤森さんが誘いの文句を言おうとしたその瞬間、僕のスマートフォンが、彼女の言葉を遮るようにしてメッセージの受信を知らせた。

 僕は「ごめん、ちょっと待って」と言って、端末を見る。


 差出人、木島洋二。


『助けてくれ。虫の良い話かもしれないが、頼れる人間が君しかいない。あいつらに捕まった』


 心臓がドクンッと言う音を立てて、全身に血を走らせた。

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